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初期作品から世界に“春”を告げる新作まで
約60年の軌跡をたどる大規模個展「デイヴィッド・ホックニー展」

東京都現代美術館にて、「デイヴィッド・ホックニー展」が11月5日(日)まで開催

展覧会レポート

「デイヴィッド・ホックニー展」東京都現代美術館、2023年 〈春の到来 イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年〉より © David Hockney Photo: Kazuo Fukunaga
「デイヴィッド・ホックニー展」東京都現代美術館、2023年 〈春の到来 イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年〉より © David Hockney Photo: Kazuo Fukunaga

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デイヴィッド・ホックニーは1937年にイングランド北部に生まれ、ロンドンの王立美術学校に入学すると在学中から活躍し、1964年にロサンゼルスに移住後は、アメリカ西海岸の陽光あふれる情景を描いた絵画で脚光を浴びた。その後も、油絵、版画、フォト・コラージュなどさまざまな技法で作品を制作し、現在はフランスのノルマンディーを拠点に活動を続けている。2017年には生誕80年を記念した展覧会がロンドン、パリ、ニューヨークで開催され、世界中から注目を集めるアーティストの1人だ。

そのホックニーの画業を展望する展覧会が、東京都現代美術館で開催されている。日本では27年ぶりの大規模な個展となる本展では、新型コロナウイルスという天災に直面した世界に向けて、温かなメッセージが込められた最新作も展示される。ホックニーの約60年の作家人生と「今」を体感する注目の展覧会だ。

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デイヴィッド・ホックニー展
開催美術館:東京都現代美術館
開催期間:2023年7月15日(土)~11月5日(日)

日本初公開の《春の到来》シリーズでホックニーの世界に没入

本展の注目作の1つが、2011年に制作された油彩画《春の到来 イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年》、画家の故郷であるイギリスのヨークシャー東部の風景を描いた幅10m×高さ3.5m の巨大な作品だ。

デイヴィッド・ホックニー《春の到来 イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年》2011年 ポンピドゥー・センター © David Hockney Photo: Richard Schmidt
デイヴィッド・ホックニー《春の到来 イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年》2011年 ポンピドゥー・センター © David Hockney Photo: Richard Schmidt

32枚のカンヴァスを使った大画面に、画家の記憶や想像力によって再構成された故郷の木々が、光り輝くような色彩で描かれている。画面いっぱいに植物が芽吹くエネルギーに溢れ、見る者を幸福感で包み込むようだ。本展ではさらに、同じく日本初公開となるiPadで制作した大判サイズの作品12点も展示されている。iPadの作品は戸外制作によるもので、ラフなタッチで描かれているが、強い日差しによって明るく照らされた木々の葉、雨でぬかるんだ道の湿り気、春の穏やかな日差しと暖かさ、水たまりに写り込む周囲の景色など、ホックニーの確かな描写力と独特の色彩感覚で、日ごとに異なる自然の景色を見事に描き分けている。

「デイヴィッド・ホックニー展」東京都現代美術館、2023年 《春の到来 イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年(5月4日)》2011年 デイヴィッド・ホックニー財団 © David Hockney Photo: Kazuo Fukunaga
「デイヴィッド・ホックニー展」東京都現代美術館、2023年 《春の到来 イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年(5月4日)》2011年 デイヴィッド・ホックニー財団 © David Hockney Photo: Kazuo Fukunaga

自由を求めたホックニー、異邦人としての冷めた視線

こうした近年の多幸感溢れる自然風景の作品を見ると、ホックニーに対して牧歌的なイメージを持つかもしれない。しかし彼の画業を振り返れば、決して世界に対して穏やかな眼差しだけを向けていた訳ではないことがわかる。

ホックニーが1959年にロンドンの王立美術学校に入学した頃、ロンドンでは労働者階級の若者を中心に反権威的な文化が広がっていた。ホックニーは、アメリカの抽象表現主義やイギリスのポップ・アートの影響を受けながらも、特定の動向に染まることなく独自の表現を模索した。当時、同性愛は違法とみなされていたが、ホックニーは同性愛も含め自己の内面を表現した。本展ではそうした60年代前半の作品も展示されており、それらの作品からは若い頃の画家の葛藤や、社会に対しての皮肉や憤りを感じ取ることができる。

