大橋翠石の動物画を堪能しました。『万博・日本画繚乱ー北斎、大観、そして翠石ー』@福田美術館&嵯峨嵐山文華館
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- by morinousagisan

日本が万国博覧会(以下、「万博」)に初めて参加したのは、明治維新直前の1867(慶応3年)です。以来、近代国家への仲間入りを目指して、欧米で開催される万博に参加し様々なモノを展示し日本を紹介してきました。20世紀初めまで当時を代表する日本画壇の巨匠の作品も展示され、その作品の多くは開催国で販売されました。福田美術館と嵯峨嵐山文華館の二館共催となる本展は、1867年のパリ万博から1904年(明治37)セントルイス万博に作品が出展された日本画家の明治、大正、昭和期の作品を二館で紹介します。
福田美術館には、大きなパネル解説「明治期に万国博覧会に出た日本画」があり、とても分かり易いですのでそちらも是非参考にしてください。
今春京都国立博物館で開催された特別展「日本、美のるつぼ―異文化交流の軌跡―」のプロローグに「万国博覧会と日本美術」もありましたので皆さんの記憶にも新しいかと思います。

日本が初めて参加した慶応3年(1867)パリ万博には葛飾北斎(1760-1849)の作品が出展されています。『北斎漫画』も展示されました。印象派や後期印象派の画家たちは、浮世絵から多くを学ぶことになったのは皆さんご存じの通りです。繰り返し目にしてもいつも新しい発見があるような、「巧い!」と唸ってしまう北斎で、当時のパリっ子たちが驚いたのも納得です。展示作品はすべて北斎の肉筆画です。
万博には日本画壇からまだ若かった上村松園から当時の重鎮までバランスよく出展されていたようです。明治期になって日本画に西洋画の影響もあり、新しい日本画が模索されます。

大観と春草の《竹林図・波濤図》は、いわゆる「朦朧体」と呼ばれた日本画の線でなく面の濃淡で表現した作品です。後期展示では、一双約8mにも及ぶ大観の大作《富士図》が展示されます。
2020年に岐阜県美術館で大橋翠石の展覧会が開かれ大きな反響を呼び、気になっていた私は昨年夏の「福田どうぶつえん」@福田美術館でおそらく初めて目にした翠石の虎!翠石の兄大橋万峰《猛虎図屏風》には本当に驚きました。第2章は「大橋翠石祭」です。福田美術館の翠石作品コレクションは全国最多です。福田美術館の所蔵作品に貴重な個人蔵作品も加えて、西日本初となる計25点の翠石作品が一堂に会する展示となり貴重な機会となっています。《猛虎之図屛風》は、翠石が娘の結婚に際して嫁入り道具として贈った屏風だそうです。嫁ぎ先もこれを飾れるほどのお屋敷だったのでしょう。この屏風と向かい合うのは、翠石の兄大橋万峰《猛虎図屏風》で、物凄い迫力が両側から迫ります。
大橋翠石(1865-1945)は、1900年のパリ万博に『虎図』を出品しました。97名134点の日本人画家の作品中で唯一金メダル(金牌)に輝きました。翠石は、1904年のセントルイス万博でも連続して金メダルを受賞し、明治時代を代表する巨匠のひとりとして、横山大観や竹内栖鳳という東西の画壇の巨匠と同等の評価を受けていました。また、明治天皇、東郷平八郎、大隈重信など、錚々たる人々が翠石の絵を愛し、所蔵していました。
翠石についても、パネル解説がありますので、参考にしてください。

翠石は、内向的な性格もあって多くの弟子をとらず、画壇にも属さず、虚弱な体質で療養のため神戸の須磨に隠棲し、動物たちを描きながらたった一人で自分の芸術を追求し続けました。いわば、「日本美術の鉱脈」の一人とも言えましょう。
翠石の描く動物画では、動物によって描き分けている「毛描き」にご注目!翠石が虎を描くきっかけは、「猫」にあり。「猫が描けるなら虎も描けるだろう」と薦められて描いたのが始まりとか。猫を描いた作品が並ぶ壁面、「猫好き翠石」が伝わります。

パノラマギャラリーでは、竹内栖鳳作品が展示されています。竹内栖鳳(1864-1942)は、大橋翠石とは1つ違い、京都画壇の第一人者として1900年パリ万博に『雪中躁雀』を出品、パリ万博視察に出かけていましたが、結果は「銅メダル」でした。この時の栖鳳の心中は分かりませんが、帰国後雅号「棲鳳」を変えて「栖鳳」としました。後期展示で栖鳳筆《猛虎》が展示されます、翠石の虎と見比べてみて下さい。
嵯峨嵐山文華館へ移動しましょう。

万博での国際的な高評価を得るための日本政府の戦略として、最初はすでに国内で名声を確立していた巨匠に出品を依頼をしました。東京の橋本雅邦や京都の今尾景年などの帝室技芸員が選ばれました。
狩野派を学んだ雅邦(1835-1908)の作品には、遠近法、陰影表現などに西洋画の影響も見られ、近代への過渡期の作品と言えるでしょう。狩野派で基礎が鍛えられているため画面から筆圧が伝わってくるように感じます。

大観や栖鳳などの世代の画家に次の期待がよせられました。
菊池芳文(1862-1918)は、政府主催の日本画コンクールである内国絵画共進会で銅賞を受賞して画壇にデビューし、1900年のパリ万博に出品。1905年のリエージュ万博では2代川島甚兵衛につづれ織りのための大規模な百花百鳥の下絵を提供して、日本の四季を豪華絢爛に表現したそうです。
昨年秋「特別展 オタケ・インパクト 越堂・竹坡・国観、尾竹三兄弟の日本画アナキズム」が泉屋博古館東京で開催されて注目が集まった尾竹三兄弟の次男・尾竹竹坡(1878-1936)の《寒山拾得》が前期に展示されています。これが尾竹かぁと意識して観ました。尾竹竹坡は、1904年セントルイス万博では、銅牌を獲得しています。
鈴木松年筆《昔話猿蟹合戦図屏風》は、ムッキムキの蟹ややる気満々の栗、蜂は蜂の巣が先に付いた武器で戦闘モードです。迎え撃つ猿たちは覇気が感じられないが大丈夫かとついつい思ってしまう昔話を題材にした作品です。岩や水流の表現など見どころが多い作品です。鈴木松年は、1893年のシカゴ・コロンブス万博で受賞し、1900年のパリ万博で銅牌を獲得しています。

2階展示室では、万博で活躍した上村松園など新人画家たちの作品が展示されています。やはり気になるのは個人蔵の大橋翠石作品でした。体が弱かった翠石は、信心深く観音像をたくさん描いたそうです。西洋画の影響を受け、主題と濃密な背景を組み合わせた「須磨洋式」による神戸で描いた作品と説明されています。

1908年第8回巽画会受賞作です。毛描きを拡大してみると筆触と毛の質感が伝わります。

もちろん全作品撮影可ですが、単眼鏡がなくてもスマホで拡大して細部まで視ると「へぇー」が詰まっています。
展覧会のチラシは今回も凝った作りになっています。
美術館は、混沌とした嵐山で涼しくて唯一ホッとするところです。
【開催概要】
- 会期:2025年7月19日(土)~2025年9月28日(日)
- 前期:7月19日(土)~8月25日 (月)/ 後期:8月27日(水)~9月28日(日)
- 時間::10:00~17:00 (最終入場時間 16:30)
- 休館日:8月5日(火)、 9月9日(火)設備点検、8月26日(火)展示替え
※嵯峨嵐山文華館のみ9月18日(木)も休館ですのでご注意ください!