FEATURE

ヒップホップを奏でる現代と
モノクロの聖なる古都が行き交う

特別展「邂逅する写真たち――モンゴルの100年前と今」が国立民族学博物館で開催中

展覧会レポート

《チョコ・ナイトクラブ》2017年 ウランバートル B.インジナーシ撮影
《チョコ・ナイトクラブ》2017年 ウランバートル B.インジナーシ撮影

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構成・文 澁谷政治

「ヒップホップの発祥は、モンゴルである。」――多くの人は首を傾げるかも知れない。しかし、ステレオタイプで描く大草原、力士や馬頭琴、民話「スーホの白い馬」などのイメージから違った角度でモンゴルを眺めると、この言葉の意味をもっと知りたくなる。2022年3月17日から5月31日まで、日本とモンゴルの外交関係樹立50周年を記念して、モンゴルの過去と現在を堪能できる 特別展「邂逅する写真たち――モンゴルの100年前と今」が、大阪・国立民族学博物館で開催されている。まだ知らないモンゴルの一面を探るべく、梅から桜へ移り変わる季節に、大阪・吹田市にある万博記念公園へと足を延ばした。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
日本・モンゴル外交関係樹立50周年記念特別展
「邂逅する写真たち――モンゴルの100年前と今」
開催美術館:国立民族学博物館
開催期間:2022年3月17日(木)~5月31日(火)

東アジアに位置するモンゴル国は、日本の約4倍の国土に人口が約335万人、そしてその半数が首都ウランバートルで暮らしている。草洋が広がる内陸国のイメージに違わず草地率は79%と世界一だが、実際の遊牧民は全人口の約9%程度と言われる。チンギス・ハーンの時代より南ロシアや東欧まで世界を席巻したモンゴル帝国を経て、20世紀にはソ連に続き社会主義国となり、1992年に民主化を宣言した歴史の変遷を持つ。

首都ウランバートルは、古くは聖なる寺院に由来する「フレー」と呼ばれた。これはこの街がチベット仏教の流れを汲む宗教都市であったことを示す。社会主義建国以前の最後の皇帝とされるボグド・ハーンは活仏と言われる転生したラマ(師僧)であり、当時の大臣らにおいてもチンギス・ハーンの血筋の王公のほか、高位のラマが多かった。遊牧民や社会主義時代のイメージからもあまり知られていないが、実は仏教や土着のシャーマニズムなど独自の宗教観による文化も多く見られる。

17世紀には移動式のゲル宮殿「ウルグー」で構成された「シャル・ブスィーン・ホト(黄帯城)」が建設される。このウルグーを語源とした「ウルガ」がこの街の名として欧米で広く知られるようになっていった。現代のウランバートルという首都の名は、モンゴル語で「赤い英雄」という意味で、社会主義国となってからの呼び名である。

《自転車に乗る買売城の税関官吏ロブサンジャンツァン》1913年 O.マーメン撮影 オスロ大学文化史博物館蔵
《自転車に乗る買売城の税関官吏ロブサンジャンツァン》1913年 O.マーメン撮影 オスロ大学文化史博物館蔵

今回の展示は二部構成になっている。会場1階の第1部「時を超えて邂逅する都市――ウルガとウランバートル」では、100年前に欧米各国の探検家が残した貴重な古都ウルガの姿、そして現地の若手ドキュメンタリー写真家B. インジナーシ(B. Injinaash)が映し出す現代ウランバートルとの比較が興味深い。入口から抜ける正面のホールに現れる、高さ6.7m、幅27mの巨大なパノラマ写真は圧巻である。目を引くガンダン寺の観音堂と背後のボグドハン聖山の山なみだけが現代へと続いている。

会場展示風景
会場展示風景

大パノラマ写真の左手に進むと、チベット仏教の声明が響く中、100年前のウルガの人々の衣装展示や、貴重な都市風景などの記録写真が並ぶ。パネルで飾られる宮殿の絵図には、モンゴルらしいゲル型の建物群が確認できる。牧草の保護など環境保全の考えからも定住をしない遊牧民にとって、移動のしやすいコンパクトなゲルは自然の摂理に適した建造物であったのだろう。実際にこのフレーと呼ばれた都市はその後、約30回も移動を繰り返したと言う。歴代の大臣から庶民の生活まで、当時の空気感が伝わる写真は眺めていて興味が尽きない。市場を行き交う人々、ゲルで暮らす家族、草原でタバコをくゆらす青年たち――。

《草原の若者たち》(部分)1909年 セレンゲ県 S.パルシ撮影 フィンランド文化遺産庁民俗学画像コレクション
《草原の若者たち》(部分)1909年 セレンゲ県 S.パルシ撮影 フィンランド文化遺産庁民俗学画像コレクション

