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異文化交流という視点から日本美術史にアプローチする

今年の春、関西は日本美術が熱い!第1弾です。

 

タイトルにある「るつぼ」は、「坩堝」と書き、「異なるものが融合すること」の例えにも使われています。海を越えた異文化交流で、異なる文化が、”坩堝”の中で融合して新たな文化、技術、美術、芸術となって美術史、文化史の中に足跡を残してきました。本展は、京博の各ジャンルの研究員がこのテーマにそった作品を選び、それを集約厳選した作品が展示されています。

2部構成にプロローグとエピローグがあり、時系列の各部の中もトピックごとに分かれて展示されています。プロローグには本展のエッセンスが詰まっています。多くの展示品の中から個人的に特に「これは」と思った作品をピックアップしてご紹介しています。


プロローグ 万国博覧会と日本美術

Ⅰ 世界に見られた日本美術

明治維新を前後して欧米で開催されていた万国博覧会に参加した日本。人気を博したのが浮世絵や近年展覧会も開催されて注目を集めている「明治の超絶技巧」の工芸品です。

 色紙団扇散蒔絵料紙・硯箱19世紀 江戸~明治時代 京都国立博物館蔵[通期展示]

日本が国家として初参加した明治6年(1873)のウィーン万博からの帰国時に、展示品を載せたニール号が伊豆沖で沈没し、約1年半後に海底から引き揚げられた積み荷の一部でした。奇跡的な保存状態だったため、蒔絵が豪華客船の内装に採用されるきっかけとなったそうです。

(きゅう)漆見本軍配形衝立明治5(1872)年頃 京都国立博物館蔵[通期展示]

明治になり刀装具の需要がなくなり、どこかに活路を見出そうとした元は鞘の塗師の橋本市蔵(初代)作です。

《L'Art Japonais(『日本の美術』)》Louis Gonse(ルイ・ゴンス)著 フランス 1883年刊 京都国立博物館蔵[通期展示]

海外初の体系的な日本美術書です。1860年頃に始まったマニアの異国趣味だったジャポニスムが、明治11年(1878)の第3回パリ万博を機にブームとなりパリには日本美術骨董が溢れたと伝わります。日本美術コレクターにして美術雑誌「ガゼット・デ・ボザール」の編集長だったゴンスが、起立工商会社に雇われていた林忠正の助言を得てまとめたもので、日本美術を欧州に広める大きな役割を果たしました。

《Le Japon artistique(『芸術の日本』》)Siegfried Bing(ジークフリート・ビング)編集 フランス 1888~91年刊 京都 国際日本文化研究センター蔵[通期展示] 

複製図版と挿絵に日本美術についての論考も掲載した月刊美術雑誌で、編集者は、当時の画家とも親交があった美術商サミュエルことジークフリート・ビングです。表紙は全て浮世絵で、手に取ってページを繰りたくなります。

 美術、工芸、工業、産業、芸術、哲学、歴史などの概念は、この頃西洋の言葉から翻訳されて日本に定着していきました。日本でしか作れなかった細やかな蒔絵の品々は今も魅力たっぷりですが、近代国家として国際社会に乗り出した日本にとっては、異国趣味レベルでない日本の美術を示したいと思ったのでした。

★印籠・根付の展示の並びにとびっきり洒落てキュンキュンする漆器の香合や小さな高香箪笥などの小さな漆器類が展示してあり「わぁー大好物やー」と見てキャプションを見ると大阪市立美術館蔵「カザール・コレクション」とあり、やっぱりなぁと思いました。世界にどーーーーんと見せたい作品とは別に、再評価されつつある明治の超絶技巧、それまでの日本の歴史の中で培ってきた職人の技術って凄いと思います。


Ⅱ 世界に見せたかった日本美術

明治政府は、日本が「美術」や「歴史」をもつ「文明国」であることを示すために、西洋的方法論による日本初の日本美術史をフランス語で編纂して明治33年(1900)のパリ万博に展示しました。

《Histoire de l’Art du Japon (『日本美術史』)》千九百年巴里万国博覧会臨時博覧会事務局編 明治33年(1900) 京都国立博物館蔵[通期展示 頁替あり]

