キュレーターが語る
話題の展覧会の作り方
VOL.04 福岡市美術館
福岡市美術館 館長 岩永悦子氏
構成・文 藤野淑恵
福岡・大濠公園に先頃お披露目された、色鮮やかな布が風にはためく彫刻作品《ウィンド・スカルプチャー(SG)Ⅱ》。その作者である英国の現代美術作家インカ・ショニバレCBEとの出合いを軸に、福岡市美術館館長 岩永悦子氏に話を聞いた。
福岡市美術館 館長 岩永悦子氏 プロフィールはこちら ↓
「理屈抜きに強くて、きれいで、圧倒的なインパクトがある。 『これがわたしたちのコレクション+インカ・ショニバレCBE: Flower Power』 で披露された委託作品《桜を放つ女性》」
福岡市美術館にて現在も展示中の《桜を放つ女性》は、2019年の同館のリニューアルオープン展の際、英国を代表する現代美術家インカ・ショニバレCBE※に制作委託した作品だ。ドレスを身にまとった女性が構えたライフルの銃口から、桜の枝が溢れ出すこの作品の前に初めて立ったときの、心にさざ波が立つような感覚が忘れられない。等身大のマネキンが身に纏った、この作家のシンボルでもあるアフリカンプリントのドレスは、明治時代、日本の洋装の手本になったエドワード朝様式のデザイン。頭部に据えられた地球儀には、19世紀から21世紀にかけて、女性の権利獲得に貢献した世界の女性の名前(日本の地図の上には、Kato Shizue加藤シヅエ、Ichikawa Fusae市川房枝らの名前がある)が記されている。女性へのエールやエンパワーメントといったテーマが垣間みられるが、何をおいても、作品の醸し出す力強さ、美しさのオーラに圧倒された。福岡市美術館の館長であり学芸課長を兼任する岩永悦子氏は、本作にふれた来館者の反響について振り返る。
「日本人が桜を見るときの高揚感−−−この作品が日本人に掻き立てる感情は、作家本人も想像し得なかったのではないでしょうか。日本人の桜に対する心の奥底にあるエモーショナルな感情が、この作品に自然と心を沿わせ、反応させるんですね。日本で行われる初めての個展だったこともあり、来場された方のほとんどがインカ・ショニバレCBEという作家について知らなかったはず。でも、たくさんの方々がインスタグラムにあげてくださって、“なんだかすごい”、“とにかくかっこいい”と感じていただいたことが、ビビッドに伝わってきました。この作家がアフリカ系であること、イギリスを代表するアーティストであること、なおかつ福岡市美術館のコレクションとの繋がり−−−実はいろいろあるのですけれど、理屈抜きに、強くて、きれいで、圧倒的なインパクトがある。見ているといろいろ考えさせられる。そんな思いが感じられました。」
※インカ・ショニバレCBE・・・ナイジェリア人の両親のもとにロンドンに生まれ、3歳からはナイジェリアで暮らし、17歳のときにロンドンに戻る。バイアム・ショウ・スクール(現セントラル・セントマーチンズ芸術大学)で美術を、ゴールドスミスカレッジ修士課程で芸術学、哲学を学んだ。映像、絵画、インスタレーション、写真など様々な媒体を用い、「ポストコロニアル・ハイブリッド」を自称する。CBEは大英帝国勲章三等勲位のことで、2019年に受勲以降、イギリス的ではない自身の名前にあえて称号を掲げたアーティストネームを、皮肉をこめて用いている。
「前川國男建築の意匠を残しつつ2019年リニューアルオープン。
大濠公園側に新しいアプローチを開いた福岡市美術館で
20世紀を代表する大作から重要文化財を含む古美術までを堪能する」
1979年に開館した福岡市美術館は、市の中心に位置し、広大な池を中心に周遊道、野鳥の森、日本庭園、能楽堂などを有する大濠(おおほり)公園の中にある。設計は日本近代建築の巨匠である前川國男。開館から40年となる2019年春のリニューアルオープンでは、赤茶色の磁器質タイルの外観やアーチ型の天井など、この館のシンボルでもある前川建築の意匠を残しつつ、大濠公園側に新たなアプローチを設置し、展示室を大幅に刷新した。「これがわたしたちのコレクション+インカ・ショニバレCBE: Flower Power」と題されたリニューアル展覧会では、ジョアン・ミロ、サルバドール・ダリ、マルク・シャガールといった20世紀の美術を代表する大作から、アンディ・ウォーホル、ジャン=ミシェル・バスキア、草間彌生、アニシュ・カプーアといった現代美術、吉田博や九州派など近代の西日本出身者や関係の深い作家の作品、さらに福岡藩主・黒田家伝来の大名道具や重要文化財を含む古美術など、福岡市美術館が誇るコレクションが一堂に展示された。
