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「じっと木を見ていると、中から姿が出てくる」
天才木彫り職人、藤戸竹喜の技に迫る

東京ステーションギャラリーで開催中の
「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 アイヌであればこそ」 内覧会レポート

内覧会・記者発表会レポート

会場展示風景 ©Hayato Wakabayashi
会場展示風景 ©Hayato Wakabayashi

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取材・文 小林春日

「凄すぎて、気づいてない方もいるかもしれませんが、台座の上に作品がありますよね。これ全部木彫です。ひょっとしたら皆さん、台座は台座で、その上に狼の赤ちゃんや狼を載せてると思ってる方もいるかもしれませんが、これはまるごと木から掘り出したものです。」

会場展示風景 ©Hayato Wakabayashi
会場展示風景 ©Hayato Wakabayashi

そう話しはじめたのは、藤戸竹喜の作品を長年研究してきた、北海道立三岸好太郎美術館副館長の五十嵐聡美氏。

そういわれてみてはっとする。当然のように、台座の上に、別に彫られた狼や熊が設置されていると無意識のうちに思っていた。まさか、一木で彫られているとは、にわかに信じがたく、思わず皆、作品にぐっと近寄って確かめる。

《鹿を襲う熊》1977年、個人蔵、撮影:露口啓二
《鹿を襲う熊》1977年、個人蔵、撮影:露口啓二

「たとえば、この作品では、真ん中の鹿に2頭の熊が襲い掛かっています。熊が空を飛んでいます。鹿は細い前足と後ろ足をはねあげていますよね。こちらの作品では、鹿に食いついている狼2頭もこの台座もまるごと木から彫りだしているんですよ。だから彫り始めたときに、藤戸さんの頭の中には、この鹿の角の先端の部分、ここから彫っていけばこの鹿のお尻はここの位置にあって、足がこういう風に跳ね上げられるという、この姿がもう頭の中にできているんですね。」

現在、東京ステーションギャラリーで開催中の「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 アイヌであればこそ」の報道内覧会で、館長の冨田章氏と、監修に携わった五十嵐聡美氏によって、天才的な才能を持った木彫り職人、藤戸竹喜の凄さについて熱く語られるその内容と目の前にある凄技の彫刻作品に感動して、鳥肌を立てながら、作品に魅入る。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 アイヌであればこそ」
開催美術館:東京ステーションギャラリー
開催期間:2021年7月17日(土)〜2021年9月26日(日)
藤戸氏と熊
藤戸氏と熊

北海道美幌町でアイヌ民族の両親のあいだに生まれ、旭川市で育った藤戸竹喜(1934~2018年)は、木彫り職人だった父親のもとで12歳の頃から熊彫りを始めた。やがて阿寒湖に移り住み、この地で才能を開花させて、数多くの木彫作品を生みだす。17歳の頃、絶滅したエゾオオカミの剥製に心を奪われて「狼を彫りたい」と言った藤戸を、父の竹夫は「熊も一人前に彫れないのに何を言っているのか」と一喝した。その後、熊彫りに専念して力をつけた藤戸は他の動物や人物なども彫るようになるが、狼については、満足のいくものが彫れるようになったのは、50年以上が経った70歳を過ぎてからのことであった。

美術界とは無縁の世界で活動していた天才

会場展示風景 ©Hayato Wakabayashi
会場展示風景 ©Hayato Wakabayashi

東京ステーションギャラリーで、藤戸竹喜展が開催されることになったのは、館長である冨田章氏が、2020年6月に同館で開催した展覧会「神田日勝 大地への筆触(会期:2020年6月2日~6月28日)」の準備のために、神田日勝記念美術館のある北海道を訪れた4年ほど前のことである。

その際、最終日に時間ができたために立ち寄った札幌芸術の森美術館で、「現れよ。森羅の生命― 木彫家 藤戸竹喜の世界(会期:2017年10月14日~12月17日)」が開催されているのをたまたま見たことがきっかけであった。