コロタイプ印刷と美しい木版多色刷りの図版を掲載した豪華装幀版で1000冊を作って各国首脳や博物館に配られました。” Histoire de l’Art du Japon”を検索するとスミソニアンライブラリーなど世界の錚々たる図書館も上がってきます。弥生時代から始まる時代区分は、企画当初の編集長、岡倉覚三(天心)の構想に基づき、最終的に臨時博覧会事務官長の林忠正が閉幕までに辛うじて仕上げたそうです。ゴッホ展などで度々お目にかかる林忠正、ただの美術商ではなく、西欧における日本美術への理解をうながしたこの人の活躍ぶりが伝わります。「起立工商会社」や画商の林忠正、岡倉天心と帝国博物館総長だった九鬼隆一との当時の関係性などが次々とでてきて” Histoire de l’Art du Japon” の経緯をちょっと調べてみただけでもかなり面白い。古社寺の宝物調査、所謂「壬申検査」の成果が盛り込まれおり、今では国宝や重要文化財となっている品々も含まれています。先のフランス語版に続いて、翌年、帝国博物館編『稿本日本帝国美術略史』として和文が出版されました。私たちが一般に知っている日本美術史はこの官制の日本美術史を出発点としています。

 ” Histoire de l’Art du Japon”に掲載された作品が展示されています。

重要文化財突線鈕五式銅鐸滋賀県野洲市小篠原字大岩山出土 弥生時代 1~3世紀 東京国立博物館蔵[通期展示]

日本の初期美術における金工の代表例の一つとして掲載されました。埴輪は、日本の初期の美術のなかで、日本の木像や塑像、銅像の起源として彫刻の分類で掲載されていました。

 ” Histoire de l’Art du Japon”には掲載されていませんが、お馴染みの

国宝風神雷神図屏風俵屋宗達筆 江戸時代 17世紀 京都・建仁寺蔵[通期展示]

江戸時代どこにあったのかは定かでなく、明治17年(1884)のフェノロサの調査でその存在が明らかになりました。明治36年(1903)、東京帝室博物館(現:東京国立博物館)で開かれた琳派展で宗達・光琳・抱一の「風神雷神図屏風」が初めて揃って展示されて、広く知られるようになり、琳派という概念が形成されていきました。「琳派の概念の形成は、近代国家として歩み始めた日本が必要とした『伝統の創出』」ともなったのでした。

ここで言う「異文化交流の軌跡」とは、つまり東西交渉史を日本から美術品の中にみていくという事です。中国で言えば、天山山脈を越えてのシルクロードや陶磁器の道とも言われる海の道に北方の草原の道もあり、人物や文物が往還しその東端の終着点が日本でした。以降は、時系列で進んでいきます。

第1部 東アジアの日本の美術

Ⅰ 往来がもたらす技と美

古来より大陸との往来があった日本は、東アジア文化圏の東の端に位置し、技術や文化、宗教、政治体制までも受容することとなり、日本はシルクロードの終着点として多くの文物がもたらされ、人物や文物から倣い日本でも様々な文物が創造されてきました。

《高松塚古墳壁画模写のうち 東壁》昭和48~49年(1973~1974) 原品:飛鳥~奈良時代 7世紀末~8世紀初 奈良文化財研究所蔵[前期展示、西壁は後期展示] 

模写の画家の個性や癖が出ないように点描で写された極彩色の壁画、古代中国の壁画墓に倣いますが、典雅な女性たちの装束は飛鳥時代の天平人の風俗の可能性が高いそうです。

 

Ⅱ 教えをもとめて

奈良時代から平安時代の初めにかけて、外交使節として学者や技術者、僧侶が大陸と日本を往来しました。鑑真のような高僧が苦難の末に渡来して仏教の規範を伝え、日本からは空海などの高僧が唐へ渡って仏教の教えを学び、豊かな仏教美術を日本にもたらしました。

国宝宝相華迦陵頻伽蒔絵そく冊子箱(ほうそうげかりょうびんがまきえそくさっしばこ)平安時代 延喜19年(919) 京都 仁和寺蔵[通期展示] ※「ぞく」の字が変換できませんが、リンクの京博のサイトをご確認下さい。

空海が唐で書写した経典を納める箱です。空海没後、醍醐天皇が散逸した写本を探し出して納める箱を作り東寺へ納めたものです。上半身が人間の姿で美しい声で囀る霊鳥の迦陵頻伽が28人も描かれ、その姿がすべて異なり、和風の顔立ちをしているらしい。単眼鏡でじっくり捜してみて下さい。

重要文化財《宝誌和尚立像》平安時代 11世紀 京都 西往寺蔵[通期展示]

お顔が割れて中から観音の姿が現れる人気のお像で、この姿は奈良時代に中国から伝わったと考えられ、展示の像は日本の現存作例としては唯一です。

 

Ⅲ 唐物―中国への憧れ

鎌倉時代になると禅宗や喫茶も伝えられ、それと共に中国からの文物つまり「唐物」を賞玩するようになります。室町時代になると足利将軍家では、同朋衆とよばれる唐物目利きもおそばにつき『君台観左右帳記』を編纂して唐物の評価を定め、将軍家の唐物は東山御物として後の世にも珍重されていきました。

《帰去来辞書画巻》中国・南宋時代 13世紀 米国 ボストン美術館蔵[通期展示]