「デイヴィッド・ホックニー展」東京都現代美術館、2023年 左:《一度目の結婚(様式の結婚Ⅰ)》1962年 テート 
右:《三番目のラブ・ペインティング》1960年 テート © David Hockney Photo: Kazuo Fukunaga
「デイヴィッド・ホックニー展」東京都現代美術館、2023年 左:《一度目の結婚(様式の結婚Ⅰ)》1962年 テート 
右:《三番目のラブ・ペインティング》1960年 テート © David Hockney Photo: Kazuo Fukunaga

そして1964年にロサンゼルスに移住したホックニーは、開放的な土地の風土のもとで、プールの水面、庭のスプリンクラーが出す水しぶきといった新しいモティーフを描くようになる。こうしたモティーフの選定は、水の動きや刻々と変化する光の表現など造形的な関心によるものだが、一方で異邦人としてアメリカ西海岸の中産階級の日常生活に対して懐疑的な眼を向けている。ホックニーは、この土地で見る景色の「ほとんどが人工的である」と感じたという(雨の少ないこの土地の青々とした芝生はその象徴である)。そのためホックニーが描く景色は、明るく朗らかな色彩にもかかわらず、人の気配がなく均一な質感によって時間が止まったような静けさだ。白昼夢のような独特の空気をまとうこれらの作品からは、異邦人としてアメリカの“絵に描いたような”光景を、冷めた眼差しで見つめる画家の姿が想像される。

デイヴィッド・ホックニー《スプリンクラー》1967年 東京都現代美術館 © David Hockney
デイヴィッド・ホックニー《スプリンクラー》1967年 東京都現代美術館 © David Hockney

1968年にロンドンに戻ると、ホックニーは1つの画面の中に2人の人物を描く「ダブル・ポートレート」を描くようになる。これらの作品では、部屋の中にいる人物のポーズや位置、顔の向きや表情などから、2人の(本人たちも無意識のうちの)関係性が浮かび上がり、緊張感が漂う。また画家は人物と同じぐらいに「空間を画面の中でどれだけ迫真的に表現できるか」という点にも関心が向けている。例えば《クラーク夫妻とパーシー》では、花瓶と本が置かれた机を画面からはみ出すようにモデルの手前に描いており、鑑賞者(と画家自身)が絵の中の人物たちをつなげる重要な装置となっている。

デイヴィッド・ホックニー《クラーク夫妻とパーシー》1970-71年 テート © David Hockney Photo: Richard Schmidt
デイヴィッド・ホックニー《クラーク夫妻とパーシー》1970-71年 テート © David Hockney Photo: Richard Schmidt

しかし描くほどに迫真性が失われるように感じ、画家の言葉によると「自然主義の罠」に陥ったホックニーは、家族や友人など身近な人々を1人ずつ精緻に描き、絵画制作の原点に戻ろうとする。そうして描かれた肖像画は、「ダブル・ポートレート」のように見る者に一種の緊張を与える構築的な描写ではなく、ラフなタッチで穏やかな印象を受ける。髪の毛の1本1本まで描き出した丁寧な描写、モデルのくつろいだ表情、画面中央に描く対象を配した構図などから、ホックニーが「ありのままに描く」ことに真摯に取り組み、描く人物に対して素直に向き合おうとする姿勢がうかがえる。

世界を「見たまま」に表現する「多視点」への関心

そして、80年代以降のホックニーの作品を特徴づける重要なキーワードが「多視点」だ。西洋美術において大前提とも言える一点透視図法(ある1点〔消失点〕に向って全ての物がその点に収束されるように描く技法)では、世界をありのままに捉えることはできないと感じたホックニーは、「多視点」の表現を模索するようになる。