「前川建築の意匠やテイストを損なわないように、細心の注意を払いました。経年で時代の変化に追いつけていなかった展示室に関しては、照明などのスペックを中心に、作品本位で大きくリニューアルしました。かつては、床の色、壁の色などが重厚なトーンで全て統一されていたのですが、古美術、近現代美術など、それぞれの展示室にきめ細やかに現場の学芸員の声を反映しました。近現代美術の展示室はグレーでシックな空間や、5メートルの天井高がある壁も床も真っ白な空間など、作品の雰囲気に合うように。古美術展示室は、天井も壁も黒に統一しました。さらに、仏教美術の展示室には寺院の山門のようなエントランスをつくり、仏像を360度の視点から見られるよう配置を変えました。いままで展示してきたものを、より良く見せるように変えることができ、ゲストの満足度も上がったのではないかと思います。」
1989年に学芸員として着任以来、岩永氏は福岡市美術館ひとすじにキュレーター、研究者として歩んできた。頻繁に展覧会に連れていってくれた美術愛好家の両親の影響が大きく、自宅にある展覧会の図録を手にとって眺めるのが好きな子どもだったという。初めて見た記憶に残る展覧会は、1970年の大阪万博で開催された「万国博美術展 調和の発見」。古代のギリシアの彫刻や土偶などから、当時の現代美術としては最先端の高松次郎の作品まで。後に国立国際美術館(現、大阪・中之島)となった会場で開催されたこの展覧会に、幼いながらに大興奮したことを覚えている。「学芸員」という仕事を意識したのは高校生のときだった。
「京都で開催されていた岸田劉生の展覧会に行きました。《麗子像》を見て、嫌だ、気持ち悪いと思いつつも、膨大な量の作品を見ていくうちに会場を出る頃には、これ、いいかも!と思うようになったんです。一生懸命見ると、嫌だと思っていたものも良さがわかるようになる。価値観や思い込みがひっくり返る経験をして、それがとても新鮮で。そのことを感想文に書いて、あ、自分は絵について論じたり書いたりするのが好きなんだ、と気づく過程があって。絵に関係する、実技じゃない進路を調べてみたら、美学美術史を学べる大学がいくつかみつかり、卒業後の職業として“学芸員”とあった。いいかも!美学美術史がある大学を受けよう!と。今振り返ったらびっくりですが、夢がまっすぐ叶いました。」
「福岡市美術館のひとつの柱はアジアの美術。
アジア美術ってなんですか?をスタート地点に、
今、ここで動き始めたアジアの美術シーンを目撃する」
大学では日本美術史を専攻し、琳派の生みの親でもある本阿弥光悦、俵屋宗達、さらに宗達と光悦のコラボレーション作品にも大きな役割を果たした紙師宗二をテーマに研究。大学院に進んで2年目の頃、福岡市美術館で学芸員の募集があるから受けてみては?と担当教授の推薦を受けて応募した。
「たまたまその年の5月に福岡で開催された美術史学会に出席し、その会場が福岡市美術館でした。私は大阪府の出身なのですが、九州に行ったのはその時が初めて。福岡という街に好印象を持って帰った直後に、教授から募集の話を伺って。学芸員という職業は頻繁に募集があるわけではないし、一人辞めたらその空席を目指して、北海道だろうが九州だろうが、空いたところに受けに行って、落ちたらまた次の場所に受けに行くのが普通の世界。そのときに受験して、運良く合格することができました。以来ずっと福岡です。近現代美術係に配属されたのですが、入庁2年目に琳派の特別展を担当する機会にも恵まれて。入庁わずかで、本来なら10年がかりで訪れるような機会を与えられた私は、とても幸運でした。」