必見作品です。岡倉覚三(天心)旧蔵品で、ボストン美術館で中国・日本美術部長を務めた天心の没後1920年遺品の中から買い上げられてボストン美術館コレクションとなった中の1点です。国宝華厳宗祖師絵伝 義湘絵 巻第二》鎌倉時代 13世紀 京都 高山寺蔵[通期展示 巻替あり]新羅の華厳僧義湘の事績を描いた絵巻で、上記《帰去来辞書画巻》の構図を引用して描いており、当時の最新の大陸絵画の情報を反映して制作されていたことが分かります。

昨春京博で開催された『特別展 雪舟伝説―「画聖(カリスマ)」の誕生―』や2022年の『特別展 京(みやこ)に生きる文化 茶の湯』を思い出す作品も多いのがここの展示です。

 

トピック 誤解 改造 MOTTAINAI

憧れの舶来品を模倣する際には、誤解や改造が生じます。そのような作品を紹介しています。神社の社殿にセットである阿吽の狛犬、角がある狛犬と角がない師子の組み合わせは実は日本独特のものだそうです。それぞれ異なった姿の師子と狛犬が、左右対称の師子の姿で表され、狛犬の角だけが残りました。

静嘉堂文庫美術館所蔵の《唐物茄子茶入 付藻茄子》と《唐物茄子茶入 松本茄子(紹鷗茄子)》が前後期で展示されます。大坂夏の陣で被災したものの、破片を見つけ出して塗師の藤重親子が完璧に修復し、徳川家康から拝領した茶入です。

 

第2部 世界と出会う、日本の美術

Ⅰ 地球規模の荒波

大航海時代西洋人は日本にまでたどり着きました。南蛮人がもたらす文物は珍しく、南蛮船はお宝を運んでくる宝船でした。

重要文化財鳥獣文様綴織陣羽織仕立て:桃山時代 16世紀 京都 高台寺蔵[4/19~5/11]

豊臣秀吉所用の陣羽織で、サファーヴィー朝ペルシアの宮廷で織られた絨毯を陣羽織に仕立て替えたもの。派手好きの秀吉が意気揚々と着用していたのでしょうか。

文物と一緒に日本へ入ってきたのがキリスト教です。蒔絵による礼拝用具や十字架文のある瓦や墓碑など。日本で作られた美しい螺鈿の洋櫃や書箪笥などはオランダの東インド会社を通じてヨーロッパへもたらされました。

 

Ⅱ グローバル時代のローカル製品

17世紀から18世紀へと貿易はさらに広がっていきます。各地の生産地が各地特有の素材や技法で類似品が作られました。展示された3つの椅子を見比べてみて下さいね。

オランダ東インド会社から大量の注文を受け西洋で好まれるように作られた肥前磁器が輸出され、ヨーロッパの王侯貴族の宮殿の「磁器の間」などに伊万里焼が飾られました。

楼閣山水蒔絵水注江戸時代 18世紀 京都国立博物館蔵[通期展示]

本展で1番推しの作品です。イスラム圏の金属や磁器製の水注を中国の磁器で写し、さらに日本の木工で写した輸出用の蓋付水注です。木工による繊細な造形と精緻な蒔絵、優美な曲線の細い把手と注ぎ口に可憐な花と蝶を描き、何処からどう眺めても美しい。本品とよく似た一対をマリー・アントワネットも所持していたという(蓋なし、ルーブル美術館蔵)マリー・アントワネットの前所有者はポンパドゥール侯爵夫人。ブルボン王朝に代々伝わったものなのでしょうか。

異国からもたらされたキセルやカルタなどを漆器の意匠に取り入れたり、更紗など舶来の染織品を着物に仕立てたりと豊かな発想がモダンな作品を作り出しました。

 

Ⅲ 技術移植と知的好奇心

歴史上の様々な要因で人は時として移動を余儀なくされ、異文化間の技術の移植を果たすこともありました。豊臣秀吉による朝鮮出兵で朝鮮半島から連行された陶工から作陶技術が西日本に根付くことになりました。

《二十四孝図巻》土佐光祐ほか筆 江戸時代 18世紀 [通期展示]

土佐光祐ほか24人の日本人画家の絵に朝鮮通信使随員が序文等を寄せた合作で、江戸時代における日朝の文化交流を伝える初公開作品です。儒教と漢字文化圏ならではの合作です。

西洋の文化や学問を志向する日本人と出島のオランダ商館の交流も当然ありえたでしょう。


《十八羅漢坐像のうち羅怙羅尊者像》范道生作 江戸時代 寛文4年(1664) 京都・萬福寺蔵[通期展示]

