戦場カメラマンに転身した人気モデルの実話を映画化
『リー・ミラー 彼女の瞳に映る世界』
ケイト・ウィンスレット製作&主演の実録映画が5月9日(金)よりロードショー公開

文 長野辰次
高級ファッション誌のトップモデルから、戦場カメラマンに転身した女性が実在したことをご存知だろうか。まるでフィクションのような話だが、「VOGUE」などで活躍したリー・ミラー(1907年~1977年)がその人だ。19歳だったリーは米国版「VOGUE」のモデルに起用されるや、際立つ美貌と利発な性格で多くの人々を魅了し、たちまち人気モデルとなった。パリに渡ったリーは、ジャン・コクトーやパブロ・ピカソら芸術家たちの作品のミューズも務めている。
ところが、リーは「撮られる側よりも、撮る側でいたい」と22歳のときに写真家へと転身。第二次世界大戦では従軍カメラマンとなり、ダッハウ強制収容所の惨状をスクープ撮影するなど写真史に残る数々の作品を残している。
激動の人生を送ったリーだが、彼女がもっとも強い輝きを放った戦場カメラマン時代にフォーカスを絞って映画化したのが、ケイト・ウィンスレット製作&主演の『リー・ミラー 彼女の瞳に映る世界』だ。日本での劇場公開にあたり、映画の見どころとリーの驚きの生涯を振り返ってみよう。

シュールレアリズムの申し子
モデル時代だけでも多くの伝説を残しているリー・ミラーは、モデル業だけでは飽き足らず、フランスで起きたシュールレアリズム運動の中心人物だったマン・レイの自宅を訪ね、押しかけアシスタント兼恋人となり、写真家でもあったマン・レイから撮影や現像のノウハウを学んだ。被写体の縁を隈取りしたように見せる技法「ソラリゼーション」は、2人の合作だと言われている。
別れを拒むマン・レイをパリに残し、リーは米国へと戻り、自身の撮影スタジオを設立。一時期、エジプトの資産家のもとに嫁ぐも、中東一帯を冒険して回ると、資産家との裕福な生活にもあっさりと別れを告げた。リーの奔放な恋愛遍歴だけでも目を見張るものがある。
エジプトを離れたリーが、フランスの芸術家村・ムージュンで過ごしているところから映画は始まる。欧州ではナチスドイツが台頭し、戦争の気配が強まりつつあるなか、リーは画商であり芸術家でもあるローランド・ペンローズ(アクレサンダー・スカルスガルド)と出会い、恋に陥る。常に自分の本能に忠実なリーだった。愛し合う2人はロンドンで暮らすことになる。

ロンドンに着いたリーは、すぐ行動に移す。英国版「VOGUE」の編集長オードリー・ウィザース(アンドレア・ライズボロー)に自分を売り込み、英国内で国防に努める女性たちの姿をポートレイトしていく。マン・レイをはじめとする一流アーティストたちと交流してきたリーだけに、対焼夷弾用のマスクやメガネをした女性たちの写真など、戦時下ながらもセンス溢れる写真を残している。
のちに欧州戦線を共にする「LIFE」誌のフォトジャーナリストであるデイヴィッド・E・シャーマン(アンディ・サムバーグ)とも、この頃に知り合う。

(c)Lee Miller Archives,England 2025.All rights reserved.
戦争という非日常の世界を捉えたリーの写真
リーは自分が思いついたことは、即実行に移さなくては気が済まない性分だった。戦火のロンドンを撮り終えたリーは、次に戦争の最前線に立つことを望むようになる。英軍では女性記者の従軍は認められず、米国籍のリーは米軍に申請し、連合軍が上陸したばかりのノルマンディーへと向かい、現地の医療テントの様子を細やかに取材撮影している。
ドイツ軍が抵抗を続けるサン・マル包囲網では、砲弾が飛び交う戦場を体験する。このときのリーは、米軍が初めて実戦使用したナパーム弾のスクープ写真をものにした。

