特別展「スーラージュと森田子龍」@兵庫県立美術館
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- by morinousagisan
兵庫県立美術館で、特別展「スーラージュと森田子龍」がコロナ禍で2度の延期を経て始まりました。記者内覧会に参加してきましたので、ご報告します。
掲載写真は、記者内覧会当日に主催者の許可を受けて撮影したものです。
さて、みなさんはフランスの抽象画家であるピエール・スーラージュと日本の前衛書家の森田子龍をご存じでしたでしょうか。
本展は、兵庫県とスーラージュ美術館があるフランス・アヴェロン県の20年をこえる友好提携を記念して開催されることとなりました。2014年に開館したスーラージュ美術館は今年でちょうど10年を迎えます。2018年に日仏修好160年を記念してフランス国内で「ジャポニズム2018:響きあう魂」が開催され、兵庫県の事業としてスーラージュ美術館で「具体:空間と時間」を開催し、そこへ兵庫県立美術館所蔵の「具体(具体美術協会)」作品が16点貸し出されました。2020年の東京オリンピック・パラリンピックの年に「日本でのフランス年」事業が予定され、その一環としてスーラージュ展を開催しようというお話になったそうです。それならば、スーラージュと1950年代から交流のあった前衛書家で、兵庫県ゆかりの森田子龍との二人展へと駒が進みました。
森田子龍は、モノクロームで表現する画家を「白黒の仲間」としてスーラージュも言及していました。
「二人展」と言うことで、二人に共通項、互いに影響しあったとかあるのかと勝手に思っていたのですが、同じ時代を生きて、往来してはいた(「出会い」ではあった)が、作品については「白黒の仲間」であって、似て非なるものでした。
唯一知っていた前衛書家は、井上有一で、以来前衛書って「カッコイイ!」と気にしていると、ここ最近コレクション展で前衛書を観る機会が増えてきました。(1950年代に渡米した篠田桃紅さんは前衛書家の範疇ではないようです)兵庫県立美術館の前身である兵庫県立近代美術館において1992年に「森田子龍と『墨美』」展を開催していました。
森田子龍(1912-1998) 兵庫県豊岡市生まれ、上田桑鳩のもとで書家としての研鑽をつむ一方、書の雑誌の編集者としても手腕を発揮し、1951年には『墨美』を創刊します。ジャンルを超えた研究会であった「現代美術懇談会(ゲンビ)」にも積極的に参加し、1952年には井上有一らと「墨人会」を結成します。そこはよくある「書の理論があってこそ、新しい書表現が旧態依然とした書壇の体制をうちやぶる」(本展図録より)と考えてのことでした。自らが編集する雑誌ではやスーラージュなどの海外のアーティストの作品を紹介し、『墨美』を通じてスーラージュとの交流も始まりました。森田の前衛書は50年代から海外の展覧会に出品され、注目を集めました。
※スーラージュ作品のキャプションはとても長くキャプションスペースに入りきらないため段落初めに記載
ピエール・スーラージュ スーラージュ美術館蔵
左から:《紙にクルミ染料 63×50cm、1949年》クルミ染料・紙、カンヴァス 1949年
《紙にクルミ染料 65.1×55cm、1950-1951年》クルミ染料・紙、カンヴァス 1950-1951年※
ピエール・スーラージュ(1919-2022)フランス南西部アヴェロン県ロデーズ生まれ。展覧会サイトには「画業の最初期から晩年に至るまで一貫して抽象を追究した。」と紹介されています。日本へは5回も来日し、展覧会も開催されてよく知られた画家でした。本展にも日本の美術館が所蔵する作品も展示されています。本国フランスにおいては、2009年にはポンピドゥー・センターで大回顧展を、2019年にはルーヴルで個展が開催され、生前にルーヴルで個展が開催されたのはピカソ、シャガール以来3人目だそうで、フランス国内における画家スーラージュは戦後美術の大家でした。
スーラージュの作品に使われている「クルミ染料」、スーラージュが育った町は、職人(手仕事)が多く住む所で、その町の家具職人が使っていた染料です。それを湯煎して使っています。
※スーラージュ作品のキャプションはとても長くキャプションスペースに入りきらないため段落初めに記載
ピエール・スーラージュ
左から:《紙にクルミ染料と墨 65.6×50.3cm、1951年》クルミ染料、墨・紙、カンヴァス 1951年 スーラージュ美術館蔵
《紙にクルミ染料と木炭 63.7×50.2cm、1951年》クルミ染料、木炭・紙、カンヴァス 1951年 スーラージュ美術館蔵
《紙に墨とグワッシュ 50.9×65.6cm、1951年》墨、グワッシュ・紙、カンヴァス 1951年 スーラージュ美術館蔵
《絵画 200×150cm、1950年4月14日》油彩・布 1950年スーラージュ美術館蔵 ※