当時、冨田館長は藤戸竹喜氏のことを、名前すら知らなかったという。その展覧会を見て、これだけ優れた作家のことをなぜそれまで知らなかったのだろう、と非常に驚くと同時にショックを受けた、と話す。

「曲がりなりにも40年近く美術の世界で生きてきているのですが、藤戸さんのお名前が全くどこにも引っかかってこなかったということにショックを受けました。いろいろ調べてみたら、藤戸さんがいわゆる美術界とは全く無縁のところで活動されていた方だった、ということが分かりました。東京に帰ってきてから美術関係者にも聞いてみたけれど、誰一人として知らなかった。やはり美術界にはまだそんなに浸透していない名前で、少なくとも北海道以外では、あまり名前が知られていないのだとしたら、この東京ステーションギャラリーで何等かの形で作品を紹介する意味は大きいだろうなと思ったんですね。」

展覧会を開催したい思いをもちつつ、それから1年ほどたったある日、ネットの記事で、藤戸さんが亡くなったことを知る。4年前、展覧会で見た作品に感銘をうけ、会場にいた藤戸さんに直接話しかけようとしたが、先客と話中であり、飛行機で東京に戻る前のタイミングであったこともあって、その日は諦めて帰ってきてしまい、生前の藤戸さんと直接話す機会を逸したことが一生の後悔となる。そして、あらためて、「藤戸さんの名前がこのままうずもれてはいけない」という思いを強くする。

そのことを使命と感じ、また、札幌芸術の森美術館であれだけの作品を見た学芸員としての責任、という気持ちをもって、その後すぐに札幌芸術の森での展覧会の企画を担当した、当時は北海道立近代美術館にいた五十嵐聡美氏に連絡を取り、今回の展覧会開催の実現に至ったという。

《白熊の親子》(部分)、1999年、個人蔵、撮影:露口啓二
《白熊の親子》(部分)、1999年、個人蔵、撮影:露口啓二

藤戸竹喜は、木彫作品を作る上で、事前にスケッチしたり、模型をつくったりすることがない。どんな大作をつくるからといっても、粘土で試しに作るなども一切行わない。普通の彫刻家であれば、対象を見てデッサンをして、構図を考えて、下絵を描いて、それを立体的にマケットを作って、それでようやく彫りに入るというステップを踏むが、藤戸さんは一切そういったことを行わない。藤戸さんの場合は、見て考えてから彫る。そのことが驚くべきことであり、しかも彫られたものが、どこから見ても、形に狂いがない。冨田館長と五十嵐氏は、そう口を揃えてその凄さについて語る。

藤戸氏にとっては、彫る前から、木の中に彫るべきものが「見えている」という。頭や胴体や尻尾が見えているいから、余分なところを取り除けば、彫るべきものが残る、ということなのだ。

「形が見えていて余分なものを取り除くだけ、ということと近いことを言ったと言われる人が一人います。ミケランジェロです。それくらいすごい才能を持った人だと思います。」と話す冨田館長の表現は、全くおおげさには聞こえない。実際に作品を見れば、並外れた高度な技術のみならず、作品ひとつひとつの表現の豊かさに圧倒され、唸らされる。

転機となった、観音像の制作

会場展示風景 ©Hayato Wakabayashi
会場展示風景 ©Hayato Wakabayashi

藤戸氏が34歳のとき、阿寒の森林管理をしている前田一歩園財団の三代目園主、前田光子氏から、亡くなった夫の十三回忌の供養にと観音像の制作依頼を受けて制作したのが、この《樹霊観音像》(1969)である。

