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人知れず藤田嗣治の作品をコレクションし続けてきた
事業家の個人美術館が、軽井沢に開館。

軽井沢安東美術館が、2022年10月8日(土)より開館。開館記念企画のみ圧巻の作品数となる展示は必見!

内覧会・記者発表会レポート

軽井沢安東美術館 展示室5
軽井沢安東美術館 展示室5

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構成・文 小林春日

藤田嗣治(ふじたつぐはる)の作品を、人知れずコレクションし続けていた事業家がいる。はじめて、その絵に惹かれて購入したのは、散歩の途中に偶然ギャラリーで出会った、猫が描かれている1枚の版画。藤田嗣治は、エコール・ド・パリの代表的な画家であり、ピカソやシャガール、ブランクーシなど多くの芸術家らとも交流のあった、フランス国籍を取得した日本人画家であるが、当初は、藤田のことは全く知らなかったという。純粋に作品の“かわいさ”に惹かれ、猫の絵、少女の絵、猫を抱いた少女の絵、と蒐集を続けていったのは、投資ファンド会社の経営者である安東泰志氏である。厳しい金融の世界に身を置く安東氏にとって、それらの絵と向き合う時間が、この上ない癒しとなった。

安東氏の心を癒してくれる藤田の絵は、妻の恵氏とともに作品の蒐集を続け、今ではその数180点にのぼる。それまで、小金井市と六本木にある安東夫妻の自邸の壁を埋め尽くすように飾られていた藤田の作品が、この度の安東美術館の開館に合わせて、根こそぎ外され美術館に運び込まれた。現在の夫妻の自宅は、作品がからっぽの状態だという。そうまでしても、藤田の作品を散逸させることなく後世に残していきたいという思いと、それまで自らが藤田の作品に癒されてきたように、広く一般にコレクションを公開し、訪れる人々を自宅に招くかのようにくつろいで楽しんでもらえるような美術館をつくりたい、という思いを強くし、美術館の設立を決意したのが今から4年程前。そしてようやく2022年10月8日、軽井沢の地に安東美術館開館の日を迎えた。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
「軽井沢安東美術館 開館記念企画」
開催美術館:軽井沢安東美術館
開催期間:2022年10月8日(土)~
軽井沢安東美術館 外観
軽井沢安東美術館 外観

今回は、開館記念企画として、所蔵主要作品のほぼ全ての150点ほどが展示される。展示内容は主に4つのパートに分かれるが、まずはそのプロローグとして、一つの大きな見どころとなるのが、美術館の建築だ。青々とした芝生が目に鮮やかな中庭を建物が囲み、夫妻が過ごした英国から取り寄せたハンドメイドのレンガで覆われた外壁、黒と白の市松模様のタイルが床面に敷かれたサロンなど、この美術館が単なる作品を展示する箱ではなく、来館者がこの美術館で過ごす時間が最大限に心地よいものとなるように、細部まで配慮されている感じを受ける。安東邸を再現するというコンセプトを持ちつつ、来館者が思い思いに芸術にひたれる、美術館としても理想的な空間となっており、入館そうそう心が躍る。設計を手掛けたのは、磯崎新アトリエから2003年に独立した建築家 武富恭美氏である。

サロン「ル・ダミエ」(ダミエは、フランス語で市松模様を表す)
サロン「ル・ダミエ」(ダミエは、フランス語で市松模様を表す)

安東夫妻は、はじめ、"かわいい”をキーワードに作品のコレクションをし続けていたが、美術館の開設を決めてからは、藤田作品を系統立てて蒐集するようになっていく。展示作品は、展示室2から5までの4室に分かれ、安東コレクションの全容とともに、藤田の画業の流れも把握できる内容になっている。

1913年にフランスに渡った藤田が、さまざまなスタイルを模索しながら、やがてヨーロッパ中を席巻した「素晴らしき乳白色の下地」を完成させた時代の作品は、「渡仏~スタイルの模索から乳白色の下地へ」と題した、展示室2にて。渡仏後のパリを描いた風景画や、藤田の代名詞とも言える透き通るような「乳白色の下地」による裸婦、晩年につながる宗教や子どもをモティーフとした肖像画など、貴重な作品の数々が展示されている。

1931年、藤田は新しい恋人のマドレーヌを伴い、パリを離れて中南米へと向かう。「旅する画家~中南米、日本、ニューヨーク」と題した、旅をテーマとした作品は、展示室3にて。その後日本に帰国して、近づく戦争の足音に呼応するように時代の激流に巻き込まれていく藤田の足跡が紹介されている。

