吉田博の描いた戦争画
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- by morinousagisan
吉田博は、明治から昭和にかけて活躍した風景画家として紹介され、美しい木版画が有名です。
故ダイアナ妃も吉田の作品を愛し、執務室にその作品を飾っておられた。
おりしも現在「没後70年 吉田博展」が全国巡回中です。
公式サイト(https://yoshida-exhn.jp/venue/)をのぞいてみると、やはり版画が中心となった展覧会のようです。
兵庫県立美術館の常設展示室で「吉田博 播磨造船所 絵画群」という小企画展を観てきました。(~12月27日(日)まで)
吉田博(1876-1950)が太平洋戦争中に描いた戦争画です。
「戦争画」と言えば、勇ましい戦争最前線の作品などを思い浮かべるのですが、展示されているのは「銃後の守り」兵庫の相生にある播磨造船所とその周辺で建造作業に従事する動員勤労学徒の姿を描いた油彩画とその下絵です。
展示室の「ごあいさつ」によれば(抜粋)
「吉田は、1943(昭和18)年に同造船所を訪れ、造船作業を取材して描いた《油槽船建造》と《鉸鋲百万》を生産美術展に出品し、その翌年、政府の学徒勤労動員の要綱に基づき、播磨造船所にも学生・生徒が多数動員されると、造船所の各所で働く彼らの姿を記録しました。」とあり、吉田が何故播磨造船所に赴いたかは詳しく語られていませんが、同時代の画家たちと同様に戦争記録画を描くように命令を受けて赴いたのではないでしょうか。
描かれている動員勤労学徒は、今で言えば高校へ入ったばかりの年代でしょうか。多分、もう物資にも事欠き始め、建造作業の資材も十分でなかったかもしれませんし、建造作業への指導も十分とは言えなかったかもしれません。多感な時期をここで過ごした記録でもあるように思います。
沢山の綿密なスケッチをもとに出来上がった作品には、悲壮感はなく、黙々と作業に従事する学徒たちの姿をこの時代の記録として私たちに伝えています。
吉田は描いた作品を播磨造船所と学徒を送り出した学校へ寄贈しており、播磨造船所の後身であるJMUアムテックとIHI相生事業所と学校に約20点が保管されていることが近年明らかになり、JMUアムテックとIHI相生事業所に保管されていた作品が兵庫県立美術館に寄託されたため、そのお披露目の展覧会となっています。
美しい木版画で近年注目の吉田博の戦争時の創作にも目を向ける企画展となっています。
「11月21日(土)~11月23日(月・祝)は、コレクション展無料!」
撮影OK!
◆兵庫県立美術館>吉田博 播磨造船所 絵画群:
https://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/j_2010