京都と民藝を考える
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- by morinousagisan

会期末となりましたが、この秋の忘れ物回収のように京都市京セラ美術館で開催中の特別展「民藝誕生100年—京都が紡いだ日常の美」へ行ってきました。
1925年「民衆的なる工芸=民藝」という言葉が生れて100年という事で「民藝」関連の展覧会は多く、関西で開催されるものの大半を観てきたように思います。
・2023年「民藝 MINGEI―美は暮らしのなかにある」@大阪中之島美術館 全国を巡回しました。
・2024年「生誕120年 人間国宝 黒田辰秋―木と漆と螺鈿の旅―」@京都国立近代美術館 質量ともに充実した黒田辰秋の大回顧展でした。
・2025年「MINGEI ALIVE -いま、生きている民藝」@兵庫陶芸美術館 この秋に出かけたばかりです。
・2019年「京都新聞創刊140年記念 川勝コレクション 鐘溪窯 陶工・河井寬次郎@京都国立近代美術館 つい最近だと思い込んでいました。河井寛次郎作品は京国美のコレクション展にいつも展示されているので思い違いしていたのだろうか。河井寛次郎の画業を網羅する展覧会だったと思います。そうしてこれらの締めともなる本展は、京都と民藝のかかわりを掘り下げた展覧会で、今までの展覧会で紹介されなかった京都との関係性にも言及したもので、私はとても良い展覧会だったと思いました。

柳宗悦は、関東大震災の翌年に京都の吉田山近くへ転居し、3度の引っ越しをしながらも京都で約10年を過ごしました。旧知の濱田庄司から河井寛次郎を紹介されます。河井はかつて柳から作品を批評されたことがあったため、直接出会うまで好印象は持っていなかったようです。
序章で展示される木喰仏、何体彫ると目標を立て一心に掘り進んだ円空仏とは違った印象です。袖で顔を隠した十六羅漢尊者や柔らかな表情の観音様など表情も表現も豊かで向き合っているこちらの心が和みます。《葬頭河婆跏像》三途の川(葬頭河)の岸で亡者の衣を奪う鬼婆です。柳は「グロテスクの美」と評したとあり、そのままの表現です。なかなかの迫力で、ちょっと横から撮影してみるとまた違ったように見えたのでした。

上賀茂南大路に300坪の広大な社家の空家を借りて、民藝の実践の場として中世ギルドに範を取った協団「上加茂民藝協団」が設立され、若い製作者たちが参加しました。木漆工芸家の黒田辰秋もその一人として参加しており、黒田の民藝との接点でした。黒田の作品は目にすることも多いですが、名前はあがるがその作品を目にすることがなかった青田五良の作品が本展では展示され、本展で青田の染織作品は特に目を惹きました。青田の染織への思いも詳しく説明されていました。青田は柳の理想を実践しようとしたのではないでしょうか。「正しい工藝」「無心の美」を生み出す「正しい織物」を作ろうとし、自らの手で染める植物染色、撚りをかけた丈夫な糸を用いて、経糸緯糸が等しい強さを持つ丈夫な織物を制作しますが、37歳で亡くなってしまいます。彼の染織は、「穏やかな色調の中に鮮やかな色糸を織り込み、伝統的な技術に基づきながらも、荒々しさと繊細の双方を兼ね備えている」と説明されていました。
制作集団「上加茂民藝協団」は、理想と現実のギャップの中で金銭的な問題や人間関係の難しさも内包して2年半足らずで頓挫してしまい、柳考える新作運動の難しさが露呈することとなりました。