しかし、ふと考える。実は我々のモンゴルのイメージは、この100年前の写真に近いものではないのか。ここで今回の展示の意図どおりに、現代への興味が湧いてくる。大パノラマ写真の左右の入口双方に設置されたモニター画像は、実は反対側のモニターと対になって投影されている。左側が100年前の湖畔のゲル前に集う家族であれば、同時に右側には現代のロックコンサートに集う若者が映るという仕掛けである。壁面を挟んだ位置にあるため気付きにくいが、是非往き来して見比べてみてほしい。まさに写真の人々が時代を超えて邂逅しているのが感じられる。

《グランジロックのバンド“ニスバニス”のライブでヘッドバンキングする若者たち》2017年 ウランバートル B.インジナーシ撮影
《グランジロックのバンド“ニスバニス”のライブでヘッドバンキングする若者たち》2017年 ウランバートル B.インジナーシ撮影

大パノラマ写真の右側へ向かうと、現代のモンゴルの飾らない素顔を切り取った写真が連なる展示に続く。今回の展示の主役とも言えるのは、若きモンゴル人ドキュメンタリー写真家インジナーシの作品群である。1989年ウランバートル生まれの彼は、2016年にマグナム財団のフェローシップを獲得し、その後『ナショナルジオグラフィック』『タイム』『ワシントンポスト』などにも掲載された実力を持つ。2021年にはオランダの芸術賞Prince Claus Seed Awardsを受賞したばかり。彼の作品には、まさに現代を生きるモンゴルの若者のまなざしが生き生きと感じられる。

《シャングリラ・モールにて 映画館の前に立つ女性たち》2021年 ウランバートル B.インジナーシ撮影
《シャングリラ・モールにて 映画館の前に立つ女性たち》2021年 ウランバートル B.インジナーシ撮影

ショッピングモールでスマホを片手に歩く若い女性。ブランド品が立ち並ぶモールで、映画鑑賞やウィンドウ・ショッピングを楽しむ若者の姿が紹介されている。しかし、ステレオタイプのモンゴルのイメージに捉われていると、新鮮なギャップを覚えるのではないだろうか。また、地下のバーでゲームに興じる若者たち。実はこの写真のキャプションは、「地下のアングラバーでSEGAつまり昔のTVゲームを楽しむレトロ趣味の若者たち」。現在の日本と同じ感覚で、SEGAを懐かしい時代の象徴として面白がっているのである。インジナーシ自らが綴ったキャプションには、彼のユーモアのある視点が反映されたものもあり、写真とともに説明にも目を向けると、モンゴルの現実がより身近に感じられる。

《地下のアングラバーにて》2017年 ウランバートル B.インジナーシ撮影
《地下のアングラバーにて》2017年 ウランバートル B.インジナーシ撮影

展示会場の正面階段を上がると、第2部「変貌する草原――100年前と現代の遊牧」と題し、ロシアの探検家ピョートル・K・コズロフ、フィンランドの考古学者サカリ・パルシ、ノルウェーの英米タバコ会社駐在員オスカー・マーメン、スウェーデンの宣教師ヨエル・エリクソンなど、様々な立場の外国人が捉えた貴重な記録写真が一堂に会している。日本からは国立民族学博物館の初代館長でもある梅棹忠夫らの貴重な調査写真も公開される。草原で逞しく生きる遊牧民の生活の歴史が、諸外国から見た多様な観察眼で切り取られている。

ドラゴン・ハンターとして名を馳せるアメリカの博物学者ロイ・C・アンドリュースは、モンゴルでの恐竜の化石発掘調査などを精力的に行った。面白いのが、予備調査に同行した妻イヴェット・ボルプが撮影した写真の数々である。夫の記録写真よりも、明らかに柔らかな表情の人々が多く、この時代の外国人女性へのまなざしという点でも興味深い。左右に広がるモンゴル人女性の伝統的な髪型が草原の中でもきれいに整えられているのが印象的である。この髪型は、映画「スターウォーズ」の惑星ナブーの女王パドメ・アミダラのモデルにもなっている。

《ゲルの前に立つモンゴル人夫婦》1909年 ウルガ S.パルシ撮影 フィンランド文化遺産庁民俗学画像コレクション
《ゲルの前に立つモンゴル人夫婦》1909年 ウルガ S.パルシ撮影 フィンランド文化遺産庁民俗学画像コレクション

対する現代の草原においても、写真家インジナーシが見つめる人々のポートレートが語り掛けてくる。本特別展のポスター写真にもなっている2016年にモンゴル北部フブスグル県で撮影された作品「ある少女」。あどけなさとともに凛とした表情が印象的な美少女の鼻の下の傷は、寒冷地の子どもに時々見られるそうだ。自然とともに生きる地方生活では、水汲みなど野外の作業も多い。酷寒の時季にも家事を手伝う働き者の子どもは、そのまま洟水が固まり凍傷になると言う。おそらくこれは100年前と変わらず、現代にも続くリアルなモンゴルの一面でもあるのだろう。

