エイドリアン・バーグ
―― 庭園を生涯描き続けた芸術家
「エイドリアン・バーグ:無限の庭園」が、広島市現代美術館にて4月12日(日)まで開催

《3月の風景》1966年
構成・文 藤野淑恵
春3月。秋から冬に葉を落として骨格だけになったシルエットの木々が、今か今かと芽吹きを待ち構えるかのように枝を広げている。イギリスの画家、エイドリアン・バーグの《3月の風景》に描かれているのは、春の息吹を内包した庭園風景だ。咲き始めた桜が一気に満開を迎えた3月最後の週末、広島市現代美術館で開催中の 特別展「エイドリアン・バーグ:無限の庭園」を訪れた。

Courtesy of Frestonian Gallery and the Adrian Berg Estate
エイドリアン・バーグ(Adrian Berg, 1929–2011)
イギリス・ロンドン生まれの画家。風景画、とりわけ庭園を主題とした作品で知られる。
ケンブリッジ大学、ダブリン大学で学んだ後、ロンドンのセント・マーチンズ美術学校、チェルシー美術学校を経て、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートで絵画を学ぶ。1961年、リージェンツ・パークに面したグロスター・ゲートのアトリエに移り住み、以後20年以上にわたり同地の風景を繰り返し描いた。
ひとつの画面に複数の視点や時間を重ねる独自の構成が特徴。季節や光の変化を重層的に表現し、イギリス風景画の伝統を現代的に再解釈した作家として評価される。
1960年代以降はロンドンの主要美術学校で教鞭をとり、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートでは後進の育成にも尽力。1992年にロイヤル・アカデミー会員(RA)に選出、1994年には同校の名誉フェローとなる。
1980年代半ば以降はキュー王立植物園やストアヘッド、シェフィールド・パークなど、イギリス各地の庭園へと主題を拡張。晩年まで風景と時間の関係を問い続けた。
作品はテート、大英博物館、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館、ロイヤル・アカデミーをはじめ、広島市現代美術館、東京都現代美術館など国内外の主要機関に収蔵されている。
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
- 「エイドリアン・バーグ:無限の庭園」
開催美術館:広島市現代美術館
開催期間:2026年1月24日(土)〜4月12日(日)
リージェンツ・パークを 「庭」として
風景画家エイドリアン・バーグは、そのキャリアを通して庭園を主題とし、とりわけ20年以上にわたり自身のアトリエを構えたロンドンのリージェンツ・パークを繰り返し描いた。展覧会を案内してくれた広島市現代美術館のアートナビゲーターによると、リージェンツ・パークの面積は広島の平和記念公園の約14倍という。エイドリアン・バーグがアトリエ兼住居を構えたのは、広大な公園の北東、フリーズ・マスターズが設営されるエリアに程近い「グロスター・ゲート」だ。
バーグの作品名にもなっているグロスター・ゲートとは、文字通りリージェンツ・パークのゲート(門)のひとつであり、地名でもあり、バーグが20年以上暮らしたテラスハウスの名前でもある。アウターサークルと呼ばれるリージェンツ・パークの外周を囲む道路沿いには、現在も当時のままのテラスハウスが残されている。このテラスハウスは「リージェンツ・パークに住んでいる」という表現がふさわしい場所。アトリエの窓から風景を描くだけではなく、バーグは、朝に夕に、一年中、季節を通して、この公園の中を散策し、知り尽くしたことだろう。その暮らしは、想像するだけで豊かだ。

リージェンツ・パークは園芸愛好家にとっても特別な場所だ。約85品種、1万2000本以上のバラが植えられたクイーン・メアリー・ガーデンは、ロンドン屈指のバラ園。6月初旬のバラの季節はもちろん、秋バラの季節にも多くの人を引き寄せる。広大な芝生や湖、異なる様式の庭園が共存するこの公園は、都市の中心にありながら豊かな自然環境を保ち続けている。
同時に、アートファンにとっては、毎年10月に開催されるアートフェア「フリーズ」の開催地だ。公園内に巨大なテントが設営され、「フリーズ・ロンドン」と「フリーズ・マスターズ」の会場は、パーク内を縦断するザ・ブロードウォークを通る約15分の散歩道でつながっている。この2つの会場を結ぶイングリッシュ・ガーデン付近では、屋外彫刻展「フリーズ・スカルプチャー」が開催され、広大なエリアに現代彫刻が並ぶ。
窓辺の風景に時間を重ねる リージェンツ・パークの時代
1961年、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートを卒業してグロスター・ゲートに移り住んだバーグが描いた《3月の風景》から始まる第1章は「リージェンツ・パークの時代」と題され、そのアトリエの窓から見える風景を描いた作品群が紹介される。なかでも《グロスター・ゲート(リージェンツ・パーク)2月、3月、4月、5月、6月》と《グロスター・ゲート(リージェンツ・パーク)夏、秋、冬》はともに1977年に制作され、定点観測的に描いた複数の風景をひとつの画面に閉じ込めた代表作だ。

