“世界初”にして“決定版”-
武士から浮世絵師となった鳥文斎栄之の画業を一望する展覧会
「サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展」が千葉市美術館にて2024年3月3日(日) まで開催
内覧会・記者発表会レポート 一覧に戻るFEATURE一覧に戻る
2024年、新年の幕開けと共に千葉市美術館では世界初となる、ある浮世絵師の展覧会が開催された。その名も「鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)」。かつて喜多川歌麿と人気を拮抗したほどの重要な浮世絵師でありながら、驚くことに栄之の名前が銘打たれた展覧会はこれまで開催されてこなかった。
その理由には、明治期に作品の多くが海外に流出し、展覧会を開催するほどの作品を集めるのが困難だったという事情が大きい。しかし言い換えれば、早くから海外でも高く評価されていたことの証とも言える。そのため、海外の美術館からの里帰り作品も含め、156点(展示替えあり)が集結する本展は、鳥文斎栄之の全貌を知る貴重な機会なのだ。
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
- サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展
開催美術館:千葉市美術館
開催期間:2024年1月6日(土)~3月3日(日)
将軍の絵具方から浮世絵師に転身した異色の経歴
「サムライから浮世絵師へ」という副題の通り、栄之(1756-1829)は旗本細田家の長男として生まれ17歳で家督を継ぐと、天明元年(1781)には江戸幕府10代将軍・徳川家治(1737-86)の御小納戸役として「絵具方(えのぐかた)」という、将軍のために絵具の用意をする役職に就く。この旗本時代に栄之は、御用絵師である狩野栄川院典信(かのえいせんいんみちのぶ・1730-90)に絵を学んでいる。実は栄之の「栄」の字は、師である「栄川院」に由来しているのだ。
天明6年(1786)に将軍家治がこの世を去り、田沼意次(1719-88)が老中を罷免された頃、栄之は本格的に錦絵を手掛けるようになり、やがて武士の身分を離れ浮世絵師となる。この頃の錦絵業界はというと、美人画で人気を博した鳥居清長が、歌舞伎の看板絵などの製作を家業とする鳥居家の4代目を襲名し、美人画の制作から離れていく時期で、清長の版元であった西村屋与八としては、新たなスター絵師を擁立したい頃であった。蔦屋重三郎と喜多川歌麿のタッグによる大首絵が人気となる中、西村屋は武士であった栄之が描く洗練された上級階級の女性の姿に活路を見出す。
葛飾北斎、歌麿など、今では日本美術のスター絵師である彼らも、細判の役者絵など安価な仕事からキャリアをスタートさせているのに対し、栄之は初期の頃から大判の三枚続、五枚続を手掛けるという異例の扱いで、早くから大作を任されている。こうした豪華な作品は、一般庶民というより富裕層に向けて製作されたものと考えられ、元武士という栄之の出自を踏まえた戦略と思われる。その戦略は功を奏し、結果的に華やかさと洗練された趣が共存する栄之ならではの美人群像が確立された。
栄之の女性像を象徴する「全身座像」
こうして華々しくデビューした栄之だが、その画業と作風については、「全身座像」「紅嫌い」「肉筆画」の3つのポイントを押さえておきたい。
錦絵の製作を始めた栄之は、やがて歌麿と拮抗するほどの人気を得る。多くの遊女絵を描き、後に「青楼の画家」と称された歌麿だが、その歌麿と人気を二分した栄之もまた「青楼の画家」と呼ぶに相応しく、多くの遊女を優美に描いている。
歌麿が大首絵で女性の芳醇な色気を画面いっぱいに描き出したのに対し、栄之は全身座像でスッキリとした粋で品格漂う女性像を描いた。なだらかな首筋とシャープな襟の対比が艶めかしく、そこから垂直に急降下するように描かれた背中(あるいは腕)のラインによって、シックで粋な女性の魅力が醸し出されている。手元の細部にまで神経が行き届いた、ほどよい緊張感の漂う優美な栄之美人だが、その特徴をもっとも感じられるのが全身座像だろう。
