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「アーティストトーク 米田知子×束芋」と「チャンネル15 森山未來、梅田哲也《艀》」に参加しました

兵庫県立美術館で阪神・淡路大震災30年 企画展「1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち」が開催中です。

※展示作品は一部撮影可

昨年12月にあったイベントに参加しました。

あれから30年です。あなたの30年、わたしの30年、そしてこれからを考える。

展覧会は、あの時の立場によって受け止め方はまちまちでしょうし、震災以降に生まれ育った人や阪神間に移り住んだ方も多くいます。

震災時、兵庫県立美術館(以降「県美」)は、前身の兵庫県立近代美術館(1970-2001)のときに建物や収蔵品に大きな被害を受けました。被災地にある美術館として節目ごとに展覧会も開催してきました。

  • 震災から5年 震災と美術-1.17から生まれたもの(2000.1/15-3/20)

阪神・淡路大震災に直接かかわりのある美術表現を集めて紹介

  • 震災復興10周年記念国際公募展 兵庫国際絵画コンペティション(2005.1/17-2/20)

「再生 Renascence」をテーマに作品を公募し、入選作を展示

アトリエ1での小企画展やコンサート、保存修復活動紹介やガイドツアーなど13事業を開催 (その後近年まで毎年1月にはレクイエムコンサートとしてコンサートが開催されていました。)

これまで開催された展覧会は、経験を可視化するものでした。震災から30年を過ぎ、県美の職員にさえその当時を直に体験した人は少なくなっています。それでも参加アーティスト(束芋、米田知子、やなぎみわ、國府理、田村友一郎、森山未來、梅田哲也)は、関西ゆかりの人が多く、明石市出身の米田知子さん、神戸市出身の束芋さんややなぎみわさん、灘区出身の森山未來さんと当然みなさん30年前の当事者として体験された方を美術館側から依頼をしたのだと思い込んでいましたし、これまでの震災関連の展覧会のありようからしてそうであると思っておりました。


私事ですが、当時わたくしは兵庫県の西の方に住んでいました。あの朝の事はもちろんよく覚えていますが、直接の当事者ではありません。多分神戸の惨状を記憶としているのは、テレビからの映像を自分の記憶として置き換えていたのかもしれません。半年ほどして神戸市内に入り、明石辺りからブルーシートが掛けられた家が増え、須磨辺りの家は傾き、長田まで来ると何もなく壁が一面建っているだけでした。大阪で働いていた友人は「淀川越えると別世界やった」と話していました。翌年春に関東圏へ転居となり、月に一度は地震がありましたが小学校で机の下へ潜ったのはうちの子だけでした。同じ年の3月東京では地下鉄サリン事件が起き、神戸の地震の事にはすでに目が向かないような状態でした。


本展オープニングのアーティストトークに米田さんと束芋さんになったのは、このお二人が活動の拠点とされている地、米田さんはロンドンへ、束芋さんは長野へお帰りになるということからだそうです。

最初にお二人と兵庫県立美術館とのかかわりについて、県美での所蔵などについてお話がありました。お二人のこれまでの作品や活動履歴については、本展HP>出品作家紹介やそれぞれ作家さんのHPにもありますが、お二人からもご説明がありました。

束芋さんは、京都造形大学情報デザイン学科へ入学し、今年国立新美術館での大規模個展開催中に亡くなられた田名網敬一の元で学ばれました。卒業制作「にっぽんの台所」は大きな話題となりました。以後アニメーションを使ったインスタレーションの作家さんとして活躍中です。

米田さんは、高校の頃にアメリカへ留学され、そのままイリノイ大学シカゴ校で写真学学士号を、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで写真学修士を修了され、ロンドンを拠点に活動されており、1995年当時は関西どころか日本に在住ではありませんでした。日本が大変なことになっていると友人から聞き、電話を掛けられたそうです、が二回目からは電話が繋がらなくなったそうです。(そうでした)

「見えるものと見えないもののあいだ」シリーズが県美のコレクションとなっており、あの眼鏡の作家さんだと私の中では定着しており、また国立国際美術館のコレクション展でも作品はたびたびお目にかかっています。記憶と歴史をテーマに20世紀の傷を追いかけて制作され、ご本人からは作品の写真はテキストがあって成立しているとのお話がとても印象に残りました。

束芋さんは、当時浪人生だったそうで、お住まいは神戸市北区で大きな被害はなく、ご本人は「お腹が空いたからお餅でも焼いて・・・」などと楽観的だったと記憶されていたようです。しかし、ご家族によると余震がくるたびに恐いと泣いていらしたらしいが、(余震が来る前に地鳴りが聴こえ、何年もトラックの音に私は怯えていました)それでも差し迫った受験のことが気がかりで、受験と震災を結びつけるものはなかったそうです。

お二人は、2007年の第52回ベネチアビエンナーレでイタリア館から出品された共通項もありました。(出身国のパヴィリオンからだけの展示には限っていないそうです)束芋さんが2007年に出展された《dolefullhouse》は、県美の所蔵となり1/7からのコレクション展で展示されます。


本展を開催するにあたって、何人かのアーティストに美術館から声をかけられましたが、テーマが難しいと断る作家も当然のことながらいらしたそうですし、コロナ禍を過ぎてアートシーンが活況を帯び作家さんたちは多忙で、みなさん同時進行の展覧会を抱えていらっしゃるような状況でした。


