閉ざされた世界、パレスチナに
描かれた「抵抗の壁画」とバンクシー作品
分離壁はキャンバスに。過酷な現実をみつめなおし、それを風刺して、克服していく力へ。
文・写真 高橋美香
「ひとはなぜ絵を描くのだろう?」そんな疑問を抱きながら、カメラを抱えて世界のあちこちを旅してきた。古代エジプトの王家の墓に描かれた壁画、ハッジ(イスラーム教徒のメッカへの大巡礼)を済ませたひとの家に描かれたハッジペインティング、各国の美術館に飾られた絵画、聖堂や教会を彩るイコンや宗教絵画やステンドグラス、世界各地の「名もない路上のアーティスト」が描いた壁画、まだ見ぬアルタミラやラスコーの洞窟壁画など例を挙げればキリがないが、世界中の人びとが太古の昔から変わらずに抱く「描く」ことへの思い、その内なる衝動に突き動かされる行為のわけを知りたいと、ずっと考え続けている。
多分、そのことを強く意識し始めたのは、パレスチナで「抵抗の壁画」を目にしてからだ。その撮影を始めたのは、2001年第二次インティファーダ(イスラエルによる占領への抵抗運動)のさなかのパレスチナ自治区ガザ地区だった。イスラエル軍により殺された「殉教者」を称え、「パレスチナ全土の解放」をうたい、イスラエル軍兵士と戦うことを描いた「勇ましい」壁画の数々は、ちょうどパレスチナ自治区が軍事侵攻を受け、この後に「自爆攻撃」を用いた抵抗へと続いていく世相を表していたように思う。そんな壁画を、当時はモノクロフィルムをおさめたカメラで、夢中で撮影したことを思い出す。
その後、8年後にパレスチナを再訪したときには、「自爆テロを防ぐため」という名目で、イスラエルによって建設され始めた分離壁がパレスチナ自治区を囲もうとしていた。すでに建設が進んだ高さ8メートルの壁には、様々な壁画が描かれていた。インティファーダの指導者で、終身刑を科されてイスラエルの監獄に「政治犯」としてつながれているマルワーン・バルグーティや現在も絶大な人気を誇るアブーアンマール(アラファト)など、その時々の世相を表した、ありとあらゆる絵が描かれ続けている。
また、1967年以降イスラエルによる併合と占領が続いている東エルサレムなど、現在進行形でイスラエル政府による家屋破壊と住民追放が続いている現場などでもよく壁画をみかける。この東エルサレムのシェイクジャラ地区でのパレスチナ人住民追放(強制立ち退き)と、イスラーム教徒の大切な聖地であり祈りの場であるアルアクサーモスクでのイスラエル当局による弾圧が、先日のガザ地区からのハマースによる「ロケット弾攻撃」(占領下におかれたパレスチナ人の立場からみれば「抵抗」)を呼び、その「報復」として11日間に及ぶイスラエル軍の空爆という「戦闘」がおこなわれたことは、記憶に新しい。
パレスチナ人はかつて大多数が農民だったため、いまでも土地や年に一度の恵みをもたらしてくれるオリーブの木に対する愛着が強い。その土地を奪われ、木を抜かれ、農地をつぶされて壊されたパレスチナの村の跡に新しくつくられたイスラエルの町も少なくない。東エルサレムで目にした、木にしがみついて土地から切り離されまいと抵抗する女性の壁画は鮮烈な印象を残した。いまでも住民追放の現場では、家屋を破壊され、木々を抜かれる現場でそれらにしがみついて抵抗する人々の姿を目にすることは稀ではないが、そんなことはお構いなしにイスラエル当局は破壊を進め、70年以上こんなことが続いている。
難民キャンプでは、難民となって逃げてきた方々のかつての故郷の町や村(現在はイスラエル領)の名前が記された壁画や、故郷での在りし日の生活、土地に根差した暮らしを描いたものなども多い。2002年にはイスラエルによる大規模な軍事侵攻を受け、一般市民も無差別に殺されたパレスチナ自治区西岸地区(現在もイスラエルによる占領が続いている)北部のジェニン難民キャンプでは、難民となったことや虐殺を忘れないためにと描かれた壁画も印象に残った。その壁には弾痕も多数残っていた。
そんな各地の壁画にきまって描かれているのは、パレスチナ人の象徴「ハンダラ」の姿だ。ハンダラは、自身も難民であったパレスチナ人風刺画家ナージー・アル・アリーが生み出したキャラクターである。「襤褸をまとって裸足で後ろ手を組んだ10歳の少年」という設定で、「パレスチナの土地に戻り、自由と尊厳を取り戻すまで、成長もせず、後ろを振り返ることもない。組んだ後ろ手は拒絶を表す」とされている。
ナージー・アル・アリーは1936年(38年説も)ナザレ(現イスラエル領)に近いアルシャジャラ(木という意味)という村で生まれたが、1948年のイスラエル建国にともなう「ナクバ(大災厄)」が起こり、故郷を追われ難民となった。その後「アラブの大義」を掲げながらも、自国の圧政から目を背けさせるために「パレスチナ問題」を利用し続けたアラブ諸国をも含めて批判した彼は、多くの風刺画やコミックを残したが、それを快く思わないアラブ諸国の首脳も多かった。「パレスチナ問題」を利用するだけ利用して、「経済のため」に先ほどイスラエルとの国交を樹立したアラブ諸国の現在の姿を見ていたら、彼はなんと表しただろう。しかし、彼がそれを目にすることはなかった。1987年に彼はロンドンで暗殺されたが、ハンダラはいまもパレスチナの民衆のアイコン、抵抗のシンボルとして生き続けている。
