精神的支柱としての法華信仰を核に
天才、本阿弥光悦の実像に迫る
特別展「本阿弥光悦の大宇宙」が、東京国立博物館・平成館にて2024年3月10日(日)まで開催
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構成・文・写真:森聖加
本阿弥光悦(ほんあみこうえつ/1558-1637)は、安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した人物で、刀剣の研磨や鑑定などを家職(家業)とする京都の名門一族、本阿弥家に生まれた。光悦は書に優れ、いわゆる「寛永の三筆」として知られるほか、漆工品、陶芸、作庭など、創作活動は多岐にわたる。展覧会タイトルの通りその世界は「大宇宙」のように広がっていて、実像は容易に捉えがたい。東京国立博物館の特別展「本阿弥光悦の大宇宙」は、多芸に秀でた天才の姿を光悦と一族が信仰した日蓮法華宗を核に解き明かす、既存の見方を変える展覧会だ。
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- 特別展「本阿弥光悦の大宇宙」
開催美術館:東京国立博物館 平成館
開催期間:2024年1月16日(火)〜3月10日(日)
※会期中、一部作品の展示替えを行います。
「美しいものを懸命につくる」。光悦の創作は功徳の表れ
東京国立博物館 学芸企画部長 松嶋雅人氏は、特別展「本阿弥光悦の大宇宙」の概要説明で「本展はこれまでにない光悦展になっているはずです。造形の世界の最新研究を踏まえながら、光悦が篤く信仰した日蓮法華宗に関わる事項にも目を向け、特に力を注ぎました」と、強調した。本阿弥光悦の全貌を読み解くカギは、信仰にある。そう断言するのだ。
光悦は「琳派の祖」とよく言われるが、松嶋氏は琳派を軸に光悦を読み解くさまざまな場での取り組みが、実態を見えなくしていると感じていた。「信仰に目を向けるといっても、法華経信者だから信仰が大切だという話ではありません。当時の信仰の場では過去帳などの資料が残っており、そこから人々がどういう関係性をもっていたかがわかります。日本の造形は実際には職人が制作を行いますが、関係者がわかれば自ずと需要者が見える。明らかになった事柄をつなぐことで光悦の実像が見えてきます。今までの美術史はこの点に関心が薄かったのではないかと思います」
「また、琳派の説明では実際には絵画の話が中心で、工芸作品の話は局所的に取り上げられることが多いと思います。基本的に光悦は、絵は俵屋宗達や別の絵師に任せ自身はそのディレクションに関わるほどだと思います。尾形光琳以降は絵画の継続性は見て取れます。光悦自身はもちろん、(後世にそう呼ばれるようになった)琳派を知りません。ゆえに琳派の視点から光悦を見ると実像が見えにくくなります。美術史の今までの方法論以外にも信仰の視点を加えることで、現在に残る作品がどんな意味をもつのか見方を変えましょう、というのが本展のねらいです」
本阿弥家をはじめ当時の京を代表する上層町衆は多くが法華信徒であり、宗門側のすすめもあって互いに姻戚関係にあった。松嶋氏は次のように続ける。「光悦らは信仰のために創作していたともいえます。これは彼らの現実的な対処と重なっています。日蓮法華宗は現世利益を肯定する宗派であり、他の仏教宗派の多くでは救いは来世に求められることが多いと思います。法華信徒にとっては、日常の暮らしにあって懸命に制作に励むことが功徳になる。法華経に書かれている『娑婆即寂光土(しゃばそくじゃっこうど※)』になります。それを皆で目指していたのでしょう」
※現在生きる世界がそのまま仏のいる浄土であると捉えること
光悦の美のバックボーンとしての家職と信仰
第1章「本阿弥家の家職と法華信仰―光悦芸術の源泉」では、一門の家職、刀剣三事(とうけんさんじ=磨礪〈とぎ〉、浄拭〈ぬぐい〉、鑑定〈めきき〉)と、法華信仰に関する品々を並べる。刀剣の価値を見定める審美眼と、刀剣を介した人脈――光悦の後半生に結実する創作の背景を知るセクションだ。
本阿弥家が別格として高く評価した相州正宗や郷(江)義弘の刀剣、刀剣に関する書物、鑑定に関わる「折紙」などの品々が紹介されるなか、注目は、光悦が所持したと伝わる唯一の刀剣、重要美術品《短刀 銘 兼氏 金象嵌 花形見(たんとう めい かねうじ きんぞうがん はながたみ)》である。地鉄(じがね)と刃文を強調する、刀工・志津兼氏のつくりの特徴をじっくりと眺めたい。刀装には朱漆の鞘に金蒔絵で忍ぶ草という植物文様を施す。その言葉と意匠に、本阿弥家の分家に生きた光悦の秘めた思いも窺えるという。
後半では、信仰の証として光悦が寄進した扁額の数々や経典、書状などを紹介する。光悦の揮毫による日蓮諸宗の本山に掲げられた扁額は、いずれも寺外での公開は初めて。また、一門の菩提寺、京都・本法寺に奉納した重要文化財《紫紙金字法華経幷開結(ししきんじほけきょうならびにかいけつ)》は、平安時代中期の三蹟(さんせき※)で知られる小野道風筆と伝わるものだ。本法寺には本阿弥家が私財を投じて堂宇の建立、整備に尽力したほか、さまざまな形で寄進を行った。
※平安時代中期の代表的な能書家、3人を尊崇する呼称
空前絶後の造形はいかに生み出されたか?
