FEATURE

名声に執着しない奇才を支えたパトロン
彼が見つめたモリカズとは?

「熊谷守一美術館38周年展」が、豊島区立熊谷守一美術館で2023年7月2日(日)まで開催

展覧会レポート

第1展示室 展示風景。中央の《自画像》と右《アゲハ蝶》は2001年に美術コレクター、木村定三氏より寄贈
第1展示室 展示風景。中央の《自画像》と右《アゲハ蝶》は2001年に美術コレクター、木村定三氏より寄贈

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構成・文・写真:森聖加

フサフサとしたアゴ髭をたくわえた晩年の風貌やその生き方から「画壇の仙人」ともたとえられた画家、熊谷守一(くまがいもりかず、1880-1977)。彼が97年の生涯のおよそ半分、45年を家族と過ごした東京・池袋に近い家(アトリエと庭)の跡地にたつ豊島区立 熊谷守一美術館で「熊谷守一美術館38周年展」が開催中だ。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
特別企画展「熊谷守一美術館38周年展」
開催美術館:豊島区立熊谷守一美術館
開催期間:2023年4月11日(火)~7月2日(日)

住宅街にうごめく、9匹の蟻?

豊島区立 熊谷守一美術館外観。1985年に二女の熊谷榧がオープンし、2007年に公立化
豊島区立 熊谷守一美術館外観。1985年に二女の熊谷榧がオープンし、2007年に公立化

静かな住宅街を最寄り駅からしばらく歩いていくと、9匹の大きな蟻があらわれる。コンクリート造の豊島区立 熊谷守一美術館の外壁には、画家の代表的なモチーフのひとつである蟻が砂糖を運ぶ姿を捉えた《赤蟻》が目印として刻まれている。洋画家、熊谷守一は、蟻のほか蝶や鳥、猫、草花など、身近な親しみやすい題材を線と面で構成する独特の画風が広く知られる。毎年、5月28日の開館記念日を挟んで開かれる特別企画展は1985年の開館から今年、38回目を迎えた。

熊谷守一を愛した美術コレクター、木村定三

97年の生涯のうち70年余りもの時間を画業に費やした作家が、その特徴的な作風を完成させたのは70代半ば、名が一般にも知られるようになったのは、それ以降のことでした、とは同館学芸員の菊地桜子氏。「岐阜の実業家の家に生まれた守一は、20歳のときに東京美術学校、現在の東京藝術大学に入学します。西洋画科の同期には青木繁や和田三造らがいました。熊谷は彼らをおさえて首席で東京美術学校を卒業します」

熊谷守一氏 撮影年不詳 豊島区立 熊谷守一美術館
熊谷守一氏 撮影年不詳 豊島区立 熊谷守一美術館

確かな実力をもちながら長い間沈黙が保たれたのは、学生時代に父が亡くなり実家が破産し経済的な後ろ盾を失ったこと、卒業後2年間樺太調査隊の絵の随行員としての仕事を終え、やっと本格的な絵の制作を始めたところに知らされた実母の死による帰郷などが影響している。故郷の岐阜では6年ほどほとんど絵を描かず、渓流で材木を運ぶ運搬業、日傭(ひよう)として働いたことも。
「画家として絵を売って食べていくことが自身の気持ちとしても、環境的にも整わなかったのだと思います」と菊地氏。友人の勧めもありふたたび上京、数年後結婚をし次々と子どもに恵まれたが、「他の真似をせず、独自の絵を探求し続け……いい絵を描いて褒められたい、有名になりたい、という世俗的な欲望がまったくなかった」(二女 榧[かや]氏のことばより)。家族を養う目的でさえも絵を売ろうとはしなかったから、一家の生活は困窮するばかりだった。

展示風景より1階 第1展示室。左は木村定三氏より寄贈された油彩の《自画像》
展示風景より1階 第1展示室。左は木村定三氏より寄贈された油彩の《自画像》

そんな名声も地位も求めない画家を支えたのが、本展の軸となる美術コレクター、木村定三(きむらていぞう、1913-2003)氏だ。氏蒐集の守一作品200点以上は愛知県美術館に寄贈され、「木村定三コレクション」の核を構成。今回は、同コレクションから厳選した20点と館所蔵の作品を合わせて展示しながら、パトロンが見つめた熊谷守一、という視点を提供。鑑賞者に新たな画家の側面を発見してもらおうとの試みである。

熊谷守一《たまご》1959年、油彩/板 愛知県美術館(木村定三コレクション)
熊谷守一《たまご》1959年、油彩/板 愛知県美術館(木村定三コレクション)

木村氏がモリカズに観た「法悦感」と「厳粛感」

上の羽と下の羽。じっくり観察してみよう。《アゲ羽蝶》 熊谷守一 1976年 油彩/板 豊島区立 熊谷守一美術館蔵
上の羽と下の羽。じっくり観察してみよう。《アゲ羽蝶》 熊谷守一 1976年 油彩/板 豊島区立 熊谷守一美術館蔵

1938(昭和13)年、25歳の木村氏は58歳の熊谷守一と名古屋の丸善の画廊で出会う。はじめての購入は日本画だった。守一は仲間の助言をうけ、油絵の制作に苦心していた時代に日本画を描きはじめた。その日本画に魅力を感じた画家・浜田葆光(はまだしげみつ)の勧めによって日本画の個展を開き木村氏との出会いにも繋がる。1階 第1展示室には、油彩画や日本画と同時に書、陶磁器、と守一が制作したあらゆる分野を網羅する木村氏のコレクションが並ぶ。「日本画を描くことで得た表現が油彩にも生かされるようになり、輪郭線を引くいわゆる守一様式へと発展しました」と菊地氏。

