日本ワイン発祥の地、山梨に点在する類稀なる
アートスポット。美術館とワインを巡る、
山梨・アート×美食旅への誘い【前編】アート好きの心を満たす旅 Vol.03 / アート × 建築 × ワイン(山梨県北杜市)
アート&旅
文・藤野淑恵
建築巡礼と白樺派の敬愛したロダン、ルオーなどの作品を堪能。日本ワインの新潮流を担う実力派醸造家のドメーヌへ。
アート好きの心を満たす旅 Vol.03 / アート × 建築 × ワイン(山梨県北杜市)1日目:甲府駅スタート! ⇒ 清春芸術村 ⇒ 素透撫 ⇒ ドメーヌ ミエ・イケノ ⇒ リゾナーレ八ヶ岳
新宿駅から特急で1時間半。甲府駅からレンタカーで山梨県の北西に位置する北杜市へと向かう。中央自動車道をドライブすれば、車窓から目に映るのは稜線が連なる景色。長野県にも隣接する山梨最北端の北杜市は、八ヶ岳、清里、小淵沢、白州といった日本有数の高原リゾートを有し、周囲を山々に囲まれた風光明媚な土地。
最初の目的地は、清春芸術村だ。近年はギュスターブ・エッフェル、谷口吉生、安藤忠雄、藤森照信らの名建築巡礼地としても注目を集めているこの場所は、国内外のアーティストたちの交流の場として、吉井画廊の創立者吉井長三が1981年に開村したもの。晴天の日には南に富士、西には南アルプスの甲斐駒ケ岳、北には八ヶ岳を望み、春にはかつてこの地にあった清春小学校の時代からその美しさで知られた50本以上のソメイヨシノとヤマザクラが咲き誇る。
清春芸術村のゲートを入ってすぐ、目の前にそびえ立つのは、ラ・リューシュ(フランス語で蜂の巣の意味)と呼ばれる十六角形の建物だ。このアール・ヌーヴォー様式の円形建築は、エッフェル塔を設計したギュスターブ・エッフェルが1900年のパリ万国博覧会の際に設計しパビリオンとして使用された建物で、万博終了後はモンパルナスに移築され、芸術家たちの集合アトリエ・アパートとなった。シャガールやザッキンが入居し、モディリアーニも居住。エコール・ド・パリの巣窟となった由緒ある建物の図面が、この地にそのまま再現されたもので、開村当初から清春芸術村のシンボルとなっている。
パリの本家と同じ、ラ・リューシュには28の部屋がある。1階はミュージアムショップや資料室としても利用されているが、現在もアーティストが在留して創作活動を行う現役の集合アトリエ・レジデンスの機能を果たしている。各部屋にはバス・トイレが備えられ、ロフト付きの部屋もあるという。エッフェルの代表作といえば言わずとしれたエッフェル塔だが、1980年代、エレベーターを新設した際に取り外した旧階段が24分割され、そのうちのひとつが、現代美術家セザールのエッフェル像とともに村内に設置されている。
かつては清春小学校の校庭だった芸術村の芝庭に、一際目を惹くツリーハウスがある。樹齢80年という檜の幹の上に作られた茶室 徹だ。2006年に完成した地上4メートル、1.7坪ほどの茶室は、建築史家・藤森照信が設計したもの。春ともなれば満開の桜の中に茶室が浮かぶ景色が、来訪者の絶好の撮影スポットとなっている。春の盛り、茶室 徹からの名物桜・清春臥龍桜の眺めは、さぞや風雅に違いない。
清春芸術村の創設者が、かねてから交流のあった武者小路実篤から幻となった白樺派の美術館設立構想を聞き、それを実現したのが清春白樺美術館だ。83年、かつて清春小学校の校舎が建っていた場所に開館したこの美術館には、白樺派旧蔵のルオー、そして岸田劉生、梅原龍三郎、中川一政らの作品が展示されている。