1928年御大礼記念国産振興東京博覧会にパビリオン「民藝館」を出品し、その什器を製作してモデルルーム形式の生活空間展示を行いました。博覧会の後大阪の三国へ「民藝館」は移築されて「三國荘」となって民藝関係者のサロンとなったことは有名です。三國荘ではメインヴィジュアルの《馬ノ目皿》にサンドウィッチが盛られて供されたそうです。アサヒビール大山崎山荘美術館やこれまでの民藝関係の展覧会でも三國荘の再現展示を何度か観てきました。本展では、精神科医の式場隆三郎が、自分の国府台病院の敷地内に建てた自邸が再現展示されていました。設計の原図は柳が描いたそうで、書斎と応接間を生活の中心に置く洋間が多く占める邸宅で、三國荘と似ているそうですが、三國荘ほど重々しくはないように感じました。和風と洋風と東洋風が調和した空間で戦前の民芸建築の到達点と説明されていました。式場隆三郎といえば、ゴッホとの関係を思い浮かべてしまうのですが、白樺派を通じて柳と知り合い、民藝との交流も深かったようで、多才なお医者様だったのでしょう。
民藝を代表する濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチ、富本健吉、芹沢銈介、棟方志功、そして黒田辰秋などは、各人で1つの展覧会が開催できるほどの個人作家であり、作品もあちこちで目にする機会は少なくない。著名な個人作家の意義と無名の製作者の存在は矛盾を孕み、柳はしばしば個人作家の意義と役割を論じることとなりました。工藝は本来自然や伝統の中で美を有すると考え、そのため工藝を再び民衆の手に戻すべきで、個人作家は民衆の指導者として位置づけるべきと柳は説明していたようです。
京都滞在中、柳は弘法市や北野天満宮の天神市をめぐり、いわゆる『下手物』安価で庶民的な日常の道具を蒐集しました。「誠実な美」「健康な美」を理想としました。製作者が自分の独自の作品を追究していくうちに「民藝」の理論と個人作家としての制作との間に矛盾を感じても不思議ではないように思います。

英文学者でウイリアム・ブレイクの研究者であった寿岳文章は、柳宗悦との共著もあり、和紙についての著作もあって、民藝の人たちと交友関係にあったようです。上記の分厚い豪華本は、表紙は羊皮と紺紙装、本文用紙は鳥の子紙(雁皮を主原料とする、鶏卵のような淡い黄色と滑らかな肌が特徴の高級な和紙)。装幀意匠は柳、題扉は黒田辰秋、特製本用の紬手織は青田五良、という書物工藝の優品だそうです。
京都と民藝の関係では、葛切りの「鍵善良房」や京大前の進々堂のテーブルの他、牛の水炊きの祇園十二段家や北白川の山口書店など京都の店主が民藝作家を支援しました。また、民藝建築として河井寛次郎に陶芸を学んだ上田恒次郎も紹介されていました。非公開ですが彼の設計による自邸が岩倉に今もあるそうです。戦後は都市の商業建築へ民藝意匠を取り入れ「民芸建築家」とも呼ばれた宮地米三も紹介されていました。こちらは「民芸」なのかもしれません。
京都市京セラ美術館 秋期コレクションルーム「こどもえのまなざし」については”くつしたあつめ”さんがアートブログに投稿されています。三谷十糸子特集が私も良かったです。唐仁原希の作品があって思いがけない嬉しい出会いとなりました。理論家でもあった黒田重太郎の著作から京都の洋画壇の図解パネル展示がありHPにも掲載してほしいと思いました。

アートアジェンダ掲載の「ACK ART GUIDE」で巡る、秋の京都を彩るアート からから京セラ美すぐそばのボスコ・ソディ「火」@MtK Contemporary Art にも寄ってきました。バスが混んでいたため神宮道を歩こうと思い

星野画廊さんへも寄ってみました。何気なく入ったのでしたが、独立美術協会会員で京都市立芸術大学教授でもあった中村善種の「マヌカンと都会の憂鬱を描く没後30年・中村善種遺作展」開催中でした(12/14まで)展示されている作品にも惹かれ、中村を良く知る方と星野さんの会話に耳を傾けてその人柄、作風などを伺いました。星野画廊を出て直ぐお隣のギャラリー胡々湾にも呼ばれるように入ってしまいました。「長尾博昭作品展 今あり(線と色と形」(12/7まで) 岩絵具を使った作品でした。長尾さんは退職後造形大で学び直し、独自の画風を追及されています。ギャラリーで展示中の《存在意義》が、兵庫県第62回「2025県展」絵画部門で二席 兵庫県立美術館賞を受賞されていました。作家さんからも興味深いお話を色々と伺いました。

夜間特別拝観の知恩院前を通過。円山公園を通って

賑わう八坂神社を通って

京都の師走の風物詩、南座のまねきを写真におさめて締めとなりました。
※掲載の特別展「民藝誕生100年—京都が紡いだ日常の美」の画像は、展示場内で撮影OKの作品で、SNSに掲載しも大丈夫ですかと確認した上で掲載しています。