「《舟橋蒔絵硯箱》は、戦乱の世である室町時代が終わり、平和の世、江戸時代へと移るなかでつくられました。本来、硯箱は四角であればいいものを膨らませています。前の時代に同様の造形はなく、後にもありません。大きなエネルギーを視覚的に感じさせ、私には信仰の力強さも見えてきます」と松嶋氏。
「光悦蒔絵」と呼ばれる一連の漆工作品は、繊細な蒔絵のわざに大きな鉛板を持ち込み、華麗な螺鈿を用いる大胆な造形を特徴とする。第2章「謡本と光悦蒔絵―炸裂する言葉とかたち」では、独特の表現やモチーフの背景に光悦が愛好した謡曲の文化があったと考え、謡本の料紙と光悦蒔絵のデザインの関係性に注目しながら、造形のありようを紐解いていく。
「自分の信仰の心持ち、理想像の具現化を可能にしていたのが、日蓮法華宗を通した京の町衆のネットワークです。後藤(彫金)、俵屋(絵画)、五十嵐(蒔絵)、樂(茶碗)らといった裕福な商工業者は最高の技術を有すると同時に、材料の占有が可能だったのでしょうか。そうでなければ、これらの品々は生まれません」と松嶋氏。この言葉を留めながら各章を見て行けば、必ずや新たな発見があることだろう。
自在に変化し料紙の上に舞う、光悦肉筆の世界
第3章「光悦の筆線と字姿―二次元空間の妙技」では、能書(のうしょ)とうたわれた光悦の変化に富んだ筆の表現を書状や和歌巻などで追う。光悦の書は、肥痩をきかせた筆線の抑揚と下絵に呼応した巧みな散らし書きで知られるが、重要文化財《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》はその代表作。俵屋宗達が金銀泥で鶴の下絵を描いた料紙に、光悦が三十六歌仙の和歌を書いた和歌巻は、ふたりが才能の相乗効果で異なる時空を創造した場の空気も写し込んでいるようだ。
一方で、法華経を象徴する蓮の花を下絵にした《蓮下絵百人一首和歌巻断簡》では、真摯な信仰を表している。晩年は中風(当時でいう脳卒中)をわずらい、手の自由がきかないなか筆を傾けながら書いたといい、けっして筆を離さなかった達人の心意気に触れられるだろう。
清貧に暮らし、報酬は一切受け取らず
光悦は元和元(1615)年、徳川家康より京都洛北の鷹峯(たかがみね)の地を拝領した。この頃から樂家二代常慶とその子道入との親交を深め、茶碗制作をはじめた。第4章「光悦の茶碗―土の刀剣」では、光悦茶碗と樂茶碗を並べて創造の軌跡をたどる。「手づくね」による成形で一碗、一碗に刻まれた光悦の手の動きを眺めよう。
最後になるが、贅を凝らした硯箱、茶碗など光悦が創作に関わったとされる品々に対して、ほとんど報酬のやり取りの記録は見いだせない、と松嶋氏はいう。「本阿弥家はとても清貧に暮らしていました。大変なお金持ちですが、物をつくって売る活動は見えません。鑑定していれば暮らしに困らないからでしょう」。こうした事実からも、光悦の美の探究は暮らしのなかでの功徳であることが知れるのだった。
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- 東京国立博物館|Tokyo National Museum
110-8712 東京都台東区上野公園13-9
開館時間:09:30〜17:00 ※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日、2月13日(火)※ただし、2月12日(月・休)は開館