福岡市美術館は、アジア美術を一つの柱にする美術館として1979年に発足した。現代美術といえばアメリカが中心だった時代に、同館がアジア美術を掲げていた時期に岩永氏は就職した。「この美術館に入った者はみんなアジアの近現代美術を担当するんだよ」、との上司の言葉に、「アジア美術ってなんですか?」という地点からのスタートだった。インターネットもない時代。紹介すべきアジアの近現代美術の作家を探すのは手探りの状況で、現地の文部省やアートカウンシル、美術館などから作家を推薦してもらいながら、直接アジア各地に赴き、調査を行い、地道に活動を重ねた。アジアの近現代美術を担当した中で特に印象に残っている展覧会のひとつに、アジア現代作家シリーズとして開催した「タン・ダ=ウ展 シンガポール−伝統と自然のはざまで」(91年)がある。タン・ダ=ウはシンガポールにおける現代美術のパイオニアだが、当時の日本ではまだ認知されていなかった。
「推薦資料や調査資料の中から、気になる作家をピックアップして実際に会いに行くんです。私がシンガポールの担当をして作家を選ぶ際、タン・ダ=ウを候補の一人にあげていたのですが、実際に会いに行ったら大変魅力的な人で。アーティスツ・ビレッジを主宰し、若手を集めたムーブメントを起こそうとしているカリスマでした。そういう意味では、ちょうど今、ここで動き始めたアジアの美術シーンを、リアルに目撃できた。現在では海外のトリエンナーレで紹介された作家を輸入してくるといったルートも多いかと思いますが、私たちは現地に行って、作家に会うことを繰り返していました。1991年がどういう時代かというと、“タン・ダ=ウがファックスを買った!”と皆で万歳したような時代。これで、航空便を待たずに済む!と。待っていたメッセージや、作品のリストがズ・ズ・ズとファックスで送られてきたときは感動しました。」
「古美術係でアジアの染織を担当。
企画展『藍染の美=筒描』や特別展『更紗の時代』が
その先の展覧会へとつながっていく」
近現代美術係に所属していた岩永氏だが、福岡市美術館から新たにアジア美術館(福岡アジア美術館として1999年オープン)が発足することになり、状況が一変する。95年からその準備に入り、当然、アジア美術館に異動することを希望したものの、選に漏れた。アジア美術館準備のための人事異動の後、担当者が不在となった古美術係にコンバートされることになった。
「“大学でも専攻は古美術でしょ”と言われてポンと。いきなり人生の岐路に立ち、道が変わったような気持ちでした。古美術係の上司は、アジアの古美術の中でも陶磁器が専門でした。“僕の専門は陶磁器ですが、アジアは染織が素晴らしいから、君は染織を担当しない?”と提案してくれたんです。もともとアジアの染織には興味がありました。いつかは、と思っていた私は、そんなふうに振ってもらったらもう、是非お願いします!と即答しました。」
古美術係に移動してアジアの染織をテーマに研究を始めたことは、前述のリニューアル展のインカ・ショニバレとの出会いや、後述する美連協大賞・奨励賞を受賞した2020年の展覧会「藤田嗣治と彼が愛した布たち」の企画にも繋がることになった。古美術係として「織り・染め・縫いの宇宙 インドネシア・スマトラ島の染織」展(1999年)、「カンボジアの染織」展(2003年)などを担当。その後、教育普及係としてキッズコーナーの新設に携わった後、再び古美術係に戻り、「藍染の美―筒描」(2011年)、特別展「更紗の時代」(2014年)などを担当した。それにしても、公立の美術館で、アジアの染織を研究する学芸員がいるというのはあまり聞いたことがない。
「多分、とても珍しいと思います。ただ、なぜ美術館に絵画や彫刻があることは当たり前で、染織があることは珍しいのか、については考えてみると面白いかもしれません。珍しいということでいうと、一つの美術館に古美術と近現代美術が共存しているということ自体、珍しい。近現代はもともと福岡市美術館の中心的な存在としてコレクションの中核を担いながら、古美術にも重要文化財があり、名品がある。なおかつ、そこにアジアというテーマがある。福岡アジア美術館ができてアジアの近現代美術はそちらに移行しましたが、せっかくアジアをずっとやってきたのだから、アジアの古美術は福岡市美術館でしっかりやっていこうという方針です。」
