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メディアを自在に横断し制作をし続ける
白井美穂の美術館初個展

「白井美穂 森の空き地」が、府中市美術館にて2024年2月25日(日)まで開催

内覧会・記者発表会レポート

府中市美術館にて開催中の「白井美穂 森の空き地」 展示風景より
府中市美術館にて開催中の「白井美穂 森の空き地」 展示風景より

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インスタレーションから絵画、映像や写真に至るまで、メディアを横断して制作を続ける白井美穂(しらいみお)の個展「白井美穂 森の空き地」が、府中市美術館にて2024年2月25日(日)まで開催中だ。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
「白井美穂 森の空き地」
開催美術館:府中市美術館
開催期間:2023年12月16日(土)〜2024年2月25日(日)

1980年代後半から既製品を用いたインスタレーション作品を制作し注目を集め、ヒルサイドギャラリー(東京)での個展や、「アーティスト・ファイル」(国立新美術館、2008)への参加の他、「瀬戸内国際芸術祭」(2013)「あいちトリエンナーレ」(2013)など国際展でも多く活動してきた彼女だが、実は美術館での個展は今回が初めてである。府中市美術館の学芸係長・神山亮子は「なぜこれだけの作品を作れる人が埋もれているのか」と疑問に思い、本展を企画したそうだ。

「ことば遊びや哲学、そして時にユーモアを交え、洗練した造形性で表現しきる高い総合力が白井さんの魅力。彼女の作品には対となる概念が多く見られ、また落ちてきそうなものや転がっていきそうなイメージが浮かぶ作品もあります。それらは悲劇的な結末を予感させると同時に崩壊やカタストロフィがもたらす解放も感じさせ、私はとても力をもらえるのです。みなさんにもぜひ会場で感じ取っていただきたいです」と神山氏は述べる。

配置をずらし、既製品に新たな視点をもたらす

「白井美穂 森の空き地」展示風景 《卓上噴水》 撮影:中川周
「白井美穂 森の空き地」展示風景 《卓上噴水》 撮影:中川周

まず私たちの目に飛び込んでくるのは、1980年代後半頃に制作された既製品を用いたインスタレーション作品たちだ。

ロビーなどで使われるロープやポール、そしてテーブルに椅子にスキー板など、どれもこれも一度は見たことのあるものが使われているが、テーブルの下にランプが取り付けられていたり本来テーブルがある位置に人工樹木がずらりと並んでいたり、思わず違和感を抱く組み合わせや配置の転換に目を引かれる。

こうした初期の作品では "もの" が持つ意味や機能を配置などの置き換えによってずらし、既知の対応関係から解放することを試みていたという。

《前へ前へとバックする》1989年 スキー板、鉄、コンクリート、ステンレス、油性塗料 個人蔵 展示風景より
《前へ前へとバックする》1989年 スキー板、鉄、コンクリート、ステンレス、油性塗料 個人蔵 展示風景より

例えば2階の展示室のはじめに設営されている《前へ前へとバックする》(1989年)は、道路に描かれた交通標識のようにスキー板がひし形に置かれた作品である。

スキー板は前方がそり返り「前後」が明確に規定されている。そんなスキー板同士をぐるりと一周つなげるとどちらが前でどちらが後ろなのか前後関係は円環の中に埋没してしまう。さらにそれを前方に設置された標識のようなステンレスに写すことにより、意識の往復のイメージを作り出しているのだ。

《Six Tables》(1991年)木、照明器具 展示風景より
《Six Tables》(1991年)木、照明器具 展示風景より

テーブルの下にランプを吊り下げた《Six Tables》(1991年)では、今度は上下の関係が転換されている。本来床に置かれるはずのテーブルは宙に浮き、テーブルの上にあるはずのランプは下にある。

位置をずらされることによって "もの”は日常の営みのために付与された機能や意味を失い、より哲学的な表情を見せる。シンプルな造形性だが、一歩踏み込むと抜け出せないこの思考の深さこそ、30年以上経った今でも白井の作品が色褪せない理由のひとつだろう。

対となる概念から派生する「境界」への興味

《永い休息/立ち入り禁止》(1989年)鉄、鉛、コンクリート、ロープ 個人蔵 展示風景より
《永い休息/立ち入り禁止》(1989年)鉄、鉛、コンクリート、ロープ 個人蔵 展示風景より

