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明治後半から現代までの約100年超の近現代美術作品
を時代順に享受できる「所蔵作品展」に大注目!

皇居のお堀沿いにある、約12,500点の所蔵作品を有する国内有数の美術館である東京国立近代美術館。

美術館紹介

皇居のお堀沿いにある、約12,500点の所蔵作品を有する国内有数の美術館である東京国立近代美術館。明治後半から現代までの約100年超の近現代美術作品を時代順に享受できる「所蔵作品展」に大注目!

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東京都千代田区北の丸公園内にある国立美術館「東京国立近代美術館」は、皇居のお堀沿いにあり、建築家 谷口吉郎の設計による重厚感のある知的な外観と、落ち着きを感じさせる佇まいの約4,500m²の展示スペースを有する国内有数の美術館である。

東京国立近代美術館は、約12,500点もの作品を収蔵している。随時、所蔵作品展で展示されている作品は200点ほどで、他館の展覧会のために貸し出している作品なども除いて、それ以外の作品はすべて美術館内の収蔵庫に保管されている。

美術館というところは、企画展や特別展が定期的に開催されている場所、というだけでない、そのほかにも様々な役割が果たされている場所であるであることをご存知だろうか?学芸員の方々はそれぞれ専門の分野において研究に励み、企画展はその発表の場でもある。また、教育普及活動なども美術館の大事な役割として行われている。

そして、国の文化遺産として、また後世にそれらの文化遺産を大切に残していくという役割においても、美術館は、芸術作品や資料などの収集や保管を行い、美術館の「コレクション」としている。

東京国立近代美術館のコレクションは、明治時代以降から現代までの約100年以上の間の「近現代美術作品」をテーマに、日本の近現代美術の全体を理解し得る充実度を目指して、絵画・彫刻・水彩画・素描・版画・写真などの作品を収集し続けている。日本近現代美術の通史としてのコレクションの規模の大きさは、他の追随を許さず、東京国立近代美術館ならではの強みとなっている。

コレクションの代表的な作家に、岸田劉生(きしだりゅうせい 1891-1929)、梅原龍三郎(うめはらりゅうざぶろう 1888-1986)、藤田嗣治(ふじたつぐはる 1886-1968)、東山魁夷(ひがしやまかいい 1908 -1999)、古賀春江(こがはるえ1895 -1933)、加山又造(かやままたぞう 1927 - 2004)などが挙げられる。また、日本の近現代美術を西洋絵画との関係性から理解するために、ピカソ、セザンヌ、クレー、カンディンスキーなど同時代の海外作家の作品も収蔵されている。

東京国立近代美術館に所蔵されている12,500点という芸術作品は、いわば私たち国民の財産でもある。その財産を限られた予算の中で、近現代美術においてより重要な、コレクションの充実のために不可欠な作品を、しかるべきタイミングで収集を続けるために、美術館による不断の努力が行われている。

私たち自らの財産でもある芸術作品との出会いの場は、実に丁寧に、想像以上に豊かに用意されているのだ。

東京国立近代美術館で開催されている所蔵作品展は、12,500点のうちの200点ほどが随時入れ替えて展示されている。所蔵作品の展示会場は、4階をエントランスとし、2階までの3フロア、12の展示室に渡っていて、じっくり見れば2~3時間ほどはかかる広さだ。4階の最初の展示室には、「ハイライト」というコーナーがあり、重要文化財を中心にコレクションの精華が凝縮されているので、時間の限られている人は、ここだけはまずしっかりと押さえておきたい。

現在のハイライトのコーナーには、青森県弘前市出身で世界的に活躍する作家である奈良美智の《Harmless Kitty》がある。

奈良美智 《Harmless Kitty》 (1994年) ©Yoshitomo Nara
奈良美智 《Harmless Kitty》 (1994年) ©Yoshitomo Nara

あひるのおまるに跨って、こちらに向いて睨みを効かせたような着ぐるみの猫としばらくの間、目と目で会話をしたあとは、この《Harmless Kitty》の目線の先で、体中に電気が走りそうな「具体」の作品が待っている。

4階ハイライト展示室。右端に見えるのが田中敦子の 《作品 66-SA》 (1966年)
4階ハイライト展示室。右端に見えるのが田中敦子の 《作品 66-SA》 (1966年)

