ミニチュア化されたリアルな世界を俯瞰する
「本城直季 (un)real utopia」展が東京都写真美術館で開催
構成・文 澁谷政治
一見すると精巧なミニチュア模型の写真と錯覚する。そして、これが我々の住む実際の世界と知り、無意識に過ごす現実社会と虚構の境界が曖昧になっていく。一度目にすると強いインパクトを残す写真家 本城直季のこれまでの作品をまとめて楽しめる大規模な個展「本城直季 (un)real utopia」が、国内5か所巡回展の最終会場として2022年3月19日から5月15日まで、東京・恵比寿にある東京都写真美術館で開催されている。
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
- 「本城直季 (un)real utopia」
開催美術館:東京都写真美術館
開催期間:2022年3月19日(土)~5月15日(日)
私は以前、出張や旅行などで飛行機に乗る機会が多く、全日空の機内誌『翼の王国』に見開きで連載されていた本城直季の写真が楽しみでもあった。誌面を閉じた後も、飛行機の窓から広がる大地や街並みを見下ろしながら、下界の喧騒をミニチュア化するような追体験を楽しんでいた。コロナ禍から旅の形も変わり、現在この機内誌もデジタル化によりリニューアルされ、彼の写真を見る機会は少なくなっていた。今回彼の個展が開催されると知り、飛行機の旅に向かうあの小さな高揚感を胸に、恵比寿ガーデンプレイスまで足を延ばした。
本城直季は、上述のようにミニチュア化された世界を切り取った写真集『small planet』で、2007年に第32回木村伊兵衛写真賞を受賞し脚光を浴びた。この写真は4×5インチ判の大判カメラの蛇腹を操りピントを調節する「アオリ」を生かして撮影されている。本城は感光面を上下に傾ける「ティルト」という手法を用い、ピントを真ん中の横一線に合わせ、手前と奥がぼやける効果を狙う。これが対象物を接写するときと同じ目の錯覚を引き起こし、まるでミニチュアを見るような不思議な世界を創り出す。なお、この4×5インチ判の大判カメラは通称「シノゴ」と呼ばれるが、本城が写真家の仲間4名で立ち上げた共同事務所の名前も「SHI NO GO」としているそうだ。当初は高層建築物や展望台などからの撮影だったが、その後ヘリコプターなどの空撮が多くなっていく。この大判カメラでの空撮風景、また本展示における写真への思いなどは以下動画でも公開されている。
会場に足を踏み入れると、反響を呼んだ写真集『small planet』の作品群が中央に大きく飾られている。どの写真も本当に実物なのか、それともミニチュア模型なのかと疑いたくもなる。実は本城は以前雑誌の企画で、今回展示されている「Tokyo Station,Tokyo,Japan」(東京駅)という写真と同じアングルで、栃木県の東武ワールドスクウェアにある東京駅のミニチュアを比較撮影したことがある。脚立を使って同じく俯瞰した光景を写し出したが、その質感や光の加減のせいか、面白いことに結果は本城の撮影した実物の方がよりジオラマらしかったそうだ。思い込みによる視覚がいかにいい加減かを如実に示すエピソードである。現在グーグル・マップやフォトショップによる加工で似たような光景を作り出すことは難しくない。しかし、本城は過去のインタビューでも、本物を模型っぽく見せることが面白い、普段見過ごしている視点の定着を求めて、あえて大判カメラでの撮影を続けていると答えている。
アフリカ・ケニアの草原を切り取った2008年の『kenya』シリーズの作品。それまでは主に人工的な都市風景を好んで撮影していたが、ここでは自然や動物たちが作り上げた光景にも目を向ける。ジオラマのように美しい草原を俯瞰すると、どこまでも続く大地を悠々と歩く小さな動物たちが愛おしく感じられる。都市部の人間と何ら変わらない、同じ地球の隣人として彼らへの親近感が湧いてくる。本城のカメラを通したまなざしで世界を見ると、何気ない日常や知っているはずの知識が、別の角度から問い掛けてくるようだ。
次の展示に目を移すと、一転して小さな屋内写真が並ぶ。『treasure box』と名付けられたその作品群は、暗い劇場に映える華麗な舞台、宝塚歌劇団の公演である。実は雑誌の依頼による撮影がきっかけで、本城自身も宝塚の美しさに魅せられ、1年間公演に通いこの作品が生まれたそうだ。上下が黒一色だからこそ、中央の煌びやかな舞台が強調され、小さな写真に華やかな物語が凝縮されたような印象を受ける。ミニチュアのように見える現実の中において、エンターテイメントによる非現実の夢の世界は、その名の通り大切にしたい“treasure box”、宝箱のように思えてくる。
2016年に続けて出版された写真集『東京』と『京都』の作品を同時に見られるのも面白い。東京は『small planet』でも多く題材となっているとおり、人工的な都市の象徴として写し出されている。夏の東京は空気が澱み、上空から見ると塵の層が見えるそうだ。そのため、空気が澄んでいる冬場の方がより鮮明に撮影ができるという。一方で、京都については視点を変えて、都市部と共存する自然に囲まれた神秘的な神社仏閣に目が向けられている。作り物のように見える深い森に浮かぶ古刹の姿に、東京とはまた違った魅力として、先人が築き上げた美しい日本の都市風景が実在することを再認識する。