また、栄之は遊女の他にも武家の女性の嗜みを描いた作品など、上級階級の女性たちの姿も多く描いている。こうした画題が多いのも武家出身である栄之の大きな特徴だ。
栄之美人の真骨頂「紅嫌い」
そうしたシックな栄之の錦絵の真骨頂とも言えるのが、「紅嫌い」と呼ばれる作品群だ。「紅嫌い」とは、錦絵で多用される紅色を限りなく排した作品のこと。栄之以外にも「紅嫌い」を手掛けた絵師はいるが、質量ともに充実した作品を残しているのは、栄之をおいて他にいない。
展覧会では、「紅嫌い」の章になった途端、モノクロームの世界が広がり、それまでの華やかなムードから一転し、見ているこちらも思わず背筋を正したくなるような格調高い雰囲気が画面から漂ってくる。
この「紅嫌い」の本領が発揮されるのが、本来高貴な身分の人物を当世風俗に置き換える「やつし」の手法で描いた作品など、古典文学を典拠とする作品だろう。《風流やつし源氏 松風》では全体の色調は抑えられ、落ち着いた典雅な雰囲気が醸成されている。その上で、それぞれの着物の柄は『源氏物語』のエピソードにちなんだ柄が描かれており、画面にさりげない華やかさを添えると共に、読み解きの楽しさも込められている。
画業の後半期に花開く「肉筆画」の世界
寛政10年(1798)頃より、栄之は錦絵出版から離れ、肉筆画を描くようになる。当時寛政の改革で錦絵の規制が厳しくなる中、武家出身の栄之は他の浮世絵師のように反逆する態度は取れなかったのではないかと推察される。本展では、新出初公開となる《和漢美人図屏風》をはじめ、栄之の貴重な肉筆画の作品も多く展示されている。
これまでの製作で培ってきた描写力はそのままに、さらに肉筆画特有の繊細な線や色調表現により、栄之の美人像はなお一層のかぐわしい色気をまとい、画面の中で気高い姿を見せる。
また、墨田川も依頼主から人気があったようで、多くの作品が残っている。《墨田川風物図屏風》では、墨田川の景観が風情を情感たっぷりに描かれているのはもちろんのこと、有名な料亭「青柳」といった歓楽地や、「御船蔵」など武士に関係のある施設も実際の位置に対応するように描かれており、地誌的な側面も持ち合わせている。
世界に1点の貴重作も。多彩な栄之の門人たち
本展では栄之だけでなく、その門人と目される人物の作品も1章を割いて紹介されている。天明7年(1878)と、栄之の画業の初期の段階から五郷(ごきょう)という門人がいたことが分かっている。その他、鳥高斎栄昌、鳥橋斎栄里、一楽亭栄水の名が知られているが、いずれもその詳しい来歴は判明していない。多くが武家出身で、その出自を隠しておきたかったのではないかと考えられるが、興味深いのは、栄之の師で「栄」の字の由来でもある狩野栄川院典信の典信の門人にも「栄里」「栄水」と、同じ号を持つ人物がいたことである。典信率いる木挽町狩野派との関連について確実なことは言えないが、今後注目したい点だ。
門人の作品の中でも、鳥高斎栄昌の《郭中美人競 大文字屋内本津枝》は、なんと錦絵で世界に1点しか確認されていない大変貴重な作品だ。師の栄之とは異なり、栄昌は大首絵を多く手掛けており、元気に遊ぶ猫を抱きかかえる遊女の姿を大胆かつ愛らしく描いている。着物の線も太く大胆に引かれており、女性の滑らかな肌とのコントラストが強調されている。
また栄之門下の作品のほか、太田南畝など栄之を取り巻く文化人との関係を示す資料も展示されており、多様な側面から栄之の画業をひも解いていく。
世界初という記念すべき展覧会であり、また決定版と言えるほどの作品が集う本展覧会。その意味で2024年は鳥文斎栄之を改めて“発見”する年と言えるかもしれない。この貴重な機会をぜひともお見逃しなく。
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
- 千葉市美術館|Chiba City Museum of Art
260-0013 千葉県千葉市中央区中央3-10-8
開館時間:10:00~18:00、金・土曜日は10:00~20:00まで(入場受付は閉館の30分前まで)
休室日:2024年2月5日(月)、2月13日(火)