島の豊かな恵みと命の輝きを全身で感じる「豊島」
アート好きの心を満たす旅 / アートの島 VOL.03 豊島・香川県
アート好きの心を満たす旅 / アートの島 直島・豊島(香川県)
VOL.01 直島【前編】 VOL.02 直島【後編】 VOL.03 豊島
瀬戸内海の「アートの島」は直島だけではない。直島の東側、小豆島との間にある豊島(てしま)もまた、特別なアート体験ができる島だ。豊島は香川県小豆郡土庄町に属し、島へのアクセスは高松港・宇野港からの直通便のほか、直島から小型船が出ている。中央の壇山にスダジイ、クヌギなどの原生林が広がり、「唐櫃(からと)の清水」と呼ばれる豊かな湧水によって、古くから稲作をはじめとする農産業や漁業、酪農が盛んで「食の豊かな島」として栄えた。人口約700人の非常に小さな島だが、その豊島が直島と並ぶ「アートの島」になったのは、2010年に開館した豊島美術館の存在が大きい。直島とはまた違ったアプローチによって、島の自然とアートのコラボレーションが実現している。
豊島の自然を特別な空間で感じる「豊島美術館」
豊島でのアート体験で外すことができないのが、唐櫃の小高い丘に建つ豊島美術館だ。豊島美術館へは家浦港からバスで約14分。小さい島なので、電動自転車をレンタルして巡るのも島の雰囲気を肌で感じることができるのでおすすめだ(家浦港から電動自転車で約30分)。美術館までの道中は起伏があるが、電動自転車なら負担も少ないため、気持ちよくサイクリングを楽しむことができる。
一本道の山間を進むと、瀬戸内海を望む棚田の景色が目に飛び込んでくる。その一角に、豊島美術館は建つ。「建つ」という言葉に少し違和感を抱いてしまうほど、建物全体はなだからか丘陵に沿った外観で、周囲の景観に溶け込んでいる。広さ約40×60m、最高高さ4.3mの空間に柱が1本もないコンクリート・シェル構造で、角がない滑らかなフォルムは、「一滴の水が地上に最初に落ちた瞬間」を想起させる。そしてこの美術館には、油絵や彫刻など一般的に “アート作品”としてイメージされるようなものは一切ない。
この不思議な美術館を手掛けたのは、アーティスト・内藤礼と建築家・西沢立衛だ。中に入ると、まず目に入るのは天井に穿たれた大きな2つの穴。ぽっかりと空いた開口部から、周囲の風、音、光が直接入り込む。
鑑賞者はその空間の中で、歩き回ったり、座ったり、寝転んだりしながら、空の色、自然の音、空気、水の動きなど、移ろい続ける自然を五感で感じ取る。滑らかな曲線が包み込む空間は、訪れた者に居心地の良い安心感を与えつつ、適度に外部を遮断することで、全身の感覚器官が研ぎ澄まされる。この感じは少し茶室と似ていると感じた。極限まで余計なものをそぎ落とし“日常”を遮断した茶室という空間では、道具の設えや活けた花などわずかな要素が自然の美を象徴し、釜や水を灌ぐ音、外からの漏れ聞こえる音、香や茶の香りを細やかに感じ取る。その体験と同じで、この美術館でも適度に外部を遮断し、心身の感覚をより細やかにし、目に映る様々なもの、音、匂い、感触、温度、それらの感度が高まる。
ふと気づくと、鑑賞者たちの姿がコンテンポラリーダンスのパフォーマンスのような、あるいは植田正治の写真のように、緊密感のある構図で独特な空気を纏っているように感じた。なぜだろうかとしばらく眺めていたが、それぞれが瞑想的な時間を過ごしている(たとえ2人連れで寄り添うように座っていても、意識は各々の世界へと没入する)その面差し、そして自分の居場所を探る中でおのずと人との距離を測り、互いの世界を侵食しない絶妙な間合いを保とうとする無意識の心理が、この独特の緊張感を生み出しているのだろう。他者の気配を感じ取り「今ここにいること」を共有しながら、各々の世界へと沈んでいく。“作品”のないこの唯一無二の美術館には、そうした特別な時間が流れている。
