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“不確かなもの”の気配をかたちにする
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」

内覧会・記者発表会レポート

〈Gravity and Grace〉の前に立つ大巻伸嗣
国立新美術館にて開幕した、現代美術家 大巻伸嗣の個展「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」にて
〈Gravity and Grace〉の前に立つ大巻伸嗣
国立新美術館にて開幕した、現代美術家 大巻伸嗣の個展「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」にて

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大巻伸嗣(1971‐)は、「存在するとはいかなることか」をテーマに、身体の感覚を揺さぶる大規模なインスタレーション作品を制作する現代美術家で、日本をはじめ世界各国で高い評価を得ている。

その大巻の個展が国立新美術館で開幕した。美術館で最大となる、天井高8m、2000m²にも及ぶ展示室をダイナミックに使ったインスタレーションをはじめ、映像作品や最新の絵画作品、そしてこれまでほとんど公開することのなかったドローイングによって、大巻の芸術世界に触れる。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ
開催美術館:国立新美術館
開催期間:2023年11月1日(水)~12月25日(月)

世界を表す壺に残された「希望」―〈Gravity and Grace〉

本展は、3つの巨大なインスタレーション作品と、ドローイング群の大きく2つの構成で成り立つ。

〈Gravity and Grace〉
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館
〈Gravity and Grace〉
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館

訪れた者をまず迎え入れるのは、2016年より始まった〈Gravity and Grace〉シリーズの作品だ。広い空間にそびえる巨大な壺。その表面には花や鳥などの文様が透かし彫りで表されており、壺の内側にある強烈な光源によって壁や床に文様の影が投影される。その圧倒的な存在感と、百花繚乱に表された文様の繊細さが相まって、鑑賞者は作品に引き寄せられる。

この作品の制作には、原子力への問題意識が背景にある。人類にとってエネルギーをもたらす一方で、事故が起これば未曽有の惨事につながる原子力という存在。2011年の東日本大震災とそれに伴う原発事故は、大巻にその両義性を突きつけた。タイトルの〈Gravity and Grace〉は、フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの箴言集『重力と恩寵』に由来する。ヴェイユによれば、重力によって縛られた私たちは、真空を受け容れることにより、神から恩寵を得られるという。ある事物がもたらす“恩寵“と、請け負わざるを得ない負の側面、その両義性について述べたこの言葉を大巻はタイトルにした。

花や鳥で覆われた表面には、よく見るとその隙間を縫うように世界地図が施され、人類の進化を思わす図様も含まれている。世界を壺に見立てているが、そこには災いの象徴である「パンドラの箱」が本来は壺であったという説が意識されている。ギリシャ神話において、災いを詰め込んだ箱を、パンドラが地上で開けてしまったため災いが外に溢れ出てしまい、慌てて蓋を閉めたことで、箱(壺)の底には「希望」が残ったという物語から、全てが空になった時に残る希望の存在を大巻は作品にした。

「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館

展示室内では、作品のスケールの大きさ、繊細で華麗な文様に目を奪われ、つい壺を見上げて展示室を後にしてしまいそうだが、少し作品から離れてじっと床を眺めてほしい。黒い床には随所に英語や日本語の文字が、よく見なければ気づかずに踏んでしまう位にひっそりと散りばめられている。壺から漏れる光によってわずかに浮かび上がるそれらの言葉は、関口涼子氏による詩の一節だ。足元に密やかに浮かぶメッセージ、その「気配」に気づき、その言葉をすくい取ってほしい。

〈Gravity and Grace ̶ moment 2023〉
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館
〈Gravity and Grace ̶ moment 2023〉
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館

本展では、さらにこの作品を用いたフォトグラム(カメラを使わず印画紙の上に直接物を置いて焼き付ける手法)の作品も展示されている。〈Gravity and Grace〉の展示室を出た通路の壁、鑑賞者の頭上に掲げられた〈Gravity and Grace ̶ moment 2023〉は、壺の内側に入った人物の体をまるでスキャンするように焼き付ける。人の姿は白いシルエットとなって紙に定着する。この作品について大巻は、広島の原爆によって人の影だけが残った像(「人影の石」)が作品のイメージのもとにあると述べる。「不在の存在」、光が当たった部分が黒くなり、影の部分が白く現れる「光と影の逆転」の性質に注目する。

複数の光源をもつ〈Gravity and Grace〉内での撮影によって、写された像はその輪郭が所々揺らぎ、周囲の文様の像と相まってまるで捉われた者のような畏怖もあれば、教会に並ぶ聖者の彫刻像のような崇高さも感じさせる。

「気配」を形作る〈Liminal Air Space—Time 真空のゆらぎ〉

《Liminal Air Space—Time 真空のゆらぎ》
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館
《Liminal Air Space—Time 真空のゆらぎ》
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館

真っ暗な暗闇の中で、宙を舞う巨大な半透明の布。まるで海中を漂うクラゲのような、あるいは打ち寄せる波、煙、靄…さまざまなイメージが、寄せては返す。

この幻想的な作品を作るきっかけとなったのは、ビニール袋が水溜まりに落ち、沈んで見えなくなった光景だった。「見えていないけれど存在する」、あるいは逆に「見えているものは実際にはそうではないのではないか」という疑念から、捉えることのできない「気配」を空間の中に立ち表そうと試みた。