《麥畑》熊谷守一 1939年 油彩/板 愛知県美術館(木村定三コレクション)
《麥畑》熊谷守一 1939年 油彩/板 愛知県美術館(木村定三コレクション)

会場には線と面で構成される、いわゆる「守一様式」の萌芽といえる作品、《麥畑》(むぎばたけ)が展示され見どころのひとつとなる。1939(昭和14)年の二科会出品作3点のうちの1点だ。木村氏はこの作品に次のような言葉を残した。「あるときこのこと(太い線で区切る表現)について熊谷さんにきくと、『そのころ気分が大きくなって太い線で区切ることができるようになった』と答えた。(中略)黒い線で区切ることは、古来から日本画の様式として見なれているが、茶とか赤の太い線で区切ることは日本の絵画の歴史にないことで誰もが面食らったのである」。展覧会で当時、多くの人が奇妙に感じた作品も、木村氏は会場で即座に買い上げている。

《雨滴》熊谷守一 1961年 油彩/板 愛知県美術館(木村定三コレクション)
《雨滴》熊谷守一 1961年 油彩/板 愛知県美術館(木村定三コレクション)

木村氏は独自の芸術観に基づいて作品収集をすすめた人物として知られ、それを端的にあらわしたのが「法悦感」と「厳粛感」という言葉。「法悦感」はうっとりとする喜びがあるもの、「厳粛感」は厳かで緊張感のあるもの、を意味する。氏がふたつを同時に感じたのが、熊谷守一、ただひとりの作品だった。

「誰が相手にしてくれなくとも、石ころ一つとでも十分に暮らせます。石ころをじっと眺めているだけで、何日も何月も暮らせます」(『へたも絵のうち』熊谷守一著、平凡社ライブラリー)
こんな言葉を残した通りに、70代のとき脳梗塞で倒れて以降は外出することなく守一は自宅の庭で幾日もの観察をし、絵を描き続けた。一目には同じように見える《アゲハ蝶》の羽の黒も、2匹の亀を描いた《石亀》の亀の甲羅や水の色も実験的試みの成果。木村氏は、こうした守一作品を「水中に幾層倍もの氷塊が隠されている氷山」と評す。「熊谷さんの画は形の上からも色彩の上からも単純化の極致であるが、その作品は見る人を画面の雰囲気に巻き込み、深い感銘を与える。それは内容のない単純でなく、背景に複雑なものを抱えた、含蓄のある単純だからである」(木村定三『熊谷守一作品撰集』「芸術上の転機」)

木村氏が特別最上位に位置付けた守一作品。《石亀》 熊谷守一1957年 油彩/画布 愛知県美術館(木村定三コレクション)
木村氏が特別最上位に位置付けた守一作品。《石亀》 熊谷守一1957年 油彩/画布 愛知県美術館(木村定三コレクション)
1階 第1展示室、展示風景より。日本画と油彩が同時に並ぶので見比べながら鑑賞できる
1階 第1展示室、展示風景より。日本画と油彩が同時に並ぶので見比べながら鑑賞できる

画家の変遷をさかのぼる2階展示室

2階 第2展示室。中央はのちに妻となる大江秀子氏を描いた《某婦人像》ほか
2階 第2展示室。中央はのちに妻となる大江秀子氏を描いた《某婦人像》ほか

2階第2展示室は、木村氏に見出される前の作品として美術館所蔵品を中心に、アカデミズムの手法で描かれた油彩による風景画や人物、裸婦像が並ぶ。同時に線と面による「守一スタイル」の作品も展示され、画家の作風の変遷がコンパクトにまとめられている。「個人的には、1階に木村定三コレクションの《たまご》と2階の《仏前》に注目して見ていただきたいです。《仏前》はご自宅で長女の萬さんが亡くなられた翌年に描かれた作品です。戦中、結核に倒れた娘のため、当時は貴重品の卵を食べさせ回復を期待しましたが、長女・萬は21歳の若さでこの世を去ります。その娘の仏前に供えられたのが卵でした。題名の異なる作品ですが、その背景には共通したものを感じます」と菊地氏は話す。

2階 第2展示室。右から2番目が《仏前》。戦後間もない1948年の作品
2階 第2展示室。右から2番目が《仏前》。戦後間もない1948年の作品
2階 第2展示室。《尾長》(左)は守一が自宅で飼っていた鳥。作品は左のイーゼルと椅子で描かれた
2階 第2展示室。《尾長》(左)は守一が自宅で飼っていた鳥。作品は左のイーゼルと椅子で描かれた

見逃せない書とドローイング

3階 第3展示室、展示風景より
3階 第3展示室、展示風景より

3階の第3展示室に並ぶのは、美術館蔵の素描と書の数々。特に書は、木村定三氏の求めに応じて揮毫したのがはじまりといわれ、漢字も仮名も自在に書き上げた。木村氏は守一の仮名の線のすばらしさをたたえ、文字から絵そのものが浮かぶとさえ言い、「誇張なく、ごく自然体に引かれた書線は、守一の生き方そのもの」とつづける(『書 熊谷守一』神無書房、1980年)。眺めるほどに深みの増す線を、絵画作品とともにじっくり味わいたい。

3階 第3展示室、展示風景より
3階 第3展示室、展示風景より
1階 「café kaya」。庭を眺めながらコーヒーや紅茶を
1階 「café kaya」。庭を眺めながらコーヒーや紅茶を
美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
豊島区立熊谷守一美術館|Kumagai Morikazu Museun of Art
171-0044 東京都豊島区千早2-27-6
開館時間:10:30~17:30(最終入館時間 17:00)
定休日:月曜日、年末年始

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