本展にスーラージュ美術館から貸し出されたスーラージュ作品は17点で、内16点が日本初公開です。では残りの1点は、上記画像の正面に見えている作品です。スーラージュは1948年からサロン・ド・メに出品していました。1950年のサロン・ド・メ出品作から選ばれた若手作家の作品30点の「日仏美術交換 現代フランス美術 サロン・ド・メェ日本展」が1951年に開催され巡回し、大きな話題となり、美術雑誌でも特集を組むほどでした。この展覧会に《絵画 200×150cm、1950年4月14日》も展示され、スーラージュの実作品が初めて日本で紹介されました。今回73年ぶりに来日しての展示となりました。
※スーラージュ作品のキャプションはとても長くキャプションスペースに入りきらないため段落初めに記載
左から:《絵画202×143cm、1967年10月4日》油彩・布 1967年 スーラージュ美術館
《紙に墨 66.1×50.9cm、1961年》墨・紙、カンヴァス 1961年 スーラージュ美術館蔵
《紙に墨 66.1×50.3cm、1961年》墨・紙、カンヴァス 1961年 スーラージュ美術館蔵
《紙に墨 66.1×50.9cm、1961年》墨・紙、カンヴァス 1961年 スーラージュ美術館蔵
《絵画162×130cm、1959年5月4日》油彩・布 1959年 大原美術館蔵 ※
中の3点は、紙に墨で描いた作品です。油彩などで描いたものよりも筆の滑りが滑らかなように見えます。大原美術館所蔵の作品は、日本で最初に所蔵となったスーラージュ作品です。流石お目が高い!
同じ時期に描かれた日仏の美術館所蔵の2作品が並んで展示される貴重な機会となりました。
スーラージュは、他の作家の作品と並べて展示されることを好まなかったようで、本展でも、スーラージュと森田子龍の展示室を分けて交互にそれぞれ時系列に展示されています。
森田は1963年欧米諸都市を歴訪し、パリではスーラージュと再会します。帰国後「漆金」という新たな技法を編み出します。筆の跡の視覚化、作品上での時間経過の可視化を考えました。森田がアルミニウムの粉を樹脂の接着剤で溶いた液で黒いケント紙に書き、その後表具師が戦後販売され始めた新たな塗料である「カシュ―漆」を繰り返してのせて金色にするという森田と表具師との協働作業だったようです。この技法について森田は弟子にも積極的に教えることはありませんでした。漆金の作品は、丈夫で保存がきくことから海外の需要も考えてのことでした。
おぉー神々しくもある展示空間です。スキージも使っているでしょうと教えていただく。かのリヒターも使っていたアレか!ここまでスーラージュ作品を見てきて、時代を反映しているというのでしょうか、スーラージュ作品が「具体」の作品と一緒に展示されていても違和感がないような気がしてきました。
前衛書は、「書」である限り文字を書いている訳で、漢字ならば意味を持ちうる。線の肥痩、運筆、筆勢など「書」の特性もあり、スーラージュの作品に意味を持たせない表現とはやはり相いれないものだったのではないでしょうか。
戦後アンフォルメル旋風が吹き荒れた時代に、日本国内ではスーラージュ作品が展示され、展覧会も開かれていました。「アンフォルメル以後、『利用価値』のなくなったスーラージュは日本の美術界から忘れ去られ、美術館での回顧展も一度、西武美術館であっただけ。」という呟きをX(旧Twitter)で目にしました。
森田子龍を中心にした交友関係図のパネルがあれば、彼らが過ごした時代背景が私などにも理解しやすかったかもと思いました。
スーラージュ美術館は、2017年にプリツカー賞を受賞した建築家集団RCRアーキテクツの設計です。同じくプリツカー賞を受賞した安藤忠雄の美術館での本展は展示構成が冴え展示空間がとても素敵!
本展の巡回はありません。残念ながら2022年にスーラージュさんは逝去されました。
芸術家の出会いを通して、国際交流を考えるヒントがありそうです。
【開催概要】特別展「スーラージュと森田子龍」
- 会場:兵庫県立美術館 企画展示室
- 会期:2024年3月16日(土)~2024年5月19日(日)
- 開館時間:10:00~18:00 (最終入場時間 17:30)
- 休館日:月曜日、4月30日(火)、5月7日(火)
※ただし4月29日(月・祝)、5月6日(月・振休)は開館
- 観覧料:一般 1600円(団体 1400円)/大学生1000円(団体 800円)/高校生以下無料 /70歳以上 800円(団体 700円/障害者手帳等をお持ちの方 一般400円(団体 350円)/障害者手帳等をお持ちの方 大学生250円(団体200円)
※障害者手帳等をお持ちの方1名につき、その介助の方1名は無料
※一般以外の料金には証明できるものを要提示
※団体(20名以上)で鑑賞の場合は事前に美術館まで連絡が必要です