《ある少女》2016年 フブスグル県 B.インジナーシ撮影
《ある少女》2016年 フブスグル県 B.インジナーシ撮影

また、現代の炭鉱地での生活は、彫像作家でもある新進のドキュメンタリー写真家E・ユスンゲ(E. Yusunge)がシャッターを切る。モンゴルは鉱物資源が豊富で、鉱業は総輸出収入の約9割を占めるほどモンゴル経済に欠かせない産業である。そして現代の人々の生活様式にも大きな変化をもたらした。炭鉱の煙がたなびく空の下、労働者の厳しくも慎ましい暮らしが日常として映し出される。遊牧民の象徴であるゲルを採炭場の飯場とするモンゴルもまた現実なのである。

《手掘り採炭の様子 後ろのゲルは飯場》2021年 ウランバートル市ナライハ区 E.ユスンゲ撮影
《手掘り採炭の様子 後ろのゲルは飯場》2021年 ウランバートル市ナライハ区 E.ユスンゲ撮影

展示の最後のブースでは、厳選された14曲のモンゴルのヒップホップのビデオクリップが流れる。この特別展の実行委員長でもある国立民族学博物館の島村一平准教授は、シャーマニズム研究をメインとした人類学者である。しかし、口承文芸から受け継がれる韻踏みなどの伝統文化との親和性や、いわゆるスラム街とも言える首都のゲル地区から派生した社会批判やナショナリズムへの語りなど、ヒップホップはモンゴルの社会文化に馴染みが深いと考察している。詳細は島村氏の著書『ヒップホップ・モンゴリア――韻がつむぐ人類学』に詳しいが、冒頭の「ヒップホップの発祥は、モンゴルだ」という言説は、伝統口承文芸のユルールチ(祝詞の語り部)の言葉だそうである。島村氏はこの表現について、モンゴルの多くの人々も素直に首肯はしないだろうとした上で、「しかし『ヒップホップは、モンゴルの文化だ』というならば、頷く人の数はぐんと増えるに違いない」と記している。

長く社会主義で統制されていたモンゴルでは、90年代の民主化からヒップホップが発展してきた。黎明期のダイン・バ・エンヘ(Dain ba Enkh:「戦争と平和」の意)、ルミノ(Lumino)などの人気から、現在は女性ラッパーであるジェニー(Gennie)、Mrs Mや、NMN(エネムエム)らも活躍している。今回のクリップ映像は比較的新しいナンバーが多いが、2013年に発表された人気グループICE TOPの『Nuhurlul Mandtugai(友の絆に栄光あれ)』も含まれている。この曲はスウェーデンでアジア人差別による事件に巻き込まれ受刑中の元メンバーを励ますために作られた。獄中の彼の元にこの曲が届いたのはリリースから5年後のことだったと言う。涙を流し聴き入った彼はその翌年釈放となりモンゴルへの帰国を果たした。しかし、この曲を作ったICE TOPのリーダーはそのとき既に病により他界していたという切ないドラマが背景にある。流れるように韻を踏むモンゴル語のラップが、強い想いを持って胸に迫る。会場にはすべての曲の解説シートも用意されており、是非様々な曲のストーリーとともに、現代モンゴルの音楽シーンを堪能してほしい。

《Nuhurlul Mandtugai(友の絆に栄光あれ)》ICE TOP 2013年

なお、今回の展示に合わせて、モンゴル人ラッパーのデサント(Desant)、NMNらゲストによる公演や、写真家インジナーシのトークイベントなども予定されている。モンゴルのリアルな今を知るには絶好の機会である。モンゴルは世界でも有数の親日国の一つであり、人口に比して日本語学習者も非常に多い。かたや日本側はどうだろうか。モンゴルを良く知る日本人はどれくらいいるのだろう。同じアジアにおける友好国との対話には、真摯な相互理解が必要ではないだろうか。さて、我々が描くモンゴルのイメージは100年前か今か。是非この特別展を通じ、変わりゆく躍動のモンゴル、そして変わらない雄大なモンゴルを、自身の目で確かめてほしい。

澁谷政治 プロフィール

北海道札幌市出身。大学では北欧や北方圏文化を専攻し学芸員資格を取得。大学院では北方民族文化に関する研究で修士課程(観光学)を修了。現在は、国際協力に関連する仕事に携わっており、中央アジアや西アフリカなどの駐在経験を通じて、シルクロードやイスラム文化などにも関心を持つ。

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