“命”のすがたを求め巡礼する「心臓音のアーカイブ」「ささやきの森」
豊島美術館を出て、さらに島の東側に向かって自転車を漕ぐ。気持ちよく風を切り走ること約13分。島の最果てのような海岸線に建つ1つの小屋へ辿り着いた。この終着駅のような建物には、クリスチャン・ボルタンスキー(1944-2021)が2008年から行ってきたプロジェクトを収蔵する《心臓音のアーカイブ》がある。このプロジェクトで、作家は世界中の人々の心臓音を録音、蒐集し、試聴できるようにした。ここでは蒐集された心臓音を恒久的に保存・試聴できるようにし、また心臓音を用いたインスタレーション作品が展示されている。そして別途登録料を支払えば、自分の心臓音を録音することも可能だ。
展示室は、細長い室内の中央に天井から垂れる電球が1つあるのみ。それがランダムに流れる“誰か”の心臓音に合わせて点滅する。心臓音は大きさもテンポも刻むリズムも、驚くほど1人1人異なる。その音に合わせて明るくなったり暗くなったりする部屋の中にいると、自分自身が心臓になったような、あるいは血管の中に入ったような感覚に襲われる。名前も知らない誰かの体の一部になるような体験は神秘的で、その人の生命そのものに内側から触れてしまったような畏怖の念も感じる。
「生きている」ことをダイレクトに知覚する作品だが、作家のボルタンスキーがそうであるように、心臓音を録音した人の中にはその後亡くなった人もいるだろう。ボルタンスキーの死は世界中に知れ渡っているが、その他の人々については知り得ない。今もまだ鼓動しているかどうか定かではない心臓音の響きは、何億光年も離れた星の光を見ているようなものかもしれない。すでに消滅しているかもしれない星の光を、地球上の私たちは今見ている。永久に保存され鼓動する心臓音は、夜空に瞬く星の光のように、「今ここに存在していること/かつてここに存在していたこと」を、おだやかな豊島の海の傍で密やかに証明し続けている。
ボルタンスキーの作品は、森の中にもある。檀山の中腹にあたる《ささやきの森》と名付けられた場所には、無数の風鈴が木々に吊るされ、風に揺れ動き、静かな音を奏でる。
《ささやきの森》までは、最寄りのバス停・駐輪場から徒歩での移動(約18分)となる。しばらく山道を歩くと、無数の風鈴が吊るされた場所にたどり着く。それぞれの風鈴に付けられた透明の短冊(プレート)には名前が記されている。誰でも短冊に名前を残すことができ、直筆で書かれた名前はそのままの文字で短冊に刻まれ、作品の一部となって風に揺れる。透明の短冊に書かれた名前は木々の風景に溶け込み、鐘はその魂の音色を響かせる。吹き抜ける風と共に響く慎ましい音色に包まれると、自然と心が落ち着き、無数の風鈴が1人1人の人格を持ち、彼らの囁き声のように思えてくる。《心臓音のアーカイブ》が、物理的な命の形である「心臓の鼓動」を扱うのに対し、《ささやきの森》では、その命に宿る「魂」を表しているようだ。
島の恵みをいただく「島キッチン」
豊島美術館やボルタンスキーの作品を巡っていると、そろそろお昼時だ。食が豊かであることが島の名前の由来にもなっている豊島では、食事も存分に楽しみたい。
島の人々によって栽培された野菜を使ったランチが食べられる「島キッチン」は、2010年に「瀬戸内国際芸術祭」を機にオープンした。建築家・安部良によって空き家だった家を再生し、島民の手伝いのもと、瀬戸内国際芸術祭のサポーター団体であるNPO法人瀬戸内こえびネットワークによって運営されており、「食とアート」で人々をつなぐ出会いの場として、毎月島民の誕生日会を催すなどイベントも開催されている。豊島の豊かな食材を使ったメニューと運営する島民の方々の笑顔は、この島のもう1つの魅力を存分に味わうことができる。