© Adrian Berg. All rights reserved, DACS & JASPAR 2025 E5930
複数の時間が一枚の画面に同居するこの手法は、バーグ独自の「時間の地層」とも言うべき視覚表現だ。人は庭園を歩くとき、今この瞬間の景色だけでなく、かつてそこにあった花や光、かつて感じた空気を同時に思い出す。バーグの絵はそうした記憶の重なりを、静かに、しかし確かに画面に定着させている。
やがてバーグは同じ建物の上階へと移り住んだ。視点が変わり、より高い位置から公園を俯瞰するようになったことで、画面構成も変化する。1982年の作品《リージェンツ・パーク グロスター・ゲート、4月》は、窓枠というフレームを離れ、複数の視点が交錯した構成でリージェンツ・パークの春を捉えた。青い空、新緑の息吹、咲き始めた花々――バーグ自身が五感で体感した季節が、見る者へと静かに伝播してくるかのようだ。

《リージェンツ・パーク グロスター・ゲート、4月》1982年 個人蔵 筆者撮影
1980年代半ば、賃貸契約上の理由からバーグはグロスター・ゲートを離れ、公園南側のケンブリッジ・ゲートへと移る。この頃すでに、バーグは次なる画題を求めてロンドン南西部にあるキュー王立植物園へも足を運んでいた。アトリエの窓から直接眺めることのできたリージェンツ・パークとは異なり、現地へ赴いてスケッチや水彩で色彩と光を記録し、アトリエで画面へと再構成するという新たな制作のあり方が、この頃から本格的に育まれていった。

第1章の作品群からは、20年以上にわたってリージェンツ・パークに暮らしたバーグが、四季を通じて自身の「庭」を眺め、歩き、呼吸し、触れ、感じ続けた時間の蓄積がありありと伝わってくる。それはもはや風景画というより、ひとりの人間が場所に向けて注ぎ続けた、終わりなき眼差しの集積だ。
庭園を旅しながら描く。 英国各地、そして海外へ
1988年、バーグはパートナーのマイク・オズモンドとともにロンドンを離れ、イギリス南東部、イースト・サセックス州南海岸の街ホヴへと移り住んだ。以後、傑出した造園家の手による英国各地の庭園が、次々と画題となっていく。それらはバーグ自身が「人間が自然からつくり出したもの」と表現した場所であり、国外の旅先でも、庭園や植物園はバーグが好んで描くモティーフであり続けた。

《シェフィールド公園 1985-86年秋》 1985–1986年 広島市現代美術館蔵
なかでもロンドン在住中からバーグが深い愛着を抱き続けたのが、イースト・サセックス州のシェフィールド・パークだ。サセックス・ウィールドと呼ばれる地域に広がるこの場所は、自然の模倣を精巧に追求した英国式風景庭園の代表格として知られる。4つの池を中心に構成されたその景観で、バーグがとりわけ魅了されたのが水面への映り込みだった。秋の色鮮やかな草木が帯状の区画として幾重にも重なり、水の波紋が岸辺の木々と溶け合うように描かれた画面は、まるで万華鏡をのぞき込むように、見るたびに新たな広がりを見せる。この庭園を主題とした《シェフィールド公園 1985-86年秋》は広島市現代美術館の所蔵作品であり、本展の核をなす一点だ。

《ストアヘッド8月6日》1992年 個人蔵(左)、《ストアヘッド8月16日》1991年 Estate of the artist(右)筆者撮影
リージェンツ・パークを離れた後、バーグが重要な画題としたのが、ストアヘッドの風景だった。ストアヘッドとは、ロンドンから100kmほどのイギリス南西部に位置するウィルトシャー(巨石記念物のストーンヘンジでも有名な広大な丘陵地帯)にある庭園で、シェフィールド・パークと並ぶ英国式風景庭園の傑作だ。地上の密生した植生と水面への反射という主題はシェフィールド・パークと共鳴しながらも、ストアヘッドの作品では筆触がより大きく、枝葉の描写も大胆さを増していく。水平線が画面を二分し、岸辺の植生がそのまま湖面へと鏡映しになる構図は、見る者の方向感覚を心地よく揺さぶる。

バーグの探究は国境をも越えた。タイのチェンマイ、オーストラリアのメルボルン、そして大西洋に浮かぶポルトガル領マデイラ島――異なる気候と植生のもとに広がる庭園や風景にも、バーグは同じ眼差しを向けた。どこへ赴いても、彼が捉えようとしたのは「今この瞬間」ではなく、時間の積み重なりそのものだった。