そのきっかけの1つが1973年のピカソの死だ。ピカソの最晩年の版画を手掛けた摺師との出会いで、ホックニーはピカソ、そしてキュビスムを再発見する。その他にも、舞台芸術の仕事や、聴力の低下によって感じる時間や空間の認識の変化、中国の画巻などへの関心などさまざまな要素が相まって、「多視点」はその後のホックニーの絵画制作において重要な要素となっていった。

《四季、ウォルドゲートの木々(春 2011年、夏 2010年、秋 2010年、冬 2010年)》(部分)
《四季、ウォルドゲートの木々(春 2011年、夏 2010年、秋 2010年、冬 2010年)》(部分)

その好例である80年代のフォト・コラージュの作品では、微妙にアングルを変えて撮影した何十枚もの写真を組み合わせて1つの風景を画面上に再構成している。また80~90年代にはコピー機を作品制作に試みるなど、最新の技術を積極的に制作に取り入れる。そして2010年代には、木々のトンネルをゆっくり進む様子を9つのカメラで同時撮影した実験的な映像作品を制作した。「見る」ということ、その見た光景を「見た時の感覚そのままに表現すること」を、ホックニーはさまざまな手法で探求し、1つの画面の中に複数の視点が破綻なく存在し、世界が外へ外へと広がるという空間表現を手に入れた。

約90mの巨大絵巻《ノルマンディーの12か月》

2020年から21年にかけて制作された《ノルマンディーの12か月》は、そうした多視点への探求の結実とも言える大作だ。本展のハイライトとなる全長約90mに及ぶこの“巨大絵巻“には、iPadで描かれたノルマンディーの四季折々の風景が展開され、ホックニーの絵画制作における「今」を体現している。

デイヴィッド・ホックニー《ノルマンディーの12か月》(部分)2020-21年 作家蔵 © David Hockney
デイヴィッド・ホックニー《ノルマンディーの12か月》(部分)2020-21年 作家蔵 © David Hockney

消失点のない横長の画面に、風景が連綿と続く光景は、ノルマンディーのバイユーに伝わる中世の刺繍画や日本・東洋の絵巻物が着想源となっており、ホックニーは1年をかけて戸外制作で描き続けてきた220点の作品からモティーフを選び取り、90mの長大の画面に再構成している。鑑賞者は歩きながら鑑賞することで、おのずとノルマンディーの自然の中に入り込み、まるでこの土地を散策するように景色の移ろいを体感する。

点の大きさや間隔、線の長さを変えることで植物の種類を描き分け、水面の反射、生い茂る草や太い幹の表面など、ラフなタッチと丹念に描き込む箇所のメリハリをつけることで、モティーフの量感や質感が見事に表現されている。その描写力に裏打ちされたどこまでも続く明るく朗らかな光景は、この世界を祝福するかのようだ。2020年から翌年にかけて制作された本作は、新型コロナウイルス感染症という未曾有の天災に直面した世界に向けて、「春=明るい未来」は必ず来るという祈りと励ましのメッセージになっている。

「デイヴィッド・ホックニー展」東京都現代美術館、2023年 左より:《家の辺り(夏)》(部分)2019年、《ノルマンディーの12か月》(部分) 2020-21年、《家の辺り(冬)》2019年、すべて作家蔵 © David Hockney Photo: Kazuo Fukunaga
「デイヴィッド・ホックニー展」東京都現代美術館、2023年 左より:《家の辺り(夏)》(部分)2019年、《ノルマンディーの12か月》(部分) 2020-21年、《家の辺り(冬)》2019年、すべて作家蔵 © David Hockney Photo: Kazuo Fukunaga

ホックニーの世界を見つめる眼差しは、時代によって次々と変化していく。画家としてさまざまな試行錯誤や経験を経て、今のホックニーの世界の捉え方は実に明るく朗々としている。その眼差しによって生まれた大作《ノルマンディーの12か月》を散策し終える頃には、私たちの心の中にも“春”のような暖かい喜びが広がっていることだろう。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO
135-0022 東京都江東区三好4-1-1
開館時間:10:00〜18:00(最終入館時間 17:30)
定休日:月曜日(祝日の場合は翌平日)、展示替え期間、年末年始

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