5.0
手当てのズレ
京セラ美術館のコレクション展に行くつもりだった。到着したらカーテンが引いてあって年末休館に入ったことを知った。向かいの京都国立近代美術館は開いていたのでそっちに行くことにした。
竹村京さんの修復シリーズ。国立国際美術館「Undo, Redo わたしは解く、やり直す」で初めて見たとき、非人間的なものを感じた。食器を割ったときはせめてまた使えるように接着剤などでくっつけようとするはずなのに、オーガンジーでくるんでその上から傷を覆い、繋ぎ止めるように刺繍を入れているのが、人間の理をわからない存在が修復しようとしているような感じがしたのだ。普通はごみとして捨ててもいいはずの食器を過剰に優しく扱っているところに、食器の傷と人間が負う傷を同等(もしかしたら食器の方が上かもしれない)の位相で見ているようなまなざしを感じた。
が、今回鑑賞していると、傷と刺繍の位置はズレていて、それは傷をフォローしようとしてもそれが必ずしも有効に働くとは限らないことを表しているのではないかと考えたのだが、刺繍は確かに傷と同じかたちでなされていて、相手が傷を負っているということ自体は理解していることに気づいた。すると、たとえ有効に働かないとしても相手の傷に寄り添いフォローしようとしている営みがそこにはあるような気がした。
半分に割れた地球儀の貯金箱がオーガンジーでくるまれて国の部分に刺繍が入っている作品は、もっと大きな問題を表しているように見え、9mm Parabellum Bulletの「Wanderland」を思い出した。
(「国境は歴史の傷口で 治せる薬を探してる」)