作品の題材となる庭園にバーグが赴いた際に、バーグがスケッチブックや紙面に描いた水彩画も展示された。
色と時間を記録する スケッチブックという設計図
会場には、バーグがアトリエでの制作に欠かせなかった素描や水彩画も展示されていた。現地で記録した絵の具の色を示す「地図」、制作のための概略図——それらを眺めていて、ある人物の仕事が重なった。19世紀から20世紀初頭に活躍したイギリスの園芸家、ガートルード・ジーキルだ。もともと画家を志していたジーキルは、視力の低下を経験したことで、個々の植物の形よりも色彩の塊と光の印象で庭を捉えるようになった。彼女が残した植栽計画図は、色が帯状に流れる「色彩の配置図」であり、春から秋にかけてどの色がどこに咲くかを設計した、時間の図面でもある。

Estate of the artist, Courtesy of Frestonian Gallery and the Adrian Berg Estate
バーグの概略図もまた、写生というより色と時間のマッピングだ。かつて軍で地図製作を学んだバーグには、三次元の風景を二次元の論理へと変換する思考が制作の根底に流れていた。バーグは庭園で一切写真を撮影しなかったという。記録するのは、眼と手と紙だけ——その図面の前で、彼の絵画が風景の切り取ったものではなく、独自に作り上げた「庭」であることを実感した。

Courtesy of Frestonian Gallery and the Adrian Berg Estate
晩年まで描き続けた画家 。教育者としてのまなざしも
長いキャリアの中で、バーグは優れた教育者でもあった。チェルシー、キャンバーウェル、そしてロイヤル・カレッジ・オブ・アートで後進の指導にあたった。現在テート・モダンにて過去最大規模の回顧展「Tracey Emin: A Second Life」(2026年8月31日まで)が開催中のトレーシー・エミンも、バーグとゆかりのある作家のひとりだ。エミンがロイヤル・カレッジ・オブ・アートの入学面接を受けた際、面接官の一人がバーグだった。エミンは後に、バーグが自分のポートフォリオを真剣に見つめてくれたことに深く感動したと語っているが、確かな才能を見抜き、アーティストへの道を後押ししたのがバーグだった。

バーグは晩年も描き続けた。年を重ねるにつれ関節炎が背骨を蝕んでいったが、それでも各地の庭園へ足を運び、水彩や色鉛筆を手にして自然の形態を自由な筆致で捉えることをやめなかった。本展には、バーグが亡くなった2011年に制作された作品も出展されている。晩年まで愛し続けたシェフィールド・パークの湖面を、生の最後の季節に描いたこの作品を所蔵するのは日本の個人コレクター。広島市現代美術館でバーグの作品に魅了され、後にロンドンのギャラリーで購入したという。作品に心を動かされ、自らロンドンへ赴いて購入するに至る——バーグの絵がひとりの日本人コレクターを突き動かした事実が胸に響く。
ところで、展示室でバーグの作品を前にしたとき、一人の画家の名前が頭をよぎった。デイヴィッド・ホックニーだ。写実とも抽象とも言い切れない、大胆な色面が構築するリズム感。自然をそのまま写し取るのではなく、自らの眼が感じ取った光と色を、画家自身の言葉のように画面に刻む。そして何より、時間の流れと記憶の堆積がキャンバスに宿っている。バーグの作品に漂う「生命力」や「視覚的な喜び」は、ホックニーの作品と響き合っている――
その印象は偶然ではなかった。二人の間には、半世紀にわたる友情があった。

ホックニーとの友情。 いま開かれる「無限の庭園」
バーグの死は2011年10月。ロンドンのロイヤル・アカデミーで行われた追悼の場で弔辞を読んだのは、生涯の親友であったデイヴィッド・ホックニーだった。二人の友情は、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートで出会った1960年代初頭に始まる。バーグはホックニーに、ギリシャの詩人コンスタンティノス・カヴァフィスやウォルト・ホイットマンの詩を紹介し、その言葉はホックニーの初期エッチングに深いインスピレーションを与えたという。同性愛者であることを公然と表明していたバーグは、同じくゲイであったホックニーにとって、重要なロールモデルとなった。イギリスの風景をいかに描くか――その問いにおいて、二人は互いに影響を与え合い続けたと、ホックニー自身が語っている。

Images courtesy Frsetonian Gallery, London Photography: Ollie Hammick
2025年秋のロンドン。例年通りリージェンツ・パークの中に設営されたフリーズ・マスターズで、フレストニアン・ギャラリーがエイドリアン・バーグの個展を開催した。バーグが20年以上かけて描き続けたその場所で、彼の作品が人々の前に立ち現れた。一枚の絵の中に、春と夏と秋と冬がある。同じ場所に、異なる光と影がある。天候や太陽の位置、季節の移り変わりによってとめどなく変化し続ける自然の姿を、バーグは50年にわたって描き続けた。
1990年代以来初となるエイドリアン・バーグの回顧展となった本展のタイトル「無限の庭園」は、その飽くなき絵画的探究と、描かれた自然そのものの無限性を表している。展覧会に触れて、バーグが描いた庭園の中に実際に身を置いてみたいという気持ちが湧き上がってきたのは私だけではないだろう。バーグの眼差しを手がかりに、同じ場所に立つことができる。彼の作品は、庭園への終わらない誘いだ。