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マティスの初期から晩年までの画業の変遷を一望
20世紀フランス美術の巨匠マティスの大回顧展

「マティス展」が、東京都美術館にて2023年8月20日(日) まで開催中

内覧会・記者発表会レポート

東京都美術館で、2023年8月20日(日) まで開催中の「マティス展」会場風景
東京都美術館で、2023年8月20日(日) まで開催中の「マティス展」会場風景

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20世紀を代表するフランスの巨匠、アンリ・マティス(1869-1954)。純粋な色彩による絵画様式で新しい時代の到来を告げた「フォーヴィスム(野獣派)」、幸福感に包まれた穏やかな画風の「室内画」、シャープな線が心地良い「デッサン」の数々、単純な形と明快な色彩で即興性に溢れた「切り紙絵」・・・。84年の生涯で、マティスは1つの技法や画風に捉われることなく次々に変化させながら、感覚に直接訴えかけるような鮮やかな色彩と光の表現を探求した。

東京都美術館で開幕した「マティス展」は日本では約20年ぶりとなる大回顧展で、世界最大級のマティス・コレクションを擁するパリのポンピドゥー・センター(国立近代美術館)の所蔵作品を中心に約150点の作品が集う。本展は、マティスの初期から晩年までの画業の変遷を一望し、絵画、デッサン、彫刻、版画、切り紙絵、晩年に手掛けたロザリオ礼拝堂の装飾と、あらゆる分野を網羅し、マティス芸術を多角的に展観できるまたとない機会となっている。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
「マティス展」
開催美術館:東京都美術館
開催期間:2023年4月27日(木)~8月20日(日)

若きマティスの挑戦と試行錯誤の跡をたどる

マティスが画家を志したのは21歳の時、療養中の暇つぶしに母親から絵具箱を贈られたことがきっかけだった。本展は、ギュスターヴ・モロー(1826-1898)に師事した20代後半から、1905年の「フォーヴィスム」誕生前後の初期作品から始まる。

※20世紀初頭の絵画運動の1つ。1905年に開催されたサロン・ドートンヌ展に出品された若き画家たちによる激しい色彩の作品群を批判した「フォーヴ(野獣)」に由来する。主要メンバーの1人に当時30代であったマティスがいる。

初期作品の中で重要な作品の一つに、のちに国家買上げとなった《読書する女性》がある。

《読書する女性》1895年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
《読書する女性》1895年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

暗い部屋の中でこちらに背を向け読書に没頭する女性の姿にはカミーユ・コローの影響が見て取れる。古典学習の成果がうかがえるこの作品は、1895年に制作され、翌年の国民美術協会展に出展された。この時期にマティスの師であったギュスターヴ・モロー(1826-1898)はマティスについて「絵画を単純化するだろう」と予言した。実際にはすぐ単純化には向かわず、別の表現を模索する時期を経るのだが、その予言が正しかったことは後の作品を見れば明らかだ。

また、マティスには珍しい点描技法を用いた作品《豪奢、静寂、逸楽》が日本初公開となる。

《豪奢、静寂、逸楽》1904年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
《豪奢、静寂、逸楽》1904年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

新印象派のシニャックの「筆触分割」技法が用いられているが、人物を輪郭線でかたどる等、厳密なルールから逸脱した箇所も見受けられる。色彩と線描の関係については未消化で終わっているが、マティスが同時代の画家からも積極的に学び、独自の画風を形成しようと試行錯誤する様子が伝わり、興味深い。

会場風景(画面右端は《豪奢Ⅰ》1907年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館)
会場風景(画面右端は《豪奢Ⅰ》1907年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館)

第一次世界大戦期、マティスが見つめた“窓”の景色とは?

1914年、第一次世界大戦が勃発する。友人や息子たちが徴兵される中、自身は兵役を志願しても採用されず、周囲のネットワークも縮小され、不安や孤独がマティスを襲う。そうした状況に抵抗するかのように、マティスは急進的な作品を制作するようになった。

《コリウールのフランス窓》1914年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
《コリウールのフランス窓》1914年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

この一見抽象画のような《コリウールのフランス窓》は、大戦が勃発した1ヶ月後に描かれた作品だ。どれほど形が単純化されようとも、「抽象」絵画にはならなかったマティス作品の中で異質に思える。画面中央に鎮座する黒色がずっしりとした存在感を放つが、これが当初の姿ではない。「窓」というタイトルの通り、元々はバルコニーからの眺めが描かれていたのを、マティスは最終的に黒で覆ってしまったのだ。

開戦直後の作品と聞くと、つい不穏な情勢や画家の不安を投影したくなるが、マティスは黒を必ずしもネガティブなものとして捉えてはいなかったようだ。見る者をはねつけるように画面の前面にせり出す一方で、見る者の意識を奥へと引き込む、相反する2つの性質を持つ黒色を、マティスは画面を統合させるものとして効果的に用いている。とはいえ、マティスは本作を生前に発表することなく、サインも記されていない。所蔵館のポンピドゥー・センターも本作は未完成とみなしており、この“黒”の解釈は難しいところだ。開いているのか、閉じているのか、それさえ定かではないこの“黒い窓”に、マティスは何を見ていたのか、思いを巡らしたくなる。