インド更紗を通じて、世界に育まれた文化を辿る展覧会として企画された「更紗の時代」展は、後のインカ・ショニバレの展覧会にも繋がるだけではなく、岩永氏の学芸員としての仕事の中でも重要な展覧会となった。16世紀当時、インド更紗ほど色鮮やかな木綿布は世界中どこにも存在しなかった。ヨーロッパからも羨まれる品物だったという。大航海時代、香辛料を産出する東南アジアの島々では、ヨーロッパの品物は見向きもされなかったが、インド更紗は重用され、貴重な香辛料とも交換が可能だった。日本の茶の湯の世界では、インド更紗の裂を仕覆に仕立てるなどして、数寄者から愛玩された。ヨーロッパでは、白地に花柄、といった欧州好みの柄ゆきをインドに発注をすることで、もともとのインド人の好みから外れる、新しいテイストのインド更紗が生まれた。
「白地に花柄のインド更紗はヨーロッパでは女性のドレスにも、男性の部屋着にもなった。アジアでは男性の腰巻になり、日本では男性のきものになり−−−こうして、インド更紗をいろんな国が共有し、共通の美意識が生まれたんですね。日本では、17世紀には和更紗が生まれ、やがてインド更紗の文様カタログが出版されるようになりました。ジュイ布のようなヨーロッパ更紗が生まれ、インド更紗を模したインドネシアのバティックから、アフリカンプリントが誕生したんです。『更紗の時代』展を一緒に担当した現代美術の正路学芸員を通して、アフリカンプリントを使って創作している現代美術作家、インカ・ショニバレCBEの存在を知り、この展覧会でインカまで紹介したいね!と盛り上がったのですが、このときはそこまで行けなかった。5年後、リニューアルを飾る展覧会で、福岡市美術館のコレクションにもつながり、現在の社会情勢からみてもふさわしい作家であるインカに、ようやくたどり着くことができました。」
「福岡市民やゆかりのある方からだけでなく、
日本各地から、世界から、素晴らしいコレクションが
福岡市美術館に寄贈される」
福岡市美術館の最大の魅力はコレクションだ。江戸時代の筑前(福岡)藩主である黒田家の菩提寺のひとつ、薬王院密寺東光院の仏像が展示された東光院仏教美術室、「電力王・電力の鬼」と呼ばれた実業家で西部ガスや西鉄の基礎を築いた松永安左エ門(号「耳庵」)が収集した茶道具を中心としたコレクションが展示された「松永記念館室」に並ぶ作品は、すべて一括寄贈を受けたコレクションであり、そこには平安時代の薬師如来立像や江戸時代に京焼色絵陶器を完成させた陶工・野々村仁清の《色絵吉野山図茶壺》といった重要文化財も多数含まれる。海外からも、ジャワ島のバティックとスマトラ島の染織からなるクスマ・コレクションや、プラナカン女性の衣装を中心とするリー・コレクションが一括寄贈されており、企画展でも紹介されている。
「実は福岡市美術館って、たくさんの寄贈をいただいている美術館なんです。福岡市民やゆかりのある方だけでなく、大阪の方だったり、東京の方だったり、福岡市に思い出がある方だったり、日本中から、海外からも。壱岐出身の実業家で茶人でもあった松永安左エ門氏は福岡にゆかりが深い人物ですが、福岡市美術館が開館する頃、ちょうど松永記念財団が解散することになり、福岡にできる新しい美術館で若手の学芸員が頑張っているのでここに寄贈しましょう、ということになった。この秋は特別展として「没後50年 電力王・松永安左エ門の茶」(2021年10月9日~11月21日)の開催を予定しています。また、2022年1月から開催予定の企画展『シンガポールスタイル:1850−1950 リー・コレクションとクスマ・コレクションより』(仮称)は、2016年に開催した「サロンクバヤ―シンガポール 麗しのスタイル つながりあう世界のプラナカン・ファッション」展の続編とも呼べるもので、2つの寄贈コレクションからアジアの衣装とインドネシアのバティックを取り合わせて展示します。」
「フランスのジュイ布、日本の筒描−−
藤田嗣治の布や衣服への愛着が、その画業にもたらしたものを探る」
2020年秋に開催された特別展「藤田嗣治と彼が愛した布たち」は、これまで数多く開催されたどの藤田嗣治の展覧会とも趣を異にする、興味深い展覧会だった。「布から見た藤田」の視点で、フランスのアンティークの「ジュイ布」から「筒描」と呼ばれる日本の藍染めまで、描かれた布と絵画が合わせて展示され、「藤田嗣治の画業に布や衣装への愛着や関心が何をもたらしたのかを探ることを試みる」ことをテーマとした。インド更紗の影響で生まれた、ヨーロッパ更紗とも言えるフランスの「ジュイ布」、そしてアジア染織の研究を続ける中で岩永氏が初めて開催した日本の染織である「筒描」は、ともに藤田嗣治の愛した布であったのだ。