「動く彫刻」といえば、「キネティックアート」と称される動力で動くオブジェや、アレクサンダー・カルダーのモビールなどが想像されるが、それらの作品が一定の動きを繰り返すものであるのに対し、大巻の作品は絶えず変容し、予測不可能で、二度と同じ形になることはない。現れては消え次々に形を変え続ける様子は、神秘的で儚さをまとうが、大きく布が翻った時には思わぬ迫力でこちらに迫りくる。

タイトルの「Liminal(リミナル)」とは、「閾(いき)の」という意味だ。「意識/無意識」「彼岸/此岸」「見えるもの/見えないもの」…揺らぎ続ける巨大な布は、あらゆる境界のはざまを曖昧にするように宙で漂い続け、その光景に私たちの感覚は揺らぎ続ける。

人間の本質とはどこにあるのか―〈Rustle of Existence〉

「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館

〈Liminal Air Space—Time 真空のゆらぎ〉の部屋を出て、カラフルなドローイングの廊下を抜けると、映像作品〈Rustle of Existence〉の展示となる。近年大巻は「言語」に関心を寄せており、この作品では作家の家の近くの雑木林の映像に、言語学者へのインタビューと自身の思索が織り交ぜられている。大巻は、個展のために訪れた台湾で現地の言葉が失われる危機にあることを知り、制作活動の根幹のテーマである「存在」という問いに対し、「言語」からのアプローチを試みている。

〈Rustle of Existence〉
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館
〈Rustle of Existence〉
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館

調査する中で、「言語がいろいろな人に影響し、コロナウイルスのように人に乗り移っていきながらトレースされ、神話や宗教などに広がっていくのを知ったとき、人間は言語の乗り物にすぎない」のではないかと考えるに至った大巻。人間と言語の主従関係が逆転するような仮説とともに、コロナ禍という世界規模の未曽有の事態に直面し、「人間は思っていた以上に自分でコントロールできることはない」という思いと重なり、人間の本質とはどこにあるのか、という問いを「言語」を手掛かりに模索する。

ドローイングが示す作家の思考の跡

「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館

「ドローイングは常に未完」であると考える大巻。ドローイングは製作過程において思考を深め、何を作るべきかを模索するための作業であり、「何をするべきか」が見えたら、次は本番になるためドローイングは常にその一歩手前の「未完」なのだと語る。

そんな大巻は、これまで自身のドローイングを公開することはほとんどなかったが、本展では今回のインスタレーション作品の制作に関する設計図やメモをはじめ、これまで携わった舞台作品のためのドローイングなど、貴重な資料が展示されている。

本展の〈Gravity and Grace〉のためのドローイング
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館
本展の〈Gravity and Grace〉のためのドローイング
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館

「最終的に出来上がった作品だけを見たら、簡単に作品が出来上がるように思えてしまうが、いかに芸術家が“身体”を使って、探っているかというのを感じてほしい」と語る大巻は、現在でも大学で教鞭をとっており、芸術活動における「作家の身体性」の重要性を、作り手側も鑑賞者側にも感じてもらいたいと訴える。

〈Drawing in the Dark〉
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館
〈Drawing in the Dark〉
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景 2023年 国立新美術館

そんな大巻の思考の深化を示すのが、最後の展示室に飾られている2枚の黒一色に塗りつぶされたカンヴァスだ。〈Drawing in the Dark〉と名付けられた本作は、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』で言及されている羊羹の一節に着想を得たという。『陰翳礼讃』で「羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる」とあるように、大巻も暗闇の中で黒の絵の具を塗り重ねる。

そうしてできた2枚の作品は、闇のように深い黒の画面から、光の反射でわずかに筆のストロークが浮かび上がる。暗闇で視界が閉ざされた中で「気配」を感じ取り、カンヴァスにひたすら黒い絵の具を重ねる行為は、画家の「身体」を端的に示すとともに、深い思考の底へと引きずり込む引力を持つ。真っ黒い2つの画面に、思わず「陰陽」という言葉がイメージされた。宇宙の根源のような、あるいは真空から何かが湧き起こる胎動のようなうねり。巨大なインスタレーション作品がビッグバンのように空間に広がり鑑賞者を取り囲むなら、この作品はブラックホールのように見る者を奥へ奥へと引き込んでいく。

未曾有の天災や、いまなお各地で起こる戦争によって、私たちの存在は脅かされ揺らぎ続ける。そんな不確かさを抱える世界の中で、大巻の作品は「人間の存在の確かさがどこにあるのか」―その答えを見つける手がかりを、心地よさと不穏さの接点となるところで示している。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
国立新美術館|The National Art Center, Tokyo
106-8558 東京都港区六本木7-22-2
開館時間:10:00〜18:00 毎週金・土曜日は20:00まで ※入場は閉館の30分前まで
会期中休館日:火曜日 ※開館情報の詳細は、美術館の公式サイトをご確認ください。

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