藤戸氏はそれまで、熊しか彫ったことがない。

(左上から時計回りに)《群熊》1967年、(一財)前田一歩園財団蔵、撮影:露口啓二、《木登り熊》2017年、個人蔵、撮影:佐藤克秋、《怒り熊》1964年、(一財)前田一歩園財団蔵、撮影:露口啓二、《語り合う熊》2018年、個人蔵、撮影:佐藤克秋
(左上から時計回りに)《群熊》1967年、(一財)前田一歩園財団蔵、撮影:露口啓二、《木登り熊》2017年、個人蔵、撮影:佐藤克秋、《怒り熊》1964年、(一財)前田一歩園財団蔵、撮影:露口啓二、《語り合う熊》2018年、個人蔵、撮影:佐藤克秋

「熊だけですよ。ただし、熊といっても四つ足で歩く木彫り熊だけじゃなくて、表情があったり、ブドウと一緒にあそんでいたり、熊は熊といってもすごく面白いん熊なんですけど、そういう熊だけを彫っている職人さんというのは、実は阿寒でも珍しかったんですよ。」

五十嵐氏によると、藤戸はその年、観音立像を彫るということだけに集中し、京都に行って、観音様の仏像をずっと見ていたそうである。「そこですごいのは、本当に目に焼き付けているんですよ。写真も撮らず、お寺に行って、仏像を見て、目に焼き付けている。また、ずっとすごい緊張だったみたいですね。」

その年は、「熊しか彫れない熊彫りがなんで仏像を彫っているんだ」などと周りから色々言われる中で、一人で山にこもって集中してこれを彫り上げたそうである。

「しかも、この大きさで、一木でこれだけの仏像を彫れるというのは、すごいことです。観ることが彼にとっては、デッサンであったり、写真を撮ることの代わりであって、自分の身体の中にその姿を(多分いろんな観音様や仏像をみて、それらを)融合させて、こういう形、優しいお顔になっている。少なくとも初めて彫った人とは到底思えない完成度の高さです。」と語るのは冨田館長。

これだけに、半年間かかりきりになって彫り上げたあと、藤戸氏は自分に自信をつけて、その後、熊だけではなく、人物なども次々と彫るようになった。そこから先の藤戸氏はさらなる飛躍を遂げていく。

アイヌ民族の先人たちの肖像

左から《日川善次郎像》1991年、《杉村フサ像》《川上コヌサ像》1993年、3点とも個人蔵、撮影:佐藤克秋
左から《日川善次郎像》1991年、《杉村フサ像》《川上コヌサ像》1993年、3点とも個人蔵、撮影:佐藤克秋

アイヌ民族の先人たちの肖像が展示されている。冨田館長は、特に真ん中の一体に、札幌で初めて観たときに非常に深い感銘をうけたという。

「表情がすごくニュアンスに富んでいるんですね。つまり怒りとか悲しみとか単純な感情ではなくて、複雑な感情、いろんなものがないまぜになったような感情がにじみでているんですね。そういう表現ができる人なんだっていうことが、写真ではわからなかった。実物を見てはじめて、はっきりとわかったんです。」

作品は左が、アイヌ文化の伝承者、日川善次郎の像、中央が、藤戸が少年時代に世話になった同じくアイヌ文化の伝承者、杉村フサの像、右が藤戸の父方の曽祖父、川上コヌサの像である。父の竹夫はコヌサから木彫を教わったという。

藤戸竹喜の木彫り熊コレクション

会場展示風景 ©Hayato Wakabayashi
会場展示風景 ©Hayato Wakabayashi

戦前の1935年前後と戦後の1950年代後半から1970年代にかけて、北海道土産の定番であった木彫り熊は、観光ブームに乗って、全国津々浦々に持ち帰られては、リビングなど室内に飾られていた。昭和の時代を生きた人は、恐らく誰もが目にしたことがあるのではないだろうか。

北海道の木彫り熊には、大きく二つの系譜があり、アイヌ民族が旭川の近文(チカプニ)などで彫り続けてきたものと、和人(アイヌからみたアイヌ以外の日本人)がスイスの土産物の木彫り熊を参考に八雲(北海道南部)で始めたものである。八雲は木彫り熊発祥の地であると宣言しているが、藤戸はこの説に異を唱えているという。しかし、「八雲、旭川、どちらの熊もそれなりにすばらしい」と認めており、このふたつの系統の木彫り熊が相互に刺激を与えあったのは事実である。そしてその中から藤戸竹喜という作家が生まれている、と冨田館長は説明する。