1950年、ニューヨーク経由でフランスに戻った藤田は、懐かしいパリの風景や少女たちの絵を描きはじめる。戦争による挫折を味わい、二度と日本には戻らないと決意した藤田は、フランス国籍を取得し、1959年にはキリスト教に改宗してレオナール・フジタとして生きた。「ふたたびパリへ~信仰への道」と題した展示室4は、まるで礼拝堂を思わせる作りになっており、奥には十字架のごとく、作品《金地の聖母》が飾られ、その前には軽井沢彫りによる緻密な彫刻模様が刻まれた重厚な椅子が並ぶ。画題が無垢なる少女から清らかな聖女、あたかもイコンのような聖母子像へと変わっていく、荘厳で静謐な宗教画の世界である。

軽井沢安東美術館 展示室5
軽井沢安東美術館 展示室5

最後の展示室、「少女と猫の世界」をテーマにした展示室5では、「少女」と「猫」の作品がずらりと並ぶ。キャプションは一切ついておらず、座り心地の良いソファがおかれた空間で、くつろぎながら、好きなだけ作品を眺めることができる、まさに美術館のコンセプトでもある「安東邸を再現」した展示室となっている。この展示室に限り、藤田財団からの特別な許可を得ており、開館から半年間、自由に撮影ができる。

軽井沢安東美術館 展示室5
軽井沢安東美術館 展示室5

軽井沢駅を降りると、駅舎も含めて見渡す限り、三角屋根の建物が多いことに気が付く。安東美術館もゆるやかな傾斜の三角屋根になっているが、これは、同館を建築した武富恭美氏によると、軽井沢町の景観条例で屋根勾配の規定があるためだそうだ。

避暑地、別荘地としても人気の高い軽井沢の地で、藤田作品を一堂に観られるこの空間は、まさに自然環境に配慮され、景勝地としての景観が保たれた軽井沢だからこそのくつろぎが感じられる。1934年8月、藤田は軽井沢に滞在し、作品を制作していたことが、描いた素描による肖像画の署名によって分かるそうだ。そんな縁のある軽井沢の地で、藤田作品を堪能するひとときをゆっくりと過ごしてみるのはいかがだろうか。

藤田嗣治(レオナール・フジタ 1886~1968)

明治なかばの東京で生まれた藤田は、東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、26歳で画家になる志を抱いて単身フランスに渡る。試行錯誤の末に独自の画風を確立、のちに藤田の代名詞ともなった「乳白色の下地」の裸婦作品で1920年代のヨーロッパ画壇を席巻し、一躍エコール・ド・パリの寵児となった。第二次世界大戦中に日本で作戦記録画を制作。戦争責任を問われて挫折を味わった後、再びフランスに戻り、晩年はフランス人レオナール・フジタとして穏やかな生活を営みながら精力的に制作を続けた。1968年に81歳で亡くなり、自らが建てたランスにある平和の聖母礼拝堂に埋葬された。

安東泰志(あんどうやすし)

1958年9月22日、京都府京都市生まれ。1981年東京大学経済学部を卒業、同年三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に入社。在職中の1988年シカゴ大学経営大学院(MBA)修了。同行においては、国内支店や外国為替ディーリング業務に加え、ロンドン支店でのコーポレートファイナンス課長、本部での経営企画部・投資銀行企画部の次長等を歴任。2002年2月、企業再生・再編ファンドを運営するフェニックス・キャピタル株式会社(現・ニューホライズンキャピタル株式会社)を創業。2022年までに機関投資家等の出資によるファンド11本(累計約3000億円)を組成し、市田、東急建設、世紀東急工業、三菱自動車工業、日立ハウステック、たち吉をはじめ100社以上の日本企業の再生と成長に携わる。2017-18年には東京都顧問として「国際金融都市・東京」構想の策定等を主導。2022年10月、個人コレクションと私財を投じて軽井沢安東美術館を開館。

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軽井沢安東美術館|Musée Ando à Karuizawa
389-0104 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東43番地10
開館時間:4–10月 10:00~17:00、11–3月 10:00~16:00
定休日:水曜日 (祝日の場合は開館。翌日が休館となります)

参考文献:「藤田嗣治 安東コレクションの輝き」軽井沢安東美術館(編)/ 世界文化社
参照:軽井沢安東美術館公式サイト https://www.musee-ando.com

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