親鸞聖人による深き尊崇が伝わる、
聖徳太子ゆかりの宝物を紐解く
春季特別展「真宗と聖徳太子」が、龍谷大学 龍谷ミュージアムにて開催中
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2021年に1400年遠忌を迎えた聖徳太子は、実は親鸞とゆかりが深かった。このことは、あまり広くは知られていないかもしれない。龍谷ミュージアムで開催中の「真宗と聖徳太子」展 は、太子ゆかりの宝物で、2人の関係を読み解いていて興味深い。親鸞の生誕850年に合わせて企画された本展は、重要文化財3件を含む90点が展示されている。
浄土真宗本願寺派の本山・西本願寺の門前にある同ミュージアムは、西日を遮る巨大な「すだれ」が目を引く。京都を感じさせる景観だ。周囲には、多くの仏具店や法衣店が軒を連ねる。
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- 親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年記念 春季特別展「真宗と聖徳太子」
開催美術館:龍谷大学 龍谷ミュージアム
開催期間:2023年4月1日(土)~5月28日(日)
悩める親鸞を救った太子の夢のお告げ
親鸞の仏縁は、養和元年(1181)9歳のときに、天台座主(てんだいざず)・慈円(じえん)のもとで仏門に入ったことに始まる。その後、比叡山延暦寺で厳しい修行生活に入るも、修行に疑問を感じた親鸞は、京都の聖徳太子建立と伝わる六角堂に参籠(さんろう)。そこで夢のお告げを受けたことが、親鸞の人生を大きく変える。
「平安時代以降、日本において夢は、現実よりも重要とみなされていました」と、龍谷ミュージアム副館長の石川知彦氏。「本願寺聖人親鸞伝絵(ほんがんじしょうにんしんらんでんね)」には、六角堂で、親鸞が僧侶の姿をした太子から夢のお告げを受けている様子が描かれている。
お告げを得た親鸞は、20年修行した比叡山を下り、修行時代に教えに深く傾倒していた法然のもとへ。これが生涯の師となる法然との出会いであり、人生最大の運命的な出来事であった。
400年振りに対面した断簡二紙
親鸞は多くの仏教和讃(七語調の和語でうたわれる讃歌)を作ったが、晩年には太子和讃を200首も書き記した。いかに聖徳太子を「和国の教主」と仰いでいたかがわかる。展示されている親鸞直筆の断簡(だんかん・きれぎれになった書物)は、すっきりとした筆致で、それでいて力強さも感じる。
建長7年(1255)83歳の親鸞作の『皇太子聖徳和賛』は、原本の多くは紛失してしまったが、一部、親鸞真筆の断簡が現存している。親鸞自身が筆を執って愛弟子の覚信へ授与した「覚信本」の奥書の後には、廟窟偈(びょうくつげ)と涅槃経の抜書が写されていた。江戸時代に解体されてしまったために、別々に保管されていた断簡二紙が、今回400年振りに並んで公開されている。
「廟窟偈」とは、最晩年の太子が善光寺の阿弥陀如来に献上した手紙から、太子が自らの御廟内の立石に刻んだ文とされる。親鸞は、太子自作とされた「廟窟偈」を重要視していたのだろう。
教科書やお札とは印象が違う太子像
聖徳太子といえば、旧一万円札や教科書に掲載された摂政としての姿が浮かぶ人も多いかもしれない。しかし展示されていた太子像は、そのイメージを裏切る。太子を造形化した像は多くあるが、主に2歳と16歳の太子像に分かれるという。
2歳の年齢には似つかわしくない、きりっと大人びた表情が印象的だ。「太子を、幼少から聡明だったお釈迦様になぞらえているのだと思います。また当時は、子どもは神聖なものと考えられていました」と石川氏。毫攝寺(ごうしょうじ)所蔵の「南無仏太子像」は少し趣が違っていて、幼児らしさが際立っている。2歳の太子が東を向き「南無仏」と唱えた伝承に基づいて合掌をしているが、ふくよかであどけない表情がリアルだ。「この像を造った仏師の視点が、この造形になったのかもしれませんね」
鎌倉時代の作と伝わる、父用明天皇の病の平癒を願う太子16歳の姿を表す「孝養太子」像は、衣文の装飾など、端正な雰囲気が伝わる。奈良仏師の作風を示す像だ。明治初頭の廃仏毀釈の折に、奈良・興福寺から能登町の松岡寺へ移されたことから、こうして間近に見ることができる。
太子の業績を伝える絵解きの文化
親鸞は「『南無阿弥陀仏』と念仏を称えれば極楽往生できる」という師である法然の教えを継承。その後、念仏を称えるだけでなく、過去・現在・未来を通じて「すべての人を救済する阿弥陀如来の願いそのものを信じる」信心為本(しんじんいほん)の教えに展開する。こうして浄土真宗への道が開かれていった。
親鸞を宗祖とする真宗では、太子の生涯をわかりやすく伝える「絵伝」が多く作られた。その元となったのは、当時伝わっていた太子の伝記で、絵伝に絶大な影響を与えたと見られる。内容もバラエティに富んでいて、史実だけではなく、太子の前世や、超人性にも触れている。「聖徳太子伝暦(しょうとくたいしでんりゃく)」は表面だけでなく、裏側にも細かな記載があるが、その解明は今後の研究に委ねられているそうだ。
富山県の瑞泉寺所蔵の8幅からなる「聖徳太子絵伝」は、場面数は90以上にも及び、毎年7月には絵解き説法を行うことでも知られている。今回の展示では、原物だけでなく、色鮮やかに蘇った8幅の複製品が展示されているのが印象的だ。同ミュージアムで絵解き実演も行われる。
日米が協同で進める太子像の謎
太子像は、国内だけでなく海外にも存在する。ハーバード美術館が所蔵する太子像の像内から、数多くの納入品が取り出され、その謎を解明するために、長年日米で研究が行われてきた(戦争で一時中断)。研究成果の納入品の複製展示を見ると、和歌の一部と思われる紙片が目に付く。宮廷周辺の貴人の関わりが想像できるという。
ハーバード大学が所蔵するのは、合掌して「南無仏」と唱える幼児の太子像。現存する南無仏太子像のなかでは、最古だろうと推察されている。2023年4月に、共同研究の成果をまとめた『ハーバード美術館 南無仏太子像の研究』が出版された。海を隔てた日米の研究者を、聖徳太子の像が繋いだと考えると、感慨深い。
今回の特別展で、真宗の教えを広めるのに、聖徳太子の存在がいかに大きかったのかが伝わってくる。悩める親鸞が救われた、京都の地で対面できるのも嬉しい。