(左)《アトリエの画家》1916-17年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
(右)《金魚鉢のある室内》1914年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
(左)《アトリエの画家》1916-17年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
(右)《金魚鉢のある室内》1914年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
《白とバラ色の頭部》1914年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
《白とバラ色の頭部》1914年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

他にも窓の「内側/外側」を1つの画面の中で統合させた作品や、室内の「画家/モデル」の関係(言い換えれば「見る/見られる」の関係)といった対比を意識的に描いた作品や、キュビスムの影響がみられる肖像画など、この時期のマティスは実験的な制作を試みている。

彫刻作品にも注目

会場風景
会場風景

平面作品の印象が強いマティスだが、実は69点の彫刻が残っている。彫刻について、マティスは絵画ほど多くを語らず、言及しても「補足の習作として、自分の考えを整理するため」と述べるに留まる。しかし残された作品を見れば、小さなものから記念碑的な大型なものまで幅広く制作し、単なる絵画制作の副産物ではなく、求める究極の“形”を探るための重要な取り組みであったこと、絵画と彫刻は対話的な関係であったことがわかる。

左から《背中Ⅰ》1909年、《背中Ⅱ》1913年、《背中Ⅲ》1916-17年、《背中Ⅳ》1930年(全てポンピドゥー・センター/国立近代美術館)
左から《背中Ⅰ》1909年、《背中Ⅱ》1913年、《背中Ⅲ》1916-17年、《背中Ⅳ》1930年(全てポンピドゥー・センター/国立近代美術館)

本展出品作の中で最も大きい彫刻作品〈背中〉に注目したい。女性の後ろ姿を表した同じ主題の作品を、1909年から1930年にかけて、4点作成している。最初の《背中Ⅰ》では女性の体は写実的に肉付けされているが、Ⅱ、Ⅲと続くにつれて次第に細部が省略され、《背中Ⅳ》では、胴体や長く垂らした髪の垂直線が強調された単純なフォルムへと変貌を遂げている。こうして見ると、決してマティスは人物や物の質量や立体感に無関心だった訳ではなく、むしろそれらをじっくりと咀嚼し、そうした量感をも感じさせることができる色彩や線(形)を追求していたことに気づく。

1931年以降、マティスが彫刻を手掛けることは稀になるが、晩年の代表作『ジャズ』の中で、切り紙絵の創造プロセスを「彫刻家の直掘り」とたとえたように、彫刻で培った造形感覚はその他の制作においても大きな糧となった。

ニース時代、旅、そしてヴァンスへ

1918年、ニースに拠点を移したマティスは、それまでとは大きく制作態度を変える。かつては大画面の作品を手掛け、制作数も多くはなかったのに対し、「ニース時代」と呼ばれるこの時期は小ぶりな作品で、驚くほど数多くの作品を残した。伝統的な絵画への回帰と賞賛されることもあれば、“休憩期”と批判されることもあるニース時代だが、決してマティスは探求することを放棄していない。これまでに獲得した技法や表現の一切を問い直し、室内という主題に向き合った時代であった。

《赤いキュロットのオダリスク》1921年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
《赤いキュロットのオダリスク》1921年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

1930年、マティスは6週間の旅に出る。シカゴ、ロサンジェルス、サンフランシスコを周り、タヒチにも足を伸ばした。この旅で心身共にリフレッシュしたマティスの作風はさらに開放的になる。うつ伏せで組んだ腕に顔を埋めた女性を画面いっぱいに大胆に描いた《夢》では、心地良さそうに目を閉じ、くつろぐ女性の姿に、こちらも思わずまどろんでしまいそうだ。モデルのリディア・デレクトルスカヤは本作以降、お気に入りのモデルとして、また画家の助手として、マティスが亡くなるまで傍でその制作を支えた。

《夢》1935年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
《夢》1935年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

1939年、マティスが70歳を迎えようとしていたこの年、第二次世界大戦が勃発する。1943年にニースに空爆の危機が迫ると、マティスは近郊の町・ヴァンスに移り、1948年までをここで暮らした。この時代を代表する作品が、〈ヴァンス室内画〉シリーズだ。

《黄色と青の室内》1946年  ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
《黄色と青の室内》1946年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

本展では、そのシリーズ第1作である《黄色と青の室内》と、シリーズ13作目にして最終作、そしてマティスの油彩画としても最後の作品となる《赤の大きな室内》も展示されている。

《赤の大きな室内》1948年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
《赤の大きな室内》1948年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