「アジアに調査出張に頻繁に行っていた時期に夫が大病をしまして、しばらく海外調査に出かけることが難しくなりました。その頃、日本の染織のコレクターとご一緒する機会もあり、海外に行けないのであれば、もしかしたらこれは内側に目を向けろということかと。それで初めて日本の染織の展覧会、『藍染の美―筒描』(2011年)を開催しました。日本の染織は研究者の層も厚いのですが、筒描については殆ど論じられていなかったということと、そして、この派手さというか、強さが好きだな、いいなと、思いまして。面白い、やってみよう!と。夫の病気で仕事をセーブした時期もあったので、久々にがっつり展覧会を担当するのが本当に幸せで、楽しくて。そのとき、このコレクターの方が、“そういえば藤田嗣治って、筒描の絵を描いてるよね”って教えてくれたんです。この展覧会の開催後、筒描のコレクションを所蔵しているフランスのギメ東洋美術館でも筒描展を開催することになり、フランスに行く機会もできたので、せっかくだから駄目元で、とメゾン=アトリエ・フジタ美術館に伺ったところ、藤田が自室や画室の風景の中に繰り返し描いた、茶道具が描かれた筒描の布があったんです。それを踏まえて、日本から持って行ったもの、ギメ東洋美術館の所蔵品、そして藤田の筒描を合わせてギメ東洋美術館で展示しました。そのとき、いつか“藤田と布”をテーマに展覧会を開催したいという思いが芽生えたんです。」
友禅染を染めの最高峰とするならば、筒描は庶民的な「下手」の世界。法被(はっぴ)や印半纏、祭り着などに惹かれるという岩永氏は、「藤田もこの手が好き。作品にも描いていて、愛着を持ってずっと手元に置いていた。この人とは気が合う!と勝手に思った」と笑う。日本滞在中の30年代、40年代は藤田の低迷期と言われているが、岩永氏にとっては「最高にツボ」で、「めちゃくちゃ面白い」とも。この流れの先に戦争画があって、そこまでをピンポイントで紹介したいと考えたが、ジュイ布が描かれていた初期の作品から見直したことで、そもそも、布を描くことが藤田の画業にとっていかに重要であったかを辿り直すことができた、と振り返る。しかし、予定されていた会期はコロナ禍の只中。フランスのメゾン=アトリエ・フジタから出品された54点の布や衣装の展示は、フランス現地の同館・館長と時差のある中、Zoomの画面で確認しながらの展示確認作業となり、その様子が記されたブログは話題になった。
「Zoomでの展覧会の準備は、今では増えていると思いますけど、あの頃は“はしり” (笑)で。メゾン=アトリエ・フジタが所蔵する染織品をきちんと評価をした上で、絵画作品と一緒に並べて展示されることの意義を館長に認めていただいたおかげで、全面的な協力を得ることができました。日本の美術館には藤田嗣治の素晴らしい作品が多く所蔵されているのですが、この展覧会は福岡市美術館だけの単館開催で展示期間が短いから、と貸し出していただけた作品もあった。福岡市美術館のコレクションに藤田の作品があったことも大きい。私は染織が専門で藤田の研究者としては実績もないわけですが、“布から見る”というテーマには自分なりの手がかりがありました。“藤田という人に出会ったような気がする”と感想を言ってくださった方がけっこういらして、“絵を見た”というより“人と出会った”と感じていただいたのはとても嬉しかったですね。」
「ベビーカーでお越しの親子連れでも、どなたでも。
今こそ美術館にきて心を解き放し、
新しい何かを得て帰っていただければと思います」
学芸課長に就任する直前に、近現代美術係、古美術係と合わせてもうひとつの福岡市美術館の学芸員の柱でもある教育普及係で岩永氏が着手した仕事は「キッズコーナー」だった。福岡市美術館の同僚として仕事をしていた友人の「美術館で作品の前に立つと、妻でもお母さんでもなく自分になれる」という言葉が心に残り、ベビーカーで訪れても誰にも遠慮しないで、安心して子どもを連れてこられる、子どもと保護者の居場所がある美術館が必要だと強く感じた。
