FEATURE

ライゾマティクス×ELEVENPLAYによる
“新感覚”の没入型パフォーマンス
「“Syn:身体感覚の新たな地平”」

トピックス

Syn:身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY 会場風景
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2023年10月6日、虎ノ門ヒルズ ステーションタワーの最上部(45~49 階、一部8階)に新たな情報発信拠点「TOKYO NODE」が誕生した。「NODE」とは「結節点」を意味し、ビジネス、アート、エンターテインメント、テクノロジー、ファッションなど、さまざまなジャンルのコラボレーションにより、新たな体験や価値を創造し、世界に向けて発信する。

イベントインフォメーション
Syn:身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY
会期:2023年10月6日(金)~11月12日(日)
会場:虎ノ門ヒルズ ステーションタワー 45F TOKYO NODE GALLERY A/B/C
https://tokyonode.jp/sp/syn/
Syn:身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY 会場風景
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その TOKYO NODE の開館記念企画として、真鍋大度・石橋素が主宰するクリエイティブチーム「Rhizomatiks(以下、ライゾマティクス)」と、MIKIKO率いるダンスカンパニー「ELEVENPLAY」による完全新作パフォーマンス「“Syn : 身体感覚の新たな地平”」が開幕した。最新の映像技術と24名のダンサーによる生パフォーマンスというコラボレーションは、AIが飛躍的に私たちの日常生活に浸透してきた今の時代において、”身体の感覚“を呼び起こす体験を生み出す。

3つのギャラリーを使った壮大なストーリー

A、B、Cの3つからなるTOKYO NODEのGALLERYスペース。総面積約1,500㎡もの展示空間を使ったパフォーマンスは、「Prologue」「Main」「Epilogue」の3つのセクションで構成されている。

Prologue

Syn:身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY 会場風景
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宇宙船のコックピットのような空間は、とある研究施設。まるでアンドロイドのような動きのオペレーターに誘導され中へ進むと、壁にはカプセルに入ったマネキン…と思いきや、その中のいくつかは本物の人間が収められている。部屋の片隅にあるゲートでは、鑑賞者たちの顔や身体をスキャンし、その映像は逐一モニターに映し出される。

ここは“人間”を研究している施設のようだ。誰が?―AIによってコントロールされているオペレーターによって。しかしトラブルが発生する。オペレーターと壁のカプセル内の人間たちが、狂ったように踊りだす様子は、壊れたロボットのような、あるいは神懸かり状態となった巫女のような、悲壮感と禍々しさが漂う。

Syn:身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY 会場風景
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Syn:身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY 会場風景
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AIが人間を取り込み、凌駕するようになった世界。ユートピアを目指していたはずが、いつの間にかディストピアになるのは、私たちにこれから訪れる未来だろうか。そして世界は崩れ落ち、新たな世界の創造を予感させる。

Main

Syn:身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY 会場風景
Syn:身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY 会場風景

続く部屋では、鑑賞者は3Dグラスを装着する。トンネルを抜けた先で私たちを待ち構えていたのは、特殊な映像によって空間の中に浮かび上がる球体。中に何か生き物がいるのか、ドクドクと動く球体は、心臓のようでもあり、今まさにふ化する卵のようでもある。3Dグラスによって、蠢く球体から飛び散る飛沫がこちらに飛んできそうな錯覚に陥る。

Syn:身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY 会場風景
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そして、映像空間と現実空間の境界があいまいとなる中、ダンサーたちが現れ、可動式の壁を自在に動かしながら踊り始める。規則正しい秩序をもち次々にフォーメーションを変えるパフォーマンスは、クルクルと模様を変える万華鏡のような数学的な美しさを伴う。スクリーンの映像、3Dグラスで浮かび上がる像、ダンサーたちと、現実世界と映像世界のレイヤーが複雑に交差し、実像と虚像が入り混じり、鑑賞者の周囲を取り囲む映像と、次々と変形する可動式の壁によって、無限の空間を体験する。この頃には鑑賞者たちの身体感覚はもはや作品世界に溶け込み、一体となる。

Syn:身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY 会場風景
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やがて、一人だけ異なる衣裳に身を包んだ人物が現れる。その者の舞は神が降臨したかのように神々しい。その人物の思し召しか、ダンサーたちはさらに躍動し、足を踏み鳴らし、踊る。神秘さとダイナミックさで織りなされるパフォーマンスは、まるで“天地創造”だ。

Syn:身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY 会場風景
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Syn:身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY 会場風景
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そして、この“天地創造”の世界において、鑑賞者はただ傍観するだけの存在ではない。鑑賞者はダンサーの動きに合わせて前後に移動しながら鑑賞を続けるが、ダンサーの背後に映し出された映像には、会場内を移動したりパフォーマンスを見たりする鑑賞者の姿が映し出されている。鑑賞者も作品の一部へ組み込まれ、実像と虚像が何重にも折り重なる様は、合わせ鏡の中で像が無限に広がるような感覚にさえなる。「映像世界/現実空間」の二項対立ではなく、現実空間が映像の中に取り込まれ、そしてその映像と共に現実空間でさらにパフォーマンスが行われる。