特筆すべきは、武者小路実篤の「自画像」や、志賀直哉の「静物」など、白樺派の作家による油彩のコレクションが所蔵・展示されていることだ。「白樺」は文芸雑誌であると同時に、ヨーロッパのアートを紹介する美術雑誌の役割も果たしていた。ロダン、セザンヌ、ゴッホ、ルオーらの作品を敬愛していた白樺派の作家たちが、巨匠の作品を誌上で紹介するのみでなく、確かな審美眼のもとに自身も絵筆を取り創作していたことが興味深い。雑誌「白樺」の同人であり、吉井長三との親交も深かった梅原龍三郎のアトリエも村内に移築され、その庭には小林秀雄が愛した枝垂れ桜が移植されている。桜をこよなく愛した小林が、清春の桜の素晴らしさを見て、この地に芸術村を作るように吉井に薦めたことが、清春芸術村構想実現の引き金になったのだという。
白樺派美術館、そして86年に完成したルオー礼拝堂の設計は、ともに谷口吉生によるもの。これらはニューヨーク近代美術館新館や葛西臨海水族館の建築で知られる、日本を代表する巨匠の初期の代表作。ルオーの次女から吉井長三に贈られたステンドグラス「ブーケ」やキリスト像(17世紀に制作されたものにルオーが彩色したもの)を収めるために造られた、礼拝堂の成り立ちも興味深い。ルオーの画風である黒く太く描かれた輪郭には、ステンドグラスの影響が強く見られる。ステンドグラス職人に弟子入りしていたこともあるルオーだが、日本でステンドグラス作品が見られるのは、ここ清春だけ。内装、外装ともに鉄筋コンクリート打ちっ放しの、静けさに満ちた礼拝堂内には、ルオーの銅版画「ミセレーレ」が常時展示されている。
2011年に開館した「光の美術館」は、清春芸術村の新しいランドマークだ。ピカソの後継者とも言われるスペインの画家・アントニオ・クラーベの作品を展示するために安藤忠雄により設計された。ストイックなまでにミニマルな空間には、クラーベのアトリエと同様に自然光だけが差し込み、季節によって、天候によって、また時間によって、異なる光の表情を見せる。現在はドイツのコンテンポラリーアーティスト、アンドレ・ブッツァーの展覧会が開催され、代表シリーズである「N-Paintings」が展示されている(2021年1月24日まで)。
白樺派ゆかりの作家による書籍や美術書を揃えた白樺図書館(現在は休館中。開館情報は公式サイトにて要確認)、1986年にオープンし、先ごろリニューアルしたレストランLa Palette、五連の登窯で春と秋に火入れを行う清春陶芸工房など、清春芸術村の見どころは枚挙に暇がない。
新素材研究所の杉本博司+榊田倫之が内装を手がけたレストランが清春芸術村に隣接する「素透撫」だ。竹箒の生垣が目を惹く趣のある日本家屋は、文人画家・小林勇(冬青)の旧宅「冬青庵」を鎌倉より移築したもの。10メートルの長さを超える、厚みのある檜の一枚板のカウンター席からは、見事な枝ぶりの桜の庭を望むことができる。部屋の中央には、店名でもある薪ストーブに薪がくべられ、訪れたゲストを柔らかな温もりで迎えてくれる。ちなみに、店名は「素材を透明になるまで撫でるように慈しむ」というイメージで、内装を手がけた杉本博司氏が命名したそうだ。
素透撫では、フランス料理、中国薬膳料理をともに修行した本多みまシェフによる、山梨のオーガニックな食材にこだわったフレンチ・シノワズリーの季節のコース料理が供されている。この日は12種類の山梨オーガニック野菜のムース、さつまいもと栗のスープ、ポルチーニと里芋もバターライスなど、山梨の秋の味覚が凝縮されたもの。スタイリッシュな内装と料理のイメージに相応しい、陶芸家・吉田直嗣の器も印象的だ。メインディッシュの甲州ワインビーフは山梨のブランド牛。ワインを搾って残ったブドウ粕を飼料としたもので、柔らかで甘みのある味わいとフォンドボーソースのコンビネーションが絶妙な一皿だった。
