4.0
遊び人を装う寂寥の絵師「酒井抱一」
定家菜穂子さんによる「ヤバい絵:狂気と創造―死ぬまでに観るべき日本の名画」を読んで、 酒井抱一の「白蓮図」が紹介されていました。その時、ちょうど細見美術館で開催されていることに気づき、これは見ておかねばと滑り込みで見ることができました。
蓮の花が大輪を咲かせ、開き切って散る直前と青白い蕾の対比が生死を表わす静寂な作品でした。
機会があれば、定家さんの「ヤバい絵」掲載作品すべて生で見てみたいです。
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江戸琳派を確立した酒井抱一(1761~1828)。姫路酒井家の次男に生まれ、江戸の大名屋敷で育ちました。20代の頃には肉筆浮世絵美人画を描き、狂歌に親しむなど、江戸の文化人たちと交流を深めながら豊かな青年時代を過ごしますが、数え年33歳頃から屋敷を出て転居を繰り返し、37歳で出家して大名家の身分を離れます。50歳を目前にした文化6(1809)年師走、身請けした吉原の遊女とともに移り住んだのが下谷根岸(現在の台東区根岸5丁目)の庵でした。
終の棲家となるこの庵は、8年後の文化14(1817)年に「雨華庵」【うげあん】の額を掲げ、以降「雨華庵」と称されます。仏間に画室を併設した「雨華庵」は、後に養子の鶯蒲【おうほ】(1808~41)、鶯一【おういつ】(1827~62)、道一【どういつ】(1845~1913)、抱祝【ほうしゅく】(1878~1956)らが継承しました。
「雨華庵」は抱一が多数の晩年作を描いた作画の場であり、画僧の住まいとしての役割も兼ねていました。その没後は抱一を慕う門下の絵師たちの拠りどころ、聖地として長く認識されました。
本展は「雨華庵」ゆかりの絵師たちを多角的に蒐集したうげやんコレクションの協力を得て開催される江戸琳派の競演です。うげやんコレクションの江戸琳派作品には稀少な作例も多く、その細やかな蒐集はこれまでの江戸琳派観をより豊かに広げるものです。
これに細見コレクションから、「雨華庵」に纏わる作品や一門の交流を示す作例などを加え展覧します。抱一に憧れ、慕った絵師たち―およそ100年に及ぶ江戸琳派の軌跡とその魅力を数々の作品によりご堪能ください。
会期中、一部展示替えあり。
会期 | 2024年12月7日(土)~2025年2月2日(日) |
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会場 |
細見美術館
![]() |
住所 | 京都府京都市左京区岡崎最勝寺町6-3 |
時間 |
10:00~17:00
|
休館日 |
月曜日(祝日の場合、翌火曜日) 年末年始 12月26日~1月6日 |
観覧料 | 一般 1,800円 学生 1,300円 |
TEL | 075-752-5555 |
URL | http://www.emuseum.or.jp/index.html |
4.0
定家菜穂子さんによる「ヤバい絵:狂気と創造―死ぬまでに観るべき日本の名画」を読んで、 酒井抱一の「白蓮図」が紹介されていました。その時、ちょうど細見美術館で開催されていることに気づき、これは見ておかねばと滑り込みで見ることができました。
蓮の花が大輪を咲かせ、開き切って散る直前と青白い蕾の対比が生死を表わす静寂な作品でした。
機会があれば、定家さんの「ヤバい絵」掲載作品すべて生で見てみたいです。
3.0
前々から、鈴木其一に比べて酒井抱一の直系は影が薄いんじゃないかと思っていたんですが、5世までいたんですね。しかも、5世・抱祝の没年は1956年。昭和の中頃まで続いていたことにビックリです。
描表装好きとしては抱祝の「鯉に燕子花図」に目を引かれました。タイトルにないけど、鯉の上には松の枝も描かれていて、池の周りの風景を切り取ったような奥行きが感じられる仕上がりです。鯉の静けさと草花の力強さの対比も面白い作品です。
山本素堂の「朱楓図屏風」は笹かまのような笹の描き方が其一の「夏秋渓流図」にそっくりで、一門でこの描き方なのか!と思いました。
道一の花鳥画と「猪八戒図」も素敵でしたね。
琳派は「其一の後は神坂雪佳に行きついて終わり」くらいの認識だったんですが、地味に「雨華庵」として続いていたんですね。
3.0
琳派展 酒井抱一のワードに期待して訪れた展覧会だったが、抱一作品は「これだけ?」と思ったより少なかったのが残念。でも最初に展示されていた「紅梅図」には抱一が身請けした吉原の遊女の漢詩が添えられ、その流麗な筆遣いに、吉原の太夫が高い教養を持っていたことに感銘を受けた。「白蓮図」も凛としてたたずんでいた。
その後は抱一の開いた「雨華庵」を継いだ画家たちの作品が並ぶが、中でも4代目酒井道一、その子で5代目にして最後になった酒井抱祝の現代アートにつながる作品が心に残った。
酒井道一の「蓬莱図」は海も波もなく、島それとも頂上からみた山が画面に独立して浮かんでいる。まるで空中に浮遊しているような不思議な雰囲気を醸し出している。
また酒井抱祝の「鯉に燕子花図」は燕子花が、からまる植物が絵の枠からさらに広がって描かれている。規定を超えて新しいものを生み出そうとする力を感じた。この抱祝が亡くなったのは1956年(昭和31年)。江戸時代から昭和時代まで抱一の琳派は続いていたということだ。
さて訪れた本日は成人の日。美術館の外では、色とりどりのきらびやかな現代の琳派?晴れ着の集団にも出会い、目の保養をさせてもらった。
姫路藩主酒井家の次男として生まれた酒井抱一(1761-1828)は、400年前の俵屋宗達に私淑した300年前の尾形光琳を100年後に私淑した江戸琳派の絵師の祖として知られています。酒井家は、歴代文雅を好み、そのような環境の江戸屋敷で生まれ育…readmore
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山本素堂《朱楓図屛風》 江戸後期
酒井道一 《藤に牡丹図》 明治期
酒井道一《葛に女郎花図》 明治期
酒井抱祝 《朝桜図》 明治後期~昭和前期
酒井抱一 画 小鸞 賛 《紅梅図》 文化7年(1810) 細見美術館蔵