その藤戸氏が収集した、アイヌ民族によって彫られた13点の木彫り熊が展示されている。素朴な味わいのある木彫り熊から、かなりリアルなものまでさまざまなものがあり、長い時間のなかで、木彫り熊の伝統が形づくられてきたことが感じられる、楽しい展示コーナーとなっている。

「熊を極めろ」「見えないところまで彫れ」

会場展示風景 ©Hayato Wakabayashi
会場展示風景 ©Hayato Wakabayashi

「大胆な造形の作家でありながら、近くで寄ってみていただくと、熊の毛彫りがものすごく細かいんですね。見ると毛皮じゃないかというほどの柔らかい感触を作り出していて、その繊細さというかその辺の表現が本当にすごい。」と、冨田館長はその技術力を評価する。

五十嵐氏によると、熊彫り職人であった父親から、言葉ではあまり教えを受けていなかった藤戸氏だが、とにかく「熊を極めろ」ということと、「見えないところまで彫れ」ということは言われていたという。こんな細かいところまで一体どうやって彫るのだろう、と思わせる繊細な彫りの技術が、味わい深い表情を作り出す。

冨田館長は、ある熊の表情が好きだという。

《全身を耳にして》(部分)、2002年、鶴雅リゾート㈱蔵、撮影:佐藤克秋
《全身を耳にして》(部分)、2002年、鶴雅リゾート㈱蔵、撮影:佐藤克秋

「《全身を耳にして》というこちらの作品は、耳を澄まして、何か音を聞こうとしている表情なんですけど、動物にとって音とか匂いはすごく重要な要素で、つまり危険を察知したり、あるいは食糧のありかを教えてくれたりする、生存に直接結び付く重要な情報ですよね。それを一心に集めようとしている姿、表情が、ものすごく深いことを考えているような表情にみえるんですよね。僕は『森の哲学者』と呼んでいるのですが、実に味わい深い表情を作り出すところが、藤戸さんの魅力の大きなところだと思います。」

大胆で迫力ある仕事をすると同時に、細工物でも一流

続けてその繊細な表現が表れている作品について、冨田館長が紹介する。
「となりの部屋の一番奥にある海老とか蟹、これがすごいんですよ。」

会場展示風景 ©Hayato Wakabayashi
会場展示風景 ©Hayato Wakabayashi

アイヌの先人たちの像を作っている合間に作られたという、細工物。ひょっとしたら、緊張感のある制作の一方で、楽しみながら彫りたかったのでは、と五十嵐氏は考える。
藤戸氏は、海老やカニを全部パーツに分解して、それをよく観察し、関節が全部動くように作りはじめたそうである。

「最初は多分、北海道産の毛ガニとかタラバガニだったと思うんですけど、どんどん色んな蟹の種類を彫りたくなったみたいで、ズワイガニもヤシガニも、そしたら今度は海老も彫りたくなったみたいで、すごい大きな伊勢エビを作ったり、いろんな海老&蟹シリーズをつくりはじめて、それが楽しかったみたいです。藤戸さんに、なぜ海老とか蟹とかを作ったのですか?って聞いたら、『いやあ、美味しかったから!』って言ってました(笑)」

この細工物を作る藤戸氏を、冨田館長は、只者ではないと感じたという。
「一つ一つのパーツを結び付けて作る細工物のような作品を作る作家は、他にも沢山いらっしゃいますが、そういう作家の方々は、(藤戸さんが手掛けるような)大胆な彫刻作品を手掛けることはありません。逆に、大胆な彫刻作品を手掛ける方々は、こういう細かい細工物は決して作らない。超絶技巧といってもいいくらい、ものすごく精巧なつくりなんですよ。だからこういう大胆で迫力のある仕事をすると同時に、そういう細かな細工物も一流である、という作域の広さがすごいです。対極にあるような仕事をしながら、その両方でこれだけのクオリティーを示すことができるっていうのはやはりちょっと只者じゃないな、という感じがするわけです。」