Epilogue

ダイナミックな“天地創造“の世界から一転、闇と静寂に包まれた会場には、水が張った舞台の奥にはグランドピアノが一台。音楽が始まっても、舞台に立つ者はいない。演奏者もいない。しかし、鑑賞者がゴーグルを覗き込むと、バーチャル空間で演奏者が現れ、水の舞台にはヒト型のキャラクターが次々に現れて踊る。キャラクターは球体を組み合わせたタイプやブロックを組み合わせたタイプなど様々な造形をしているが、彼らの動きは実際のダンサーの動きと連動しているのだろう。そうした複数のキャラクターが踊った後、一人の人間がバーチャルの世界に現れる。

Syn:身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY 会場風景
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ゴーグルを外し、実際の舞台を確認してもそこに人はいない。にもかかわらずピアノの背後の壁にはゴーグルの中で踊るダンサーのシルエットが映し出される。現実世界では影しか存在せず、バーチャルの世界の中で生々しいリアリティをもった人間が踊っている。「居るのに居ない」あるいは「居ないのに居る」、その感覚のズレが鑑賞者を襲う。そして、そのことがとてつもなく儚く切ない。

映像という点においては、ヒト型のキャラクターと変わりがないはずなのに、一人の女性の踊る姿はやはり無機質なキャラクターのそれとは一線を画す。その違いは何か? “リアル”とはどういうことなのか?鑑賞者がその問いへの答えを探る間に、ダンサーは静かな調べの音楽に合わせて静かに踊り、そして消えていく。

映像の拡張性、ダンサーの求心性

ライゾマティクスは、技術と表現の新しい可能性を探求し、研究開発要素の強い実験的なプロジェクトを中心に、人とテクノロジーの関係を探求するクリエイティブチームで、これまで多様な視覚化や問題提起型のプロジェクトや作品制作を行ってきた。ELEVENPLAYの他、これまでビョーク、Perfume、狂言師・野村萬斎といった様々なアーティストらとコラボレーションを行い、2021年には東京都現代美術館での大規模な個展を開催している。

一方のELEVENPLAYは、ダンサーで振付家のMIKIKOが2009 年に立ち上げた女性ダンサーのみで編成されたダンスカンパニーだ。舞台、映像、スチールなど、表現の場を様々に持ち、近年はライゾマティクスとのコラボレーションによるパフォーマンスを多く行い、国内外で活動を広げる。

そんな両者のコラボレーションは年々注目度を増しているが、その魅力は「映像技術による拡張性」と「ダンスパフォーマンスによる求心性」と言えるのではないだろうか。今回のパフォーマンスでも、ライゾマティクスの映像によって、鑑賞者は自分たちがいる空間が無限に広がっていくように認識する。そうした外へ外へと広がっていく空間の中で、磨き抜かれたダンサーたちのしなやかにしなる身体が、一層強い求心力をもって我々に迫ってくる。広がっていくベクトルと、中心へ向かうベクトル、相反する力が相互に引っ張り合うことで生まれる緊張感が空間全体に張り巡らされる。しかも鑑賞者は客席から一方的に見るのではなく、常に映像とダンサーの間の緊張関係の間に置かれて、両者の引力を体感するのだ。

身体とバーチャルの関係

Syn:身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY 会場風景
Syn:身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY 会場風景

改めて本展の3つのセクションの意味を考え直すと、プロローグは、「身体(生身の人間)VSバーチャル(AI)」という対立関係と言えるだろう。「バーチャル/リアル」「機械/人間」のような二項対立による関係は最終的には一方が他方を凌駕し駆逐する、もしくは両者もろとも崩壊へと進む。

続くメインの会場では「身体」と「バーチャル」は共存関係となる。“創造”をテーマにしていると思われるパフォーマンスは、広がり続ける映像空間の中で、ダンサーによる身体は一層強い求心力を持ち、その両者が高いレベルで均衡するからこそ、ダイナミックで壮大なストーリーが紡がれる。またここでは、「完全さ/不完全さ」の違いとして語ることもできるだろう。幾何学模様によって構成された映像はシンメトリックで、破綻の無い“完全さ”がある。一方で、ダンサーたちはどれだけ同じ格好で、同じ踊りを踊っても、当然ながら一人一人プロポーションも違えば、細かな表現が異なる。言ってしまえば“不完全さ”であるのだが、その不完全さがあるからこそ、全体として匂い立つようなニュアンスが生まれる。

そしてラストのエピローグで両者は融合する。映像だけでは、ラストの繊細な感情の揺れ、儚さや切なさを生み出すことはできず、反対にダンサーが実際に水を張った舞台で踊ったとしても、迫力が出過ぎてしまい、あの感動を生むことはできなかっただろう。両者が融合することで生まれる新しい感覚が、ピアノの音色と共に示されていると感じた。

コロナ禍によって仕事のリモート化や非接触が推奨され、AI技術の発展によって情報を得るためのプロセス(時間)が極端に短くなった。そうした現状は、言い換えれば「身体の感覚」が薄まる、あるいは奪われる状況と言える。そうした世界を迎えた今だからこそ、改めて「身体の感覚」を研ぎ澄ますことの意義が問われる。

今回ここで紹介したストーリーは、あくまでも筆者が体感したイメージに基づく。映像とダンスのみで構成されたノンバーバルなパフォーマンスに明確な答えはない。別のストーリーを感じ取る人もいるだろう。それぞれがそれぞれの身体、そして感覚でもって、このパフォーマンスのストーリーを紡いでほしい。その「差異」こそ、これからの未来において新しい地平を拓くための手がかりとなるはずだ。

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