もともとこういう風刺画や「抵抗のスローガン」などを描くことが盛んな文化が土台にあったためか、占領や抑圧や「殉教者」という「題材」が社会に溢れているためか、難民キャンプや近年では分離壁など「巨大なキャンバス」が存在するからか、おそらくそのすべてが要因なのだろう、パレスチナの分離壁などの「巨大なキャンバス」は、まるでバンクシーの登場を待っていたかのようだった。
そもそも以前よりバンクシーの名を知ってはいたが、はっきりとその存在を意識したのは、パレスチナの分離壁が造られようとしていた村で、「うちの村の壁にも描いてくれないかなあ」とその名を耳にしたことがきっかけだった。すぐに調べてみると、防弾チョッキを着てオリーブの枝を持つ鳩がライフルのスコープの的にされている「ターゲットにされた鳩」や、石や火炎瓶ではなく花束を投げようとしている覆面姿の青年「花束を投げる男」などが出てきた。オリーブはパレスチナの代表的な産品で、鳩もオリーブも平和の象徴としてあらわされる。またパレスチナの伝統的なクフィーヤ(スカーフ)で顔を覆って完全武装のイスラエル軍兵士に投石などで抵抗する青少年たちの姿は、パレスチナのあちこちで見かける光景でもある。
分離壁を風船で越えようとする少女を描いた「少女と風船」や、トロンプ・ルイユ(だまし絵)シリーズに描かれる「壁の向こう側の景色」は、分離壁に囲まれて、イスラエルが設けた検問所で出入りをコントロールされるパレスチナ人には見ることすら許されない「向こう側の景色」である。壁と検問所によりイスラエル側に行くことを阻まれているため、パレスチナ自治区西岸地区に暮らす人々は、目と鼻の先に地中海があっても、地中海をみたこともないひと(特に子ども)も少なくない。痛烈な風刺だ。
また、少女が兵士を壁に向かって立たせて捜索する姿を描いた「Girl Searching Soldier」は、イスラエル軍兵士によるパレスチナの青少年(ときには女性や少女も)への捜索をおこなう同様の姿として頻繁に町中で見かける光景だ。ロバの身分証明書を検めるイスラエル軍兵士の姿を描いた「Donkey Documents」も、イスラエルとパレスチナ自治区の境に設けられた検問所だけでなく、自治区内のあちこちでイスラエルによって接収されたパレスチナ人の土地に造られたユダヤ系イスラエル人用の住宅や町である入植地や入植者用道路付近での頻繁な検問で、身分証明書を常に検められているパレスチナ人の姿を思い返すと、「ロバすらも検問を受ける」と皮肉りたくなる現状をよく表している。先日、イスラエル軍兵士が検問と弾圧を始めた現場付近で、掃除をしていたパレスチナ人が巻き込まれて、掃除用のブラシが接収された光景を思い出す。吹き出したくなるような滑稽な光景が、真顔で完全武装の兵士により繰り広げられているシニカルでアイロニカルな現実は、バンクシーにより描かれた世界とも通じる。
そして、その結晶ともいうべき作品が、パレスチナ自治区西岸地区ベツレヘムの分離壁の目の前に建てられた「The Walled Off Hotel(世界一眺めの悪いホテル)」だ。ホテルまるごとバンクシーの作品とも言えるこのホテルの客室の窓から見えるのは分離壁である。
数あるバンクシーの作品で、一番胸に響いたのは、2014年のガザ地区への空爆後に北部のベイトハヌーンに描かれた「Kitten」だ。ガザでどんなことが起きていようとも、無関係な顔をして子猫の映像に夢中でいる世界中の人びとへの痛烈な風刺がこめられている。「空爆は本当に恐ろしいけれど、それ以上に恐ろしいのは、空爆が終わった後の圧倒的な世界の無関心」とガザの知人が話してくれたことがある。世界の注目もなくなった「停戦」後の無関心のなかで、ガザの人たちはどんな思いでこの絵をみつめていたのだろう。そして、先日の「停戦」から一か月やそこらで、もはや話題にものぼらなくなったガザの人びとの苦境は、ずっと続いており、そんな「世界の無関心」を、いまどんな気持ちでみつめているのだろう。現地では、そんなことを表した壁画も、きっと新たに生まれているのだろうと思う。
バンクシーだけでなく、地元の「名もなきアーティスト」にも描かれてきた壁画。絵には過酷な現実をみつめなおし、それを風刺して、克服していく力がある。ハンダラを生んだナージー・アル・アリーは「自分がいなくなった後も、ハンダラは生き続ける」との言葉を残した。現在はイスラエル領となり消されて無くなったかつての村の名前を刻んだ壁画や、イスラエル軍兵士に殺された「殉教者」を描いた壁画からも、そのことを感じる。人間の手により引き起こされ、その責任を問われることもないまま放置された「パレスチナ問題」を「忘れないで」「語り続けて記憶を継承していこう」というメッセージは、バンクシーの作品のメッセージとも共通していると感じる。
「人間はなぜ描くのだろうか?」その答えをみつけるヒントは、こんなところにもあるのかもしれないと、パレスチナに描かれた数々の壁画にこめられたメッセージをみつめなおしながら思う。
高橋美香(写真家) プロフィール
カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」をテーマに撮影、作品を発表。パレスチナでは、農村や難民キャンプで居候生活をしながら、人びとの暮らしと、そこから見えてくる占領の実態などを取材、撮影。著書に『パレスチナのちいさないとなみ』(皆川万葉さんと共著、2019、かもがわ出版)、『それでもパレスチナに木を植える』(2016、未来社)、『パレスチナ・そこにある日常』(2010、未来社)、写真集『Bokra・明日、パレスチナで』(2015、ビーナイス)