古民家で横尾流の生と死の輪廻を巡る「豊島横尾館」
アーティスト・横尾忠則と、建築家・永山祐子による「豊島横尾館」は、家浦港にほど近い古い家屋を改修して作られた。塀に取り付けられた赤い色ガラスは強烈な存在感で、訪れた者を早速引き込む。
ここでは、「母屋」「倉」「納屋」に展示される11点の絵画作品と、「庭」や円筒状の「塔」、「トイレ」に設置されたインスタレーション作品を観ることができる。全体を通して「生と死」「性(せい・さが)」という生命の根幹がテーマになっており、たとえば絵画作品では、ベックリンの《死の島》や江戸時代の春画など、過去の芸術作品や主題を作品の中に取り込みながら、横尾流の死生観が表現されている。
強烈な色彩の絵画作品、現実の空間とは思えぬ眩惑的な庭園、色ガラスで二重、三重に見える映り込んだ鑑賞者自身の姿…「いったい自分はいつから悪夢の中をさまよい出したのか」と思わずにはいられない。古民家の中に目まいがするほどの毒々しい生命の輪廻が高い密度で圧縮されたように展開され、血管の中で血が沸々を沸騰するようなザワザワとした感覚が体中を巡る。豊島美術館やボルタンスキーの作品のような、自然に溶け込み心を鎮める体験とは対照的に、ここでは湧き上がる生命の血潮といった動的な体験をもたらす。
忘れ去られたモノの再生の物語「針工場」
豊島横尾館を出てさらに家浦岡集落の奥へと進むと、アーティスト・大竹伸朗が手掛けた「針工場」がある。廃業となったメリヤス針の製造工場跡に、大竹の地元である愛媛県・宇和島の造船所で一度も本来の役目を果たすことなく約30年間放置されていた漁船の木型が設置されている。時代の移り変わりによって役目を終えたもの、役目すら与えられず忘れ去られてしまったもの、別々の記憶を背負った2つの存在が重ね合わせられることで、新たな引力を持ち始める。逆さになった状態で工場の中央に鎮座する船型は、かつてあった「船」という文脈は消え、まるで大きな生命体のような力強いエネルギーを放っている。
全長17mを超す船型は、切断することなく一隻丸ごと台船に載せられ、宇和島から瀬戸内海を渡って豊島へと運び込まれた。この壮大なプロジェクトの記録映像や写真資料も見ることができるが、島民たちが一丸となって船を引く様子は、まるで祭りで神輿を引く光景のようだ。こうして共同作業をした記憶が、この場所に宿り、語り継がれていくことで、新しい物語が紡がれていくことだろう。
直島・豊島の旅。島特有の穏やかな時間が流れる中で感じる現代アートは、優しく、時に鋭く見る者の心を捉える。今回は訪問できなかったが、岡山県・犬島には犬島精錬所美術館があり、銅の製錬所だった場所で展開されるアートプロジェクトを見ることができ、直島や豊島ともまた違う形で、島の歴史と現代アートが融合している。瀬戸内海の島々を巡るアート旅は、それぞれの島が持つ歴史や文化・風土に合わせて、その場所だからこそ生まれるアートを、全身で体験することができる。
これらの瀬戸内海の島々を舞台に3年ごとに開催される「瀬戸内国際芸術祭」は、2010年の開催以降、回を重ねるごとに注目度が高まっている。芸術祭特有の、島民も来島者も一体となった祝祭性溢れるムードを楽しむのも良いが、芸術祭がない時期であれば、ゆっくりと島の自然とアートに向き合うことができ、島に流れるゆったりとした時間に身を浸すことができる。ぜひとも瀬戸内海の島々を、時間をかけてじっくりと味わいながら巡ってほしい。穏やかに揺れる瀬戸内の海の上で、沈む夕日を眺めながら思うのだった。