前衛美術家の吉原治良(よしはらじろう)をリーダーに阪神地域在住の若い美術家たちで結成されたグループ 具体美術協会の代表的なメンバーの一人である田中敦子の《作品 66-SA》だ。ついたり消えたりする数百の色電球とコードによってできた《電気服》という作品のために描かれたドローイングが元になっていて、円(電球)と曲線(コード)の絡み合う様子が描かれているものだそうだ。道理で原色の放つエネルギッシュな色彩といいモチーフといい、体に電気が走ったような刺激のある作品である。

4階にはハイライトのコーナーほか、明治の終わりから昭和のはじめまで(1900s~1940s)の作品を展示した、2~5室がある。

こちらは、荻原守衛の《文覚(もんがく)》という彫刻作品である。こちらを向いている。通り過ぎることはできない迫力で。

荻原守衛 《文覚》(1908年)
荻原守衛 《文覚》(1908年)

作品名から見て、どこかのお寺のお坊さんのようだが、それにしては筋骨隆々で、格好良すぎるではないか。解説を読むと、文覚(1139-1203)は、12-13世紀の日本の僧で、もとは遠藤盛遠(えんどうもりとお)という武士であったという。平家物語にも登場する人物のようで、源渡(みなもとわたる)の妻 袈裟御前に恋をし、源渡を殺して袈裟御前を奪おうとしたところ、誤って袈裟御前を殺してしまったため出家したそうだ。目の前で腕を組む文覚は、800年以上もの時空を越えて、臨場感をもってその物語を伝える力強い彫刻作品である。

つづく3階展示室には、昭和のはじめごろから中ごろまで(1940s~1960s)の作品を展示した6~8室、ほか写真や映像、日本画など10室まである。

展示室では、さまざまなテーマが据えられている。梅雨を控えたこの季節、「雨」をテーマに、所蔵品からセレクションされた作品が展示されていた。

日本とフランスで活躍した鹿児島出身の洋画家 海老原喜之助(えびはらきのすけ 1904-1970)が1963年に描いた《雨の日》である。渦巻いた不穏な空模様から、切り離すような構図で緑や青で描かれた道を三角形の菅笠をかぶった雨合羽姿の子どもが歩みを進めている。この絵の世界観には、見る人を和ませるユーモアが感じられ、思わずふっと笑いがこみ上げてくる。

海老原喜之助 《雨の日》  (1963年)
海老原喜之助 《雨の日》 (1963年)

もう1点こちらは、日本画で、同じ「雨」がテーマ。横山大観に師事した、熊本県出身の日本画家 堅山南風(かたやま なんぷう 1887 -1980年)の《白雨》という作品である。

3階日本画展示室。左端に見えるのが堅山南風《白雨》(1951年)
3階日本画展示室。左端に見えるのが堅山南風《白雨》(1951年)

白雨とは、夏のにわか雨のこと。突然のザアザア降りに、いつもは悠然と泳いでいる鯉も右往左往しているようで、その様子が嬉々としているように見えて画因となったと後に作者が語ったそうである。

分かりやすく楽しめる解説のついた作品も多い。“右往左往しながら嬉々としているようだ”と、鯉を眺めた堅山南風の人柄まで映し出されているように見えてきて、絵の世界が一層膨らんでいく。

日本画の展示室にある六曲一双の大作は、川端龍子の《新樹の曲》である。甲州街道沿いで見かけた庭を描いていており、造園家として独り立ちをする三男の嵩(たかし)へのプレゼントとして制作した作品なのだそうだ。川端龍子の息子を思う愛情が画面いっぱいに広がっている。

3階日本画展示室。右端に見えるのが川端龍子《新樹の曲》(1932年)
3階日本画展示室。右端に見えるのが川端龍子《新樹の曲》(1932年)

そして、東京国立近代美術館のコレクションの特徴のひとつに、153点に及ぶ「戦争記録画」がある。これらは、戦後GHQにより接収されて、153点すべてがアメリカが所有権を持つものとなっているが、1970年の政府間交渉により、無期限貸与という形で、現在、東京国立近代美術館が保管している。

3階展示室には、1941年に描かれた藤田嗣治による戦争記録画で《哈爾哈河畔之戦闘(はるはかはんのせんとう)》という作品がある。それは、1939年に日本軍とソ連軍が満蒙国境をめぐって衝突した「ノモンハン事件」を題材として、ソ連軍の戦車部隊と奮闘する日本兵の姿が、澄み切った青空を背景に描き出されている。しかし実際の戦闘は、双方が多大な犠牲を払う悲惨なものであったが、そうした事実は、当時国民には伝えられてはいなかったという。

