ART BLOGS

アートブログ

丹青三昧 駆け抜けた絵師 長沢芦雪

長沢芦鳳《長沢芦雪像》絹本著色 江戸時代 19世紀 千葉市美術館蔵/ 長沢芦雪の養子となった長沢芦洲(1767-1847)の子、長沢芦鳳(1804-71)が、芦雪33回忌の為に描きました。表装部分は、上部右側を芦洲が、左側を芦鳳が描き、周囲は四条円山派に関係する画家たちが手掛けています。

10月になり、秋から始まる展覧会の開催があちこちで始まりました。大阪中之島美術館では、大阪では初めてとなる長沢芦雪の回顧展が始まりました。本展についての記者発表の拙ブログも大勢の方に読んでいただき、芦雪の人気の高さを実感しています。プレス内覧会に参加しましたので、ご報告します。

※掲載の画像は、主催者の許可を得て内覧会にて撮影したものです。

本展は、ほぼ時代順に4章構成です。前後期で展示替となり、芦雪作品は前期47件、後期47件、共作2件を含む96件で、その内の11点がなんと初公開です。本展ではこれまで出品されなかった個人蔵の作品が多く展示されていることにもご注目ください。同時代の画家として、前後期に応挙が6件、若冲が4件、蕭白が2件展示されます。前後期で大きく展示替がありますので、お目当ての作品がない!と言うこともあり得ますので、「作品リスト」をチェックの上お出かけ下さい。


長沢芦雪《関羽図》紙本墨画淡彩 江戸時代 18世紀 個人蔵 前期

第1章    円山応挙に学ぶ

芦雪は、宝暦4年(1754)に丹波篠山藩で藩士の子として生まれ、父が淀藩に出仕して淀で育ったと伝えられています。これは芦雪が和歌山県にある高山寺に滞在したときに芦雪自身が語ったと高山寺の住職義澄が日記『三番日含』に記ししていることによるもので、ハッキリした史料などは残っていないようです。絵師になるために姓を変えたと伝わりますが、その点も河野元昭先生は、必ずしも姓を変える必要はなく、何らかの事情があったのかもしれないと話されていました。京と大阪を結ぶ交通の要所である淀で育ったことは、人物の往来や双方の文化から吸収することも多く、絵師として生きていく芦雪には少なからず影響を与えたのではないでしょうか。

いつ頃から絵を描き、誰かの元で習っていたのか、いつ応挙に入門したかも定かではありません。が、10代から20代にかけて「于緝」と刻んだ印章や署名、「子熙」の印のある作品が残っており本展でも展示されています。「于緝」が「芦雪」以前の画号と考えられています。《関羽図》は、特徴的な衣紋線に目がとまる作品です。図録に本展監修協力者である岡田秀之さんは、初期の作品には「墨線への尋常ならざる拘りが感じられる。」が、「応挙入門後は癖の強い画風は影をひそめることとなる。」書かれています。しかし、この芦雪の線への拘りは、応挙から離れ独自の画風に突き進むようになるとまた表れてくると伺いました。


左から:長沢芦雪《西王母図》紙本着色 江戸時代 天明2年( 1782) 個人蔵 前期 円山応挙《西施浣紗図》絹本着色 江戸時代 安永2年(1773) 個人蔵 前期

応挙門下となった芦雪は、応挙の写生力、表現力をマスターして、門下の中でも頭角を現します。天明2年(1782)に出版された『平安人物誌』の「画家の部」には「長澤芦雪」と掲載され、この頃には応挙から独立したと推定されています。

後期展示では、応挙と芦雪の《牡丹孔雀図》が競演展示されます。


長沢芦雪《岩上猿・唐子遊図屛風》紙本墨画淡彩 江戸時代 18世紀 個人蔵 前期

小さきものに向ける芦雪の眼が優しい。唐子や子犬を芦雪は繰り返し描いています。この左から三扇目の子犬が特にあまりにも可愛くて「カワイイ!」が漏れ出てしまいました。応挙のモフモフの子犬も有名ですが、芦雪のコロコロとした子犬もきゅーととびきり可愛いですね。剽軽なカエルの表情や目つき、仕草や目の表現にもクスッとくる猿たちと芦雪の描く動物たちは生き生きとして私たちに語りかけてくるようです。子供に向ける優しい眼は、自分の子どもが幼くして亡くなったこととも関係があるのかもしれません。右隻の水際で見つけた草を見つめる右端の猿の表情が抜群に良い!右隻は濃く、左隻は細い線で薄く描いています。左隻の子どものたちの仕草や視線で連続性や関連性をもった空間へ変化させる手法を芦雪は得意としていました。

 

写生を学び真実に迫り緻密に描きながらも華麗な装飾性を備えた色彩豊かな作品を描く一方で、大胆な構図、機知に富んだ画題で芦雪は独創性のある作品も描くようになって行きます。

 