狼と少年の物語

会場展示風景 ©Hayato Wakabayashi
会場展示風景 ©Hayato Wakabayashi

家畜を襲うという理由で多くの狼が駆除されていた。両耳を提出すると報奨金を受け取れるので、猟師はこぞって狼を撃ち、毒入りの肉が狼に撒かれた。(「狼と少年の物語」より)

明治時代、実際に北海道内で、報奨金をかけて駆除活動が行われて、1896年頃には絶滅に至ってしまったエゾオオカミをモチーフに、藤戸が自ら心に温めてきた「狼と少年の物語」をもとにした19点の連作が展示されている。

2017年に札幌芸術の森美術館で、藤戸竹喜の大規模個展が決まったときに、新作を作ると、意気込んだ藤戸氏。精魂傾けて制作したのが、このシリーズによる連作、かつ物語である。

その2年ほど前に藤戸氏は、
「いま考えてるんだ。親から離れた子供が、狼に育てられて、でもその狼が森にまかれた毒入りの肉を食べてしまう。その狼に育てられた少年が、親の狼の口に手を入れて、その毒の肉を取り出すとか、そういう話を考えている。俺はそれを考えると泣けてくるんだ!」
と、五十嵐氏に語ったという。藤戸氏の人柄が偲ばれる制作秘話である。

若き日に、エゾオオカミの剥製を見て、狼を彫りたいと言った藤戸氏に、「熊も一人前に彫れないのに何を言っているのか」と父に一喝されて以来、何とかその狼を彫りたいと念願しつづけ、ようやく満足のいく狼を彫れるようになったのが、70歳を過ぎてから。そして、この連作は80歳代になってから手掛けた、最晩年の、ひとつの傑作となった。

北海道開拓によって害獣となったエゾオオカミが駆除され、絶滅した。本当に毒を入れたエサをまいて殺した、という歴史があった。
冨田館長は、「その話を背景にした、アイヌの子供と狼との物語、それは、アイヌと自然の物語でもあるし、あるいは和人と狼、和人とアイヌとの物語でもあるし、背景にはとても様々な要素が入っていて、一見、シンプルな絵本のように見えるけれども、その裏にはものすごく深い話が含まれている。だから藤戸さんが泣けてくるといったのは、すごく理解ができる気がするんですね。彼の中にはいろんな思いがおそらくあったと思うんです。それを形にしたのが、その『狼と少年の物語』ということなんです。」

この作品が完成し、初の大規模個展を開催したその1年後の2018年10月26日、藤戸竹喜は入院先の病院で息を引き取る。同年春に国立民族学博物館での巡回展を終えて、作品を返却しに行った五十嵐氏に、「90歳でまた展覧会をやりたい」と語っていたそうである。

5月頃から体調の不調を訴え、その後入院するが、藤戸氏は入院の直前まで制作を続けていた。彫りかけたまま、退院後に仕上げるはずだった未完の作品が1点、今回展示されている。荒削りの未完の作品にも、魂を感じさせる迫力がある。

「木は生きています。だから、どんなに小さな作品を作るときでも、必ずカムイノミ(神への祈り)をしてから彫り始めます。原木にお願いして彫らせてもらうのです。」
藤戸氏の言葉である。アイヌの人々の人間中心ではない生き方、自然との向き合い方を知ることも作品の尽きない魅力を知る一つ手がかりになるかもしれない。

参考文献:図録「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 アイヌであればこそ」

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
東京ステーションギャラリー|TOKYO STATION GALLERY
100-0005 東京都千代田区丸の内1-9-1
10:00〜18:00 (最終入場時間 17:30)※金曜日は20:00まで(最終入場時間 19:30)
定休日:月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜、年末年始、展示替期間)

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