冒頭で「彼女の作品には対となる概念が多く見られる」と学芸係長 神山氏が述べたように、また前段で紹介した作品からも読み取れるように、白井の作品は「前後」「上下」など対の概念が巧みに使われている。さらに時に2つのものを浮かび上がらせ、また2つのものを隔てる「境界」も作品に幾度も現れるテーマである。

例えばエントランスホールに展示された《永い休息/立ち入り禁止》(1989)について、白井氏はこう語る。

「《永い休息/立ち入り禁止》は、ロープや鉄のポールを用いた対の作品です。1989年はベルリンの壁が崩壊した年。内と外など世界を隔てる境界というものに興味がわき、三角形に並べた鉄にロープをかけて境界を作りました」

《永い休息/立ち入り禁止》の他にも、2階の展示室に飾られている《Table》(1992年)でもまた白井は「境界」というキーワードにふれている。椅子が向かい合わせに2列置かれている作品だが、《Table》というタイトルにも関わらず肝心のテーブルは置かれていない。代わりに44個もの人工樹木がずらりと椅子と椅子の間に並べられている様子はどこか意味深である。

《Table》(1992年)椅子、人工樹木、木、塗料 千葉市美術館蔵 展示風景より
《Table》(1992年)椅子、人工樹木、木、塗料 千葉市美術館蔵 展示風景より

「ディナーテーブルを挟んで向い合う人たちの間に、まるで境界のように暗い森があります。椅子にとっては伐採される前の自分の姿を見ているとも言え、さまざまな解釈で見ていただきたいです」と白井氏は語る。

映像作品《Forever Afternoon》より 2008年 府中市美術館蔵
映像作品《Forever Afternoon》より 2008年 府中市美術館蔵

第3章で展示されている不思議の国のアリスをモチーフにした映像作品《Forever Afternoon》(2008年)で表現されている “コミュニケーションのずれ" も、「境界」の別の姿と言えるのはないだろうか。映像はアリスが帽子屋とうさぎのお茶会に紛れ込むというあの有名な場面をモチーフにしているが、彼らの会話は終始噛み合わないのだ。

白井が精力的に制作をしていた20世紀は、グローバリゼーションがさらなる加速度を持って進んでいった時代である。1978年の成田空港の開港が象徴するように、これ以降海外旅行も一般化していき、国と国との境界が溶けてなくなってゆくかのような “世界の一体化”が人々の間に広く浸透していった。けれども生活に根ざした個人の視点ではどうだっただろうか。言語や文化が違う者同士が出会うことでもたらされる「噛み合わなさ」や「違和感」「すれ違い」が至るところで生まれ、それは一体化とは程遠い感覚をもたらしたのかもしれない。まるで両者を隔てる境界が存在しているかのように。

1993年から2006年までアジアン・カルチュラル・カウンシルの助成を受けNYに滞在していた白井もまた、こうした体験の当事者だ。

「今振り返ると、映像などの作品には渡米し生活環境が変わった時に起きた人間関係の摩擦や困難などの感覚も取り込まれているように思います」と、当時を回想して白井氏は語る。

インスタレーションから絵画への回帰

左:《Anima Mundi》(2023年)キャンバスに油彩、中央:《到来》(2023年)キャンバスに油彩、右:《落下する水》(2023年)キャンバスに油彩 展示風景より
左:《Anima Mundi》(2023年)キャンバスに油彩、中央:《到来》(2023年)キャンバスに油彩、右:《落下する水》(2023年)キャンバスに油彩 展示風景より

1から3章までは1980〜1990年代のインスタレーションを中心に紹介されているが、4章からは2000年代に制作された絵画作品たちの姿が現れる。

都会的な洗練さを感じさせる造形性と情緒や感覚を抑制した社会的な視点からのアプローチが多かったインスタレーション作品とは一変し、絵画ではやわらかく有機的な線やピンク、イエローなどの鮮やかな色が登場している。

21世紀に入ろうという時代の節目に明らかに起きているこの作品性の転換は、2001年に起こった「9.11」がきっかけだったという。

「9.11が起こった時私はNYに滞在しており、ワールドトレードセンターから500mほどの距離に住んでいました。この事件は私を含め都市とそこに住む人々にカタストロフィをもたらしたように思います」