Ⅳ 新・中国への憧れ

明末清初の動乱期に多くの中国人が日本へもやって来ました。隠元隆琦もその一人で京都の宇治に黄檗山萬福寺を開き、新たな禅宗は日本の仏教界に大きな転機となりました。明朝体やインゲン豆、原稿用紙、そして煎茶ももたらしました。

《十八羅漢坐像のうち羅怙羅尊者像》は、唯一のフォトスポットです。范道生は、隠元禅師に招かれて萬福寺で仏像を制作し、京都の仏師もその造仏の手伝いをしました。范道生の作風は同時代の日本人仏師に影響を与え、黄檗様と呼ばれる新しい様式が生み出されました。煎茶や文人趣味に基づく詩書画などの中国趣味が流行し、近代数寄者なども傾倒し、昭和の戦前期まで続きました。

《唐子蒔絵象嵌絵具箱》徳川家基用 江戸時代 18世紀 京都 霊鑑寺蔵

将軍家お世継ぎの豪華な子ども用のお絵かきセット、絵具皿は舶来の煎茶の磁器盃です。

 

エピローグ 異文化を越えるのは、誰?

を考えるヒントが必見の

《吉備大臣入唐絵巻 巻第四》平安時代 12世紀 ボストン美術館蔵[通期展示]

優れた美術は異文化の壁を易々と越えて世界共通の言語となる。文化や教育がないがしろにされるなら国は衰退することになるでしょう。

画像展示《李訓墓誌》吉備真備筆 中国・唐時代 8世紀 中国 深州望野博物館蔵

唐代に外国使節の応接・対応を司る「鴻臚寺」の官僚であった李訓の墓誌で、これを書いたのが吉備真備です。唐に留学し、唐人と友好関係を持ち、日々研鑽を積んでいた真備の姿が浮かんできます。

 

特別展や常設展示でこれまでお目にかかってきた品々も多くありましたが、明治期の万博参加を基点として日本美術を異文化交流という視点を頭においてたどることで新たな面も知ることができたように思います。展覧会担当者が漆器のご専門ということもあってか、本展では漆器に惹かれるものが多かったです。

平日のお昼時に出かけてきました。入館者は途切れないものの混んではいませんでした。唯一北斎の代表作《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》《富嶽三十六景 凱風快晴》《富嶽三十六景 山下白雨》(前期は山口県立萩美術館・浦上記念館蔵、後期は和泉市久保惣記念美術館所蔵品を展示)の所が滞っていましたが、それでも直ぐにストレスなく見る事ができました。思った以上に外国人観光客らしき方が多く、日本美術に関心がある観光客なら大歓迎。メインヴィジュアルの北斎《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》と雷神様はインパクトありで、まさに「出会いは、海を越える」です。お庭の躑躅が咲き始めていました。気持ちの良い季節にお庭も散策して京博で過ごすのはいかがでしょうか。

何故か今回は「すみっコぐらし」とコラボです。




【開催概要】大阪・関西万博開催記念 特別展「日本、美のるつぼ―異文化交流の軌跡―」

  • 会期:2025年4月19日(土)~2025年6月15日(日)
  • [主な展示替]前期展示:4月19日(土)~5月18日(日)/後期展示:5月20日(火)~6月15日(日)
  • ※会期中、一部の作品は上記以外にも展示替あり。
  • 会場:京都国立博物館 平成知新館
  • 時間:9:00~17:30 金曜日は20:00まで (最終入場は各閉館30分前まで)
  • 休館日:月曜日 ※ただし5月5日(月・祝)は開館、5月7日(水)休館
  • 観覧料:一般 2,000円(1,800円)/大学生 1,200円(1,000円)/高校生 700円(500円)※( )内は20名以上の団体料金 中学生以下、障害者とその介護者1名は無料です(要証明) ※大学生・高校生の方は学生証を要提示 ※キャンパスメンバーズ(教職員を含む)は学生証または教職員証を提示で、各種当日料金より500円引きとなります(当日南門チケット売場のみの販売、他の割引との併用はできません) 3館で相互割引あり!詳しくは⇒
  • TEL:075-525-2473(テレホンサービス)
  • URL:https://rutsubo2025.jp/

 

参考:【予習編】特別展 日本、美のるつぼ―異文化交流の軌跡―【前編】

     【予習編】特別展 日本、美のるつぼ―異文化交流の軌跡―【後編】

     とらリンの虎ブログ『大阪・関西万博開催記念 特別展「日本、美のるつぼ―異文化交流の軌跡―」を見に行くリン♪ Part 1』



プロフィール

morinousagisan
阪神間在住。京都奈良辺りまで平日に出かけています。美術はまるで素人ですが、美術館へ出かけるのが大好きです。出かけた展覧会を出来るだけレポートしたいと思っております。
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