「現在、福岡市美術館にはエデュケーターとして採用された専門の学芸員がいて、未就学児から高齢者までを対象としています。最近の取り組みとしては、認知症の方を対象にしたプログラムを始めました。私は専門的な知識も十分なかったのですが、子どもの居場所の必要性を痛感したことから、2009年の開館30周年記念展の開催時に、展示室の中に子どもの居場所となる「キッズコーナー 森のたね」を仮設で作りました。結局それがリニューアルのときに作った恒久的な『キッズスペース 森のたね』へと展開しました。地元在住の作家、オーギカナエさんの制作・デザインで、マグネットにより取り外しのできるおもちゃのようなオブジェを、壁にくっつけたり取り外したりして遊ぶことができます。春には桜の花、秋には紅葉した葉っぱと、季節によってオブジェも変えて。好きなところに付け替えができるので、子どもたちがワーッと遊んで出て行ったら、最初と全然違う壁になっていたりして、面白いんですよ。」
建築家・前川國男は、大濠公園の池を見下ろす一番眺めがよい場所である2階のスペースをレストランに決めた。その真下、リニューアルの際に新しく開かれたカフェスペースのある大濠公園側のアプローチからは、「見下ろすのではなく水平に」大濠公園の景色が開け、「ジョガーの顔も見える」ほど、美術館の建物と公園の距離感がぐっと近くなった。「門から入るのではなく、そこを通りがかったから入ろう」という感覚になる、と岩永氏。カフェやレストラン、ミュージアムショップ、情報コーナーはチケット不要。ベビーカーの幼い子どもとお母さんだけではなく、どなたでも、この美術館に来ていただければ、と語る。
「美術品と向かいあっているときって、意外と自由な時間かなと思います。目の前にあるものを一生懸命見ているときは、その他のことを考えなくていい。昨日、ちょっと家族と喧嘩したとか。そういうことは置いておいて、目の前のものを見ることに没頭する。自分を別の世界に持っていく時間は、とても大事だと。文化庁長官の都倉俊一さんがステートメントを出されたように、文化芸術活動は不要でも不急でもなく、必要不可欠なものです。コロナ禍でおうちにいるのは正しい。でも、混み合っているわけでもない、天井の高い、広々とした空間で作品と対峙すると心が解放されるし、心身共にとっても充実した時間を持つことは、間違ったことではないはず。だから私は、美術館は今こそ来ていただきたい場所だと思っています。この美術館で新しい何かを得て帰っていただけたらと。私たち学芸員はコレクション作品の中で発見したことを皆さまに提示したいし、見る方々にもこんな発見があった、今日はこれをみつけた、ということがたくさんあるといいなと思います。」
VOL.04 福岡市美術館(福岡県福岡市中央区)
福岡市美術館
館長 岩永悦子氏
Etsuko Iwanaga Director Fukuoka Art Museum
同志社大学文学部文化学科美学藝術学専攻卒業、同大学院文学研究科哲学科博士課程前期終了(修士号取得)。1987年、福岡市美術館学芸員・近現代美術係に着任。1996年に古美術係に移動し、アジアの染織の研究をはじめる。2015年より学芸課長。2019年のリニューアルに向けて中心的な役割を果たす。2020年より運営部長と学芸課長を兼任。2021年4月より福岡市美術館 館長と福岡アジア美術館 館長を兼任。担当・企画した主な展覧会に、「タン・ダ=ウ展 シンガポール−伝統と自然のはざまで」(1991年)「藍染の美-筒描」(2011年)、フランス国立ギメ東洋美術館「Tsutsugaki Textile indigo du Japon」(2013年)、「更紗の時代」(2014年)、「サロンクバヤ|シンガポール 麗しのスタイル つながりあう世界のプラナカン・ファッション」(2016年)、特別展「藤田嗣治と彼が愛した布たち」(2020年)などがある。
ページ上部に戻る ↑
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
- 福岡市美術館|Fukuoka Art Museum
810-0051 福岡県福岡市中央区大濠公園1-6
開館時間:9:30~17:30
定休日:月曜日 (ただし月曜日が祝・休日の場合は開館し、翌平日が休館、年末年始)
参考文献:「インカ・ショニバレCBE:Flower Power」、「更紗の時代」、「藤田嗣治と彼が愛した布たち」(すべて発行・福岡市美術館)