《Across the River》(2005年)布、糸、アルミニウム、アクリル 展示風景より
《Across the River》(2005年)布、糸、アルミニウム、アクリル 展示風景より

「河を渡る Across The River」と名付けられた4章の入り口付近には、こうした白井の意識の変化を象徴するように「9.11」をきっかけに制作したというキルト作品が展示されている。夜の川を渡って船を漕ぐ人の行く末が果たしてどこなのか、当時の白井の困惑と向かう先への微かな希望が伺えるような作品である。

そんな社会の混乱期において、白井は出発点であった絵画を再考し、新たな実践を始めた。

「以前は人工と自然など2項対立に興味がありましたが、人間も自然の一部であるという風に意識が変わっていったのです。絵画は自然の光を扱う表現技法。太陽光線と人間の感覚の関係に興味が湧き、絵画の創作につながっていきました」

インスタレーションでは工業製品など人工物を扱っていたが、絵画作品では作家の先ほどの言葉にもある通り彼女の意識は「自然」へと向かっている。

個展「Time Is Vertical」(2018年 nap gallery、東京)での展示風景
右:《反転波》2018年 府中美術館蔵
個展「Time Is Vertical」(2018年 nap gallery、東京)での展示風景
右:《反転波》2018年 府中美術館蔵

「例えば《反転波》(2018)という作品は、エネルギーの変動によって動きを変える波を描いています。自然界の生成のダイナミックなプロセスを自分身体を媒介に、絵画に移し換えています」と白井氏は話す。

光が射す先に現れる「森の空き地」

《回廊》(1991年)ゼラチン、シルバープリント、額縁、紙、ドラム 展示風景より
《回廊》(1991年)ゼラチン、シルバープリント、額縁、紙、ドラム 展示風景より

最後の第5章は、個展のタイトルにもなっている「森の空き地」という名が付けられている。この章で飾られている《回廊》(1991)は帽子の箱が高く積み重ねられ、その上にドラムが乗っている作品だ。

内部と外部を持つ箱というものの間を縫うように作品を眺める我々は、果たして作品の内側にいるのかそれとも外側にいるのか……。答えなどあるはずもない問いが思わず浮かんでくる。

それにしても、なぜ展覧会のタイトルは「森の空き地」なのだろうか。白井氏は展覧会のタイトルについて次のように語っている。

「森の中の空き地に何かが見えてくる。そういうイメージを元に展覧会のタイトルを『森の空き地』にしました。今回展示させてもらうことになった府中市美術館も森の中にありますから、この場所に美術館があることについて何かを感じていただけると思います」

5章に辿り着くまでにさまざまな概念や時代がまるで森の木々のように幾本も立ち並び、そして枝葉を伸ばす間を鑑賞者は歩いてゆく。やがてぱっと光が射した場所「空き地」へと出た我々の前に現れるのは果たして一体何だろうか。そこには何があるのか、何を感じさせるのか、それとも何もないことにこそ意味を見出すのだろうか。

みなさん自身でぜひ「森の空き地」がどういう場所なのか、体験してもらいたい。

白井美穂(しらいみお)

1962年生まれ。東京藝術大学美術学部で学んだ後、1980年代末から大規模なインスタレーションを旺盛に発表して注目を集める。1993年アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)の助成を得てニューヨークに渡り、2006年まで同地を拠点に活動する。帰国後は住み慣れた東京西部に戻り、映像や絵画、立体作品等を制作している。1994年にファーレ立川にパブリックアート《Round Trip》と《Cut》を設置。個展のほかに、「アーティスト・ファイル2008」(2008年 国立新美術館・東京)、「瀬戸内国際芸術祭」(2013年 宇野港・岡山)、「あいちトリエンナーレ」(2013年 愛知県美術館・愛知)等に参加。東京造形大学教授。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
府中市美術館|FUCHU ART MUSEUM
183-0001 東京都府中市浅間町1丁目3番地(都立府中の森公園内)
開館時間:10:00〜17:00(最終入館時間 16:30)
休館日:月曜日 ※ただし、2月12日(月・振)は開館

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