この作品の発注者である予備役中将 荻洲立兵(おぎす りっぺい)はノモンハンで戦死した部下の鎮魂のために藤田に制作を依頼したそうだ。その荻洲の手元には、日本兵の死体が転がる凄惨な光景が描かれた別バージョンの作品があったという証言が残されている。

「これらの戦争記録画は、これまで負の遺産と捉えられ、アジア近隣諸国に誤解を与える、といった理由などから公開の是非をめぐる議論が続けられてきました。」
東京国立近代美術館 美術課長の大谷省吾氏に、戦争記録画と社会との関係性の変化について教えていただいた。

「以前は公開に否定的な意見も多かった戦争記録画も、戦後70年がすぎ、状況が大きく変わってきました。それまで絵画は、画面の中でいかに美しく色と形の問題を追及していくかという考え方が主流であり、美術という枠の中で自立していた感じがありました。けれど、ここ10~20年の間にテロや震災など、社会の安定が揺らぐような出来事を人々が経験していくうちに、美術と社会の関係も、以前より密接に考えられるようになりつつあります。それにともない、戦争記録画に対する意識も変わってきたのではないでしょうか。」

近現代の美術作品が展示されている所蔵作品展の中で、戦争記録画は、たった1点でも大きなインパクトがある。これらの戦争記録画がこの美術館で管理されている経緯も作品を見る一つの角度として重要な情報である。

従軍画家として戦地に赴くこととなり、戦意高揚のために描くことを命じられたものもあるだろう。そういった背景も含めた歴史の一証言となる、日本の代表的な戦争記録画は、注意深く見つめたい。

所蔵作品展の最後の階である2階には、昭和の終わりから今日まで(1970s~2010s)の作品ほか、コレクションを中心とした小企画などを行う、ギャラリー4があり、現在、「奈良美智がえらぶMOMATコレクション 近代風景~人と景色、そのまにまに~」と題した小企画が開催されている。

奈良美智の目を通して展示室に並んだ作品の数々は、学芸員の発想にはないセレクションだったそう。

奈良美智が所蔵品から選んだ作品の一つで、1916年に描かれた、辻永(つじひさし)の《椿と仔山羊》がある。

ギャラリー4「奈良美智がえらぶMOMATコレクション 近代風景~人と景色、そのまにまに~」展示風景。<br />左端に見えるのが辻永《椿と仔山羊》(1916年)
ギャラリー4「奈良美智がえらぶMOMATコレクション 近代風景~人と景色、そのまにまに~」展示風景。
左端に見えるのが辻永《椿と仔山羊》(1916年)

完成された構図、椿の赤と仔山羊の白のコントラストが目を引くが、何よりも椿と仔山羊というモチーフの組み合わせは、珍しいものではないだろうか。100年も前に描かれたとは思えない新鮮さである。画家は実際にこのような光景に出会ったのだろうか、画面からあふれでる愛おしい感じは、どこから来るのか、など絵との対話が尽きない。

こちらは、榎本千花俊 《銀嶺》など女性や少女が描かれた作品が展示された壁の手前に、土方久功の《猫犬》という愛らしさのある彫刻作品が置かれている自由な展示から、奈良美智らしさを感じられて、なんとも楽しい。

ギャラリー4 「奈良美智がえらぶMOMATコレクション 近代風景~人と景色、そのまにまに~」展示風
ギャラリー4 「奈良美智がえらぶMOMATコレクション 近代風景~人と景色、そのまにまに~」展示風景

さまざまなテーマ性で、いろんな角度から、約200点の作品が随時紹介されている。同じ作品でも、切り口を変えれば違った魅力も見えてくる。

美術館の職員である、美術のスペシャリストたちによって、芸術作品や資料が集められ、様々な工夫が加えられながら、作品の持つ力を示し伝えてくれている。芸術に触れることの意味や美術館の運営に関わる人々の思いにも触れながら、所蔵作品展を堪能してみてはいかがだろうか?

※毎月第一日曜日は、常設展の無料観覧日です。
※こちらに紹介の作品は、所蔵作品展MOMATコレクション(2016年5月24日~2016年8月7日)にて、展示されています。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
東京国立近代美術館|The National Museum of Modern Art, Tokyo
〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園3-1
開館時間:10:00~17:00
定休日:月曜日

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