特に《赤の大きな室内》は、これまでの油彩画で繰り返し用いられてきたテーマ「赤色」「アトリエ」「画中画(≒窓)」が集約されている。また中央の垂直線と椅子を境に、小型の円卓と四角いテーブル、2つの動物の皮の敷物(一方は無柄、他方は斑模様)、彩色画とモノクロ画、とあらゆる対比が用いられつつ、全体は穏やかな調和を見せる。これまで画家が取り組んできたことの全てが集約された堂々たる傑作だ。

色彩と線描の統合「切り紙絵」の世界に心躍らせる

会場風景
会場風景

マティスにとって“第二の生”となった「切り紙絵」は、あらかじめ色を塗った紙からハサミで形を切り抜き、それらを組み合わせて図像を作る手法で、1930年代に既に行っていたが、この時はまだ実験的な試みであった。本格的にこの切り紙絵を制作するようになるのは1940年代以降である。1941年に腸の疾患で大手術を受け一命を取り留めるも、後遺症によりベッドや車椅子で大半の時間を過ごすこととなったマティスにとって、切り紙絵は湧き起こるイメージを具現化する最良の方法だった。赤は赤のまま、青は青のまま、互いの色は決して混ざることはなく、しかし1つの画面の中で調和し共鳴する。それぞれの色の中から形を直接切り抜く作業は、それまでのペインティング、デッサン、彫刻といった手法の集約であり、色彩と線描の関係を追求し続けたマティスの終着点と言える手法だった。

会場風景(『ジャズ』シリーズ)
会場風景(『ジャズ』シリーズ)
会場風景(『ジャズ』シリーズ)
会場風景(『ジャズ』シリーズ)

その切り紙絵の代表作が、1947年に上梓された書籍『ジャズ』だ。出版者で批評家のテリヤードからの「色彩についての本を作ってほしい」という希望に応えて手掛けた本作は、ジャズという名の通り、即興性溢れる軽快なリズムが画面いっぱいに満ちている。描かれた主題の多くはサーカス、民話、旅の思い出などで、単純化された人や馬などのモティーフが、マティス独特の植物文様などと組み合わさり、明るく快活な世界が次々と展開する。

『ジャズ』は図版と画家による手書きの文章が交互に並ぶバージョン270部と、図版のみのバージョン100部が刊行されており、本展では後者が展示されている。マティスの軽やかな図版に、どんな言葉を添えたらいいだろうか、そう想像しながら見るのも面白い。ジャズはセッションが醍醐味だ。マティスとセッションするつもりで、絵から感じたこと、思い浮かべたことなど、自由に想像を膨らませてみてほしい。

会場風景
会場風景

また、タヒチ旅行で記憶に残った様々なイメージに基づき、魚、サンゴ、鳥、クラゲ、海綿といったモティーフが散りばめられた《オセアニア、空》《オセアニア、海》という大画面の作品では、簡潔なフォルムのモティーフがリズミカルに配置され目に心地よい。シンプルながらも画面いっぱいに豊饒な世界が溢れ、一目見ただけで心が躍り出すようだ。

晩年の集大成、ロザリオ礼拝堂の仕事

本展のラストは、マティスが人生の集大成と考え臨んだ、ロザリオ礼拝堂の一連の制作活動で締め括られる。1948年、80歳を目前に控えたマティスは、ロザリオ礼拝堂の設計、装飾、什器、祭礼服のデザインを一手に引き受け、人生で初めて公共空間を手掛けるという大仕事に挑む。本展では、ファサードの上に据えられる陶板画のデッサンや、告解室の扉のドアのデザイン画、制作時の写真などが展示されている。

会場風景
会場風景

「神を信じているかどうかにかかわらず、精神が高まり、考えがはっきりし、気持ちそのものが軽くなる」ようにとの思いで制作された礼拝堂は、真っ白い空間の中で、太く簡潔な黒線で表された《聖母子》《聖ドミニコ》などの壁画が訪れた者を迎え入れる。祭壇画の背後に設置されたステンドグラスは、マティスらしい植物文様が黄色、青、緑という限られた3色のみで輝くように鮮やかに表されおり、外からの光が差し込むことで文字通り輝くように聖なる空間を色の光で満たす。力強さ、心地よさ、軽やかさ、それら一切が調和し、マティスの芸術がここに極まる。礼拝堂の仕事は1952年まで続き、生涯畢生の大作を終えた2年後、1954年11月3日にマティスはこの世を去った。

会場風景 ©NHK(本展のために撮影された礼拝堂の映像も必見)
会場風景 ©NHK(本展のために撮影された礼拝堂の映像も必見)

色と線と光を追い求めたマティスの作品は、今なお私たちの心を解放し、充実した喜びで満たしてくれる。ぜひ「マティス展」を訪れて、その豊かで軽やかな芸術世界に身も心も浸してほしい。

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東京都美術館|Tokyo Metropolitan Art Museum
110-0007 東京都台東区上野公園8-36
開室時間:9:30~17:30(最終入室時間 17:00)
休室日:月曜日、7月18日(火)
※ただし、5月1日(月)、 7月17日(月・祝)、 8月14日(月)は開室
※日時指定予約制

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