奥に進むと、遠景ではない別のテーマ性を感じる作品『LIGHT HOUSE』シリーズが展示される。人のいない深夜の街並みは、昼間の賑わいが影を潜め、「アオリ」の技術を使わなくても作り物の世界のように映る。本城は中学時代に母を亡くし、喪失感から真夜中に抜け出してコンビニで立ち読みをしたり、夜の池袋をあてもなく自転車で彷徨った経験があるという。そのときにふと見上げた夜空に浮かぶ高層ビルや住宅街の光から、映画のセットや仮想空間に迷い込んだように感じた思いが、これらの作品に繋がっている。ほのかに街灯が照らす夜の風景が、壁に囲まれた空間に展示されており、夜の静寂が漂う都市の空気を脳裡に浮かべながら眺めることができる。
また、今回個人的に印象に残った作品に『tohoku 311』シリーズがある。私は本城作品に広告などの商業写真や、芸術写真としてのイメージを持っていた。しかし、2011年の東日本大震災を追ったこのシリーズは、本城作品らしい「アオリ」の技術を通して見るまた一つの「記録写真」だと感じられる。本城自身は震災当時、東京にいたものの、連日の報道に胸を痛め自分ができることは何かと悩んだ末、震災3ヶ月後にヘリコプターで東北地方の空撮へ向かったという。メディアの報道では大きな津波被害状況、人々の悲しみや苦悩がクローズアップされ、復興に向けた課題を受け手側がともに考えられるよう具体的に伝えられている。他方、本城の写真では一つ一つのエピソードから距離を置いて見ることで、それらの全容を俯瞰して捉えることができる。図録でも「原爆被災直後の広島のような風景」という表現があるが、途方に暮れる町全体の呆然とした佇まいに言葉を失う。公開動画内で本城自身が語るとおり、元に戻す印象の強い「復興」という言葉では言い表せない、新しい町を一から作っていくしかない、という諦念にも似た力強い決意を感じずにいられない。
上記以外にも、これまで本城が発表してきた作品の数々を展観できる。アメリカ西部のラスベガスを空撮したシリーズ『Scripted Las Vegas』。カジノのある歓楽街などラスベガスらしい光景が目を引くが、視点は徐々に、灌漑や発電の利用をもたらし砂漠地帯における都市開発を可能にしたフーバーダム、そして幾何学的に立ち並ぶ住宅街や張り巡らされた幹線道路など、まさにミニチュアのような人工的な光景へと引き込まれる。また、小学校の校庭を題材とした初期のシリーズ『small garden』。囲まれた環境で楽しそうに駆け回る子供たちを見て「理想的な箱庭」と感じたという、まさにジオラマとして微笑ましく見てしまう作品だが、実は撮影のための高所が隣接する学校を探すのが難しかったという逸話も聞く。
そのほか、無機質な建造物の宝庫とも言える工業地帯を切り取った『industry』、ホノルルのビーチや北海道のスキー場などリゾート地の人々の余暇を俯瞰する『play room』、そして日本国内の森林にフォーカスした作り物のような自然が美しい『plastic nature』シリーズなど、本城作品の軌跡が追える展示の数々は見ていて飽きない。
現代は誰でも気軽に写真が撮れる。デジタル加工やSNSでの発信も身近だ。本城自身も特に子供が誕生してからは、スマホでの撮影も気軽にしているそうだ。ただ、この大判カメラで撮影する本城の視点は、普段我々もスマホを片手に撮影している日常生活を、一度立ち止まって俯瞰することを提案している。本城のまなざしは淡々と俯瞰する一方で、その世界を愛おしく思う温かみも感じられる。
本城の作品の登場人物を自分に置き換えたとき、我々が地球というジオラマの中の小さな存在とも言えることに改めて気付かされる。ふとリチャード・バックのSF小説『ONE』のパラレルワールドの世界を思い出す。世界の人々は、実は自分と変わらない同じ存在なのではないだろうか。限りある地球の中で暮らす小さな我々一人一人が、互いに思いやりを持って謙虚にこの社会で共存していこうとするのであれば、無益な争いや悲惨な事件も避けられるのではないだろうか。そんな飛躍した考えにも頭を巡らす。
かわいらしくミニチュア化された光景は見ていて楽しい。しかし、地球上のすべてのものが作用して作り上げてきたジオラマのように美しい世界に、我々自身が住んでいるのだとも言える。私が旅先に向かう機内誌で楽しみにしていたのは、目の錯覚をもたらす不思議さだけではなく、自身もミニチュアのように小さな存在であることを再認識し、日頃の悩みや不安までもが小さなことに思えてくる癒しの感覚だったのかも知れない。写真の中の世界は実在なのか虚構なのか、既存のイメージや想像だけでは捉え切れない。これまでと違った視点を持って世界を見つめ直す方法を、本城の写真は示してくれているのではないだろうか。是非この展覧会で、”small planet”――小さな地球を俯瞰し、観る者の視覚や感覚が揺さぶられる作品の数々を楽しんでほしい。
澁谷政治 プロフィール
北海道札幌市出身。大学では北欧や北方圏文化を専攻し学芸員資格を取得。大学院では北方民族文化に関する研究で修士課程(観光学)を修了。現在は、国際協力に関連する仕事に携わっており、中央アジアや西アフリカなどの駐在経験を通じて、シルクロードやイスラム文化などにも関心を持つ。