束芋さんも、「難しいテーマ」だと思われたそうです。当時を思い返しても上述したような状況だった思春期真っただ中の束芋さんでした。自分はどのように感じていたか、記憶を掘りおこしていった先にある事実ではないかもしれないが事実に基づいた、自分に正直な作品を作ろうとされたそうです。《神戸の学校》と《神戸の家》の2作品と所有者が代わっていった「ドールハウス」が展示されています。

70年代半ば生まれの束芋さん世代は、ロストジェネレーションと呼ばれた世代、注目されてこない主役でない人から見る、物語の中心にいないワキ役からの視点、発信とも話されていました。この主役わき役のお話は、当事者からでない視点からも作品は作られ、発信していくことは出来るという話から派生した話です。決して主役からの視点だけではないと。


展示されている米田知子さんの震災の年に撮影された作品は、震災の年に自分の記録のために撮影されたものでした。10年を経た被災地で撮影した作品と共に2005年芦屋市立美術博物館で開催された「震災から10年 米田知子展」(2005.2/26 -4/10)で展示されました。10年後の写真には当時の遺体安置所だった場所のカーテンが写り、そしてその建物も30年後の今はもうないそうです。

当事者でなかった私ですが、離れた地にも仮設住宅が建ち、今も芦屋の美術博物館から見える芦屋浜のあの高層マンション、米田さんのあの特徴ある高層マンションの近くに建つ仮設住宅の方を遠くから見ている少年の後ろ姿の作品からあの頃の光景を思い出し胸がギュとし、そうだったねぇでは終わらない。

海外を拠点として活躍する作家さんには、世界情勢も目の当たりにして作家活動を続けていく中で、米田さんも2005年以降震災の記憶を追うことから離れておられ、今回新たに新作を発表されました。ライフラインがストップした大変なあの時、あの日、あの年に生まれた人たちは30歳を迎えます。当時は個人情報保護もなく、メディアに晒されることもしばしばで、震災後の節目にはインタビューを受ける事も少なくはなかった。それぞれ立場は違っても30歳を迎えた人たちに、美術館と米田さんが説明を尽くして彼らから話を聴きとりながら1年くらいかけて新作となりました。「うまれてきてくれてありがとう」の思いと彼らの成長に時の流れを感じ、希望を見い出し共有し、米田さんの思いも伝わって来るようでした。


本展では固定電話が各所に置かれて象徴的な存在となっています。

当時のメディアのあり方と現在の状況は全く違っています。田村友一郎の展示は当時を思い起こさせます。大きなデスクトップのコンピューター、Windows95の発売、イチローのサインボール・・・。震災当時ライフラインは一気に止まり、電話もつながらず、情報を得るのは手元か車の中のラジオしかない。ヘリコプターが大きな音をたてて空を飛びかい、被災地から離れた身にはテレビから悲惨な映像が垂れ流されてくる。当事者だった知人は、翌朝はヘリコプターの音しか聞こえず怖いほどに静かだったと話していました。


本展参加アーティストは、作品で選ばれた訳ですが、1967年生まれの米田知子から1984年生まれの森山未來まで、2010年頃にアップカミングの作家さんたちになったと林館長はお話になっていました。震災後30年は、実体験の作家の作品で展示するのは難しくなり、大きな転機のタイミングとなりました。歴史は何処の岸に立つかで全く違うように、リアルな当事者が居なくても、繋げていく展覧会に。

神戸の震災後も、大きな災害は後を絶たず、被災地の悲惨な状況を知るにつけ、30年すぎてもこうなのかと悲しくも情けなくもなります。こんな経験は若い人たちにはしてほしくないし、それは災害だけでなく、戦争や貧困もそうです。

これからもメモリアル的な展覧会も開催されていくでしょう。20年、30年と時が経ち、本展は、これからの展覧会のあり方の1つを提示しています。

会期中は、他の作品について、アーティストさんとの対談、担当学芸員のギャラリートークなどイベントが予定されています。


やなぎみわさんの作品について、「震源地の野島断層のある淡路島にはイザナギとイザナミの二柱を祀る伊弉諾神宮がある。」と宝塚在住の現代作家さんが書いておられて、「あっ!確かに」となりました。淡路島を窓越しに見つめる少女の後ろ姿を撮った米田さんの作品が本展のメインヴィジュアルになっています。

展覧会が過去を振り返るのだけでなく、若い人たちに未来へ向けて希望となるような展覧会で、世の中であってほしい。

 

『チャンネル15 森山未來、梅田哲也《艀(はしけ)》』については、ネタバレにもなりそうなので、公開日の事前予約して出かけ下さい。詳しくは⇒


【開催概要】阪神・淡路大震災30年 企画展 1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち

会期:2024年12月21日(土)~2025年3月9日(日)

会場:兵庫県立美術館 企画展示室

開場時間:10:00~18:00 (最終入場時間 17:30)

休館日:月曜日 2025年1月14日(火)、2月25日(火)、※ただし2025年1月13日(月・祝)、2月24日(月・振)は開館

観覧料:一般 1,600円(1,400円)/大学生 1,000円(800円)/ 高校生以下 無料 70歳以上 800円(700円)

障害者手帳等をお持ちの方(一般)400円(350円)/障害者手帳等をお持ちの方(大学生)250円(200円)※( )20名以上の団体料金です

★コレクション展は別途観覧料が必要(本展とあわせて観覧の場合は「割引」があります)

展覧会サイト:https://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_2412/index.html


プロフィール

morinousagisan
阪神間在住。京都奈良辺りまで平日に出かけています。美術はまるで素人ですが、美術館へ出かけるのが大好きです。出かけた展覧会を出来るだけレポートしたいと思っております。
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