清春芸術村で名建築と白樺派ゆかりの美術作品を堪能し、次に目指すのは、今回の旅のもうひとつのテーマであるワインのディスティネーション。同じ北杜市内にあるドメーヌ ミエ・イケノだ。北杜市は日本で初めてのワイン特区に指定されたが、その牽引役となったのがドメーヌ ミエ・イケノの醸造家・池野美映さんだ。フランス モンペリエ大学でフランス国家資格ワイン醸造士を取得し帰国。2007年ブドウ畑を自ら開墾し栽培からワイン醸造まで一貫して取り組むドメーヌを立ち上げた。ここ数年、ワイナリー建設がブームとなり多くのドメーヌも誕生していているがドメーヌ ミエ・イケノはその代表格のひとつ。真夜中に収穫した特別なワイン「月香(つきか)シャルドネ」リリースを目前に控える池野美映さんを訪ねた。
八ヶ岳の麓、標高750メートルの傾斜地にある3ヘクタールの「Les pas du chat(レパデュシャ。猫の足跡の意味)」と名付けられたドメーヌ ミエ・イケノのブドウ畑は、耕作放棄地だった桑畑を2006年から池野さん自らがトラクターに乗って開墾した場所。2007年春からブドウを植樹してワイナリーとしてスタートさせた。日本ワインを代表する品種といえばまず思い浮かぶのが甲州やマスカットベリーAだが、池野さんは欧州系品種であるシャルドネ、ピノ・ノワール、メルローの可能性を八ヶ岳の地に感じたそうだ。
池野さんは「自ら育てたブドウでしかワインを造らない」と決め、2007年から栽培を開始し、収穫できるようになった4年後の2011年に醸造所を完成させた。ここでは日本では数少ないグラビティ・フローシステムと呼ばれる重力を利用した醸造手法が採用され、ブドウの繊細な個性を損なうことない、優しいワイン造りが営まれている。池野さんが目指すのは「八ヶ岳の自然をそのままボトルに詰め込んだようなピュアで繊細なワイン」。
甲斐駒ケ岳、北岳、富士山、八ヶ岳に囲まれたなだらかな丘陵地に広がる、垣根栽培のブドウ畑と醸造所の景観は、まるでヨーロッパの景色を切り取ったかのようだ。現在ではカルト的なファンを持ち、6月と12月のリリースと同時に完売してしまうドメーヌ ミエ・イケノのワイン。なかでも、「月香(つきか)シャルドネ」のファンは多い。2019年は9月14日深夜、月明かりの下で丁寧な手摘みにより収穫されたそのワインが12月5日「Mie Ikeno月香シャルドネ2019」としてリリースされる。
2019年のミレジムは「桃やアプリコットの甘い香りをトップノートに、青リンゴや若いパイナップル、さらにオレンジやグレープフルーツの柑橘系の香りが続き、アカシアの蜂蜜やバニラの香りでフィニッシュする複雑で豊かな香りと、酸のバランスの良さが際立ちます」と、池野さん。このワインの飲み頃は、リリースすぐから10年後までが目安とのこと。月が輝く八ヶ岳の夜に思いを馳せながら、一年の終わりに開栓してしみじみと味わうのもいいし、特別な日のために大切にとっておくのもいい。いずれにせよ、豊かな香りを堪能しながら、グラスを傾ける瞬間を想像するのは楽しい。
アート好きの心を満たす旅 【ステイ&ダイニング 特別編】/ ワイン × 美食(山梨県北杜市)に続く。
関連リンク:
清春芸術村(山梨県北杜市長坂町中丸2072)
素透撫(山梨県北杜市長坂町中丸4551)
ドメーヌ ミエ・イケノ(ワイナリーは非公開)