(c)Lee Miller Archives,England 2025.All rights reserved.
ドイツ兵と交際していたフランスの女性たちは、ドイツ軍撤退後は「ナチス協力者」として市民からリンチに遭い、丸刈りにされている。その様子もリーはカメラに収めている。「VOGUE」誌は国威発揚になるような勇ましい戦争写真をリーに求めていたが、現実の戦場に立つリーの撮る写真はリアルでありながら、どこかシュールさを感じさせるものが目立つ。戦争という非日常の世界に対し、リーはシュールレアリストとして立ち向かっていったように思う。
リーの写真がもっともシュールさを極めたのは、ドイツに足を踏み入れ、ミュンヘンのアドルフ・ヒトラー宅のバスタブに浸かったヌード写真だろう。ナチス軍を率いたヒトラーはベルリンの地下壕で拳銃自殺を遂げているが、その日のうちにリーは自身が被写体となって、ヒトラーが使っていたバスタブで撮影をしている。映画では終戦直後のドタバタの中での出来事として、この写真撮影の様子を克明に再現してみせている。戦争写真として、こんなにもシュールなものはない。

戦場カメラマンとしての功績とその代償
そしてヒトラーのバスタブ以上の衝撃写真となったのが、ダッハウ強制収容所の内情を捉えたスクープ写真だった。貨車の中ではユダヤ人たちの死体が薪のように積み重ねられ、収容所内にはやせ細った女性や子どもたちが辛うじて生き残っていた。シュールという言葉ではもはや表現できない、人間の残酷さを極めた絶滅収容所の惨状を、リーは世界で初めて報じることになった。
戦場カメラマンとして数々のスクープ写真を残したリーだが、終戦後の平和な生活は彼女本来の輝きを失ったものだった。過度の飲酒や喫煙に依存した状態が続いた。戦場での過酷な体験を原因とするPTSD(心的外傷後ストレス障害)だと思われる。
1947年にリーはローランドと正式に結婚し、息子アントニーを出産。英国の農村で静かに暮らすようになる。晩年のリーはカメラを手にすることはほとんどなく、膨大なフィルムの数々を整理して出版することにも関心がなかったという。1989年に出版された評伝『リー・ミラー 自分を愛したヴィーナス』(パルコ出版)によると、出産後のリーは気難しい性格になったとも記されている。

8年ごしで映画化に取り組んだケイト・ウィンスレット
近未来の米国が内戦状態になりうることを予測した戦争映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』(2023年)では、キルスティン・ダンスト演じる戦場カメラマンはリー・ミラーを参考にしてキャラクター化されていた。1977年に亡くなった後も、リーは多くの人を魅了し続けている。彼女の生涯を題材にした映像作品の企画は、たびたび持ち上がったが、リーの謎めいた内面に迫ることができずにどれも頓挫して終わっていた。
そんな映像化が困難だった企画に果敢に挑んだのが、大ヒット映画『タイタニック』(1997年)やアカデミー賞主演女優賞を受賞した『愛を読むひと』(2008年)などでタフな女性を演じてきた英国女優のケイト・ウィンスレットだった。プロデューサーも兼ねたケイトは8年ごしで、粘り強く映画化に取り組んだ。ケイト主演作『エターナル・サンシャイン』(2004年)の撮影監督を務めたエレン・クラスを監督にケイトは起用し、長編映画は初監督となるエレンとの二人三脚でリーの波乱万丈な生涯をドラマ化することに成功した。
戦争という巨大な怪物に、リー・ミラーは二眼レフカメラ「ローライフレックス」のみで戦いを挑んでみせた。リー・ミラーは自身の人生そのものを、シュールレアリズム化してみせたのではないだろうか。渾身の写真を撮るためなら、リーは自分の人生を差し出すことも厭わなかった。彼女の瞳に映った驚愕の世界を、スクリーンを通して体験してみてほしい。

(c)Lee Miller Archives,England 2025.All rights reserved.
- 『リー・ミラー 彼女の瞳に映る世界』
5月9日(金)よりTOHOシネマズ日比谷シャンテほか全国ロードショー
製作 ケイト・ソロモン、ケイト・ウィンスレット
監督 エレン・クラス
出演 ケイト・ウィンスレット、アンディ・サムバーグ、アレクサンダー・スカルスガルド、マリオン・コティヤール
配給 カルチュア・パブリッシャーズ
(C)BROUHAHA LEE LIMITED 2023
『リー・ミラー 彼女の瞳に映る世界』公式サイト
https://culture-pub.jp/leemiller_movie/index.html
長野辰次
福岡県出身のフリーライター。「キネマ旬報」「映画秘宝」に寄稿するなど、映画やアニメーション関連の取材や執筆が多い。テレビや映画の裏方スタッフ141人を取材した『バックステージヒーローズ』、ネットメディアに連載された映画評を抜粋した電子書籍『パンドラ映画館 コドクによく効く薬』などの著書がある。