長沢芦雪《寒山拾得図》紙本墨画 江戸時代 天明7年(1787) 和歌山 高山寺 前期

天明6年(1786)10月から芦雪は、師 応挙の名代として和歌山県南部に赴き、翌年の2月まで滞在して、無量寺をはじめとする寺院の襖絵を描きに描きました。京都とは全く違った気候風土で、師の名代という責任も背負いながらも、のびのびと大胆な筆遣いで多くの作品を残しました。

芦雪と言えば思い浮かぶ、南紀無量寺《龍・虎図襖》(前期展示)は、大阪中之島美の広い展示空間をいかして、並列で展示されています。左の前足を大きく描き体をひねってグッと乗り出してくる虎は、まるでトリックアートのようです。遠く離れて龍虎を見比べ、ぐっと近くによって細部までじっくり隅々まで心行くまで見てみる、視てみる。

芦雪は「寒山拾得」を繰り返し描いています。人気の画題で芦雪に描いてほしいと注文も多かったのかもしれません。和歌山の高山寺所蔵の畳一畳ほどの大きな掛軸は、席画つまり即興で一気呵成に描いたものです。33歳そこそこでこの時代人はこれだけのものを描いてしまうのですね。東博で横尾忠則さんの「寒山拾得図」展を開催しているそうですが、横尾さんにも感想を伺ってみたいものです。


長沢芦雪《絵変わり図屏風》紙本墨画 江戸時代 天明6年(1786) 個人蔵 通期

六曲一双屏風の一隻で、禅宗との関係が深い絵が6枚貼られた屏風です。左から2扇目、下半分が黒く塗られているだけです。なんとこれは鯨の背中の一部が海面に見えているところなのだそうです。巨大な物体の一部だけを描いてその大きさを表現する意表を突く発想力です。


長沢芦雪《朝顔に蛙図襖》紙本墨画 江戸時代 天明7年(1787) 和歌山 高山寺 前期

左端に朝顔を描き、その蔓は大きく伸びて、枝分かれした1本は上方の画面の外に出て、もう一方は右のスッと伸びた細い篠竹に絡みついています。細く長い均一な線を描くのは、芦雪は得意だったそうです。気持ちの良いほどのスーッと引かれた細い線と真ん中に大きくとった余白、日本画ならではの粋な構図です。


第3章 より新しく、より自由に

南紀から帰郷した翌年の天明の大火で焼失した御所再建に芦雪も応挙一門として襖絵を制作します。寛政3年(1791)には妙法院門跡の襖絵制作に応挙門下の源琦とともに参加し、寛政7年(1795)には応挙やその門下が制作する大乗寺の襖絵を描いています。応挙門下として障壁画の制作に参加する一方で、ますます独自の境地、画風へ突き進む、芦雪40代の唯一無二の作品が展示されています。


長沢芦雪《蓬莱山図》絹本着色 江戸時代 寛政6年 (1794) 国(文化庁保管) 前期

「芦雪はこんな絵も描いていたのか」と展示で一番心に残った作品です。京に憧れのあった地方の豪商たちに乞われ芦雪はその地に赴いても制作しました。《富士越鶴図》(後期展示)の鶴は、型紙で鶴の姿を白く抜いてから、墨線で胴体部分の輪郭線を引き、頭を描いたと記者発表の折に監修協力者の岡田さんから説明がありました。この《蓬莱山図》の右上に連なって飛ぶ鶴もそのように描いたものなのでしょうか。


長沢芦雪《蹲る虎図》紙本墨画淡彩 江戸時代 寛政6年(1794) 個人蔵 前期

なんともユーモラスでインパクトがある虎図です。こちらも即興で描いたことは間違いないとのこと。ひょいひょいと筆が走って出来上がる様を側で見ていた人たちは拍手喝采だったか、呆気にとられたか。ここで注目したいのは、氷の中にいる魚を表現していることから「氷形印(ひょうけいいん)」とも呼ばれる芦雪の印章です。ここにきてはっきりと印の右上が欠損しています。使いすぎてこのように欠損することはないそうで、意識的にそこを欠損させたと考えられます。芦雪は早くから応挙門下で頭角を現し、これまでの研究や展覧会でも応挙と比べるものが多く、応挙への反抗や対立、確執という視点から捉えられることが多かったようです。印の欠損もそのように捉える人もあるようですが、監修協力者の岡田秀之さんは、「応挙先生(魚を囲んでいた氷)からの独立、脱却」であり、師の応挙も芦雪の独創性を認めていたと考えておられます。芦雪は、応挙の死の4年後大阪で客死してしまいます。当時としては特別早い死ではなかったかもしれませんが、18世紀に京で活躍した絵師たちに比べれば突然の早い死で、初期の頃と同じように、その死についても詳しくは分かっていません。


第4章 同時代に生きた天才画家たち

18世紀の京都には綺羅星の如く個性ある絵師たちが活躍しました。彼らを支えたのは、パトロンとなった新興の商人たちや財をなした地方の豪商たちです。応挙に加え、若冲と「奇想中の奇想」「奇矯」と言える曽我蕭白の作品が展示されています。若冲《象と鯨図屏風》(MIHO MUSEUM蔵)と蕭白《虎渓三笑図》(千葉市美術館蔵)は後期展示です

 

芦雪と同時代の儒学者皆川淇園の詩文集『淇園文集』の中に記載があるが、長く行方不明になっていた《方寸五百羅漢図》(前期)は、2010年に大発見された一寸(約3センチ)四方の五百羅漢図です。どうやって描いたのでしょう。その超絶技巧は自分の目で確かめてください。単眼鏡をお忘れなく!


長沢芦雪《蕗図》紙本墨画淡彩 江戸時代 18世紀 個人蔵 前期

前期展示最後を飾るのは《蕗図》こちらも単眼鏡必携です。署名の形式から最晩年の作と考えられています。果たして芦雪はどこへ向かおうとしていたのでしょう。

 

内覧会を見終えて、芦雪ってこんなにも振り幅が広かったのかと思いました。そこが”奇想”と言われる所以なのかもしれませんが、「奇想」や「応挙の弟子」に囚われすぎると見落としている部分があるのではないかと感じています。前期だけでは、物足りず後期も必ず観に行きたい!芦雪が生きた時代や、同時代の絵師、京都画壇だけでなく、今注目の大阪画壇などとの繋がり、関係、影響などの研究はもっと掘り下げられ、亡くなったのがたまたま大阪だっただけでない大阪との繋がりも見えてきそうな気がします。更に芦雪は他の絵師たちに比べて早く亡くなってしまいましたが、応挙世代の次の世代として、応挙や若冲など京や大阪で活躍していた上の世代を学んで自分の中に取り込み、消化しながら自分なりの独創性を生み出す事が出来たと岡田さんは話されていました。

初日に開催された饒舌館長でもお馴染み、本展監修者のお一人河野元昭先生の講演会「驚愕魅惑の画家芦雪 絶対おすすめベスト10」も聴講しました。ユーモアたっぷりで立て板に水のごときお話でした。若冲のネクストブレイクは?芦雪、鈴木其一、渡辺省亭をあげておられました。其一も省亭も関西での開催はちょっと難しいかもしれないですが、是非見てみたい。11月3日には、本展監修協力者である岡田秀之さんの講演会「芦雪、大好き-作品を100倍楽しく見る方法-」も開催されます。

関連イベントについて詳しくは⇒コチラから

【参考】

辻惟雄『奇想の系譜』(辻先生のこの本は、若冲ブームや今日の「奇想の絵師」「江戸絵画」人気のバイブルのような本必読書かと)

岡田秀之『かわいい こわい おもしろい 長沢芦雪』新潮社 2017年(本展の協力者でもある岡田さんの著書はとても読みやすかったのでお薦めです。)

中谷伸生『長澤蘆雪―流派を越えて―』「関西大学東西学術研究紀要巻52 」2019年4月1日

【開催概要】特別展 生誕270年 長沢芦雪-奇想の旅、天才絵師の全貌-

  • 会場:大阪中之島美術館 4階展示室
  • 会期:2023年10月7日(土)~12月3日(日)

[主な展示替え]前期:10月7日(土)~11月5日(日)/ 後期:11月7日(火)~12月3日(日)

  • 開場時間:10:00-17:00 [入場は16:30まで]
  • 休館日:月曜日 [10月9日(月・祝)除く] 10月10日(火)
  • 観覧料:一般 1800円(前売・団体 1600円)/高大生 1100円(前売・団体 900円)/小中生 500円(前売・団体 300円)
  • 展覧会公式サイト :http://nakka-art.jp/exhibition-post/rosetsu-2023/

★音声ガイドのナビゲーターは町田啓太さん、ソフトな語り口でとても聴きやすかったです。

 九州国立博物館へ巡回します。2024年2月6日(火)~3月31日(月)




プロフィール

morinousagisan
阪神間在住。京都奈良辺りまで平日に出かけています。美術はまるで素人ですが、美術館へ出かけるのが大好きです。出かけた展覧会を出来るだけレポートしたいと思っております。
かつて関西のアートサイトに読者レポートとしてアートブログを掲載して頂いていたご縁で、展覧会担当の広報会社さんから私個人に内覧会や記者発表のご案内を頂戴し、「アートアジェンダアートブログへ投稿」という形を広報会社さんに了解頂いて、アートブログを投稿しています。アートブログは全くの素人の個人としての活動です。
通報する

この記事やコメントに問題点がありましたら、お知らせください。

こちらの機能は、会員登録(無料)後にご利用いただけます。

会員登録はこちらから
SIGN UP
ログインはこちらから
SIGN IN

※あなたの美術館鑑賞をアートアジェンダがサポートいたします。
詳しくはこちら

CLOSE

こちらの機能は、会員登録(無料)後にご利用いただけます。

会員登録はこちらから
SIGN UP
ログインはこちらから
SIGN IN

ログインせずに「いいね(THANKS!)」する場合は こちら

CLOSE
CLOSE
いいね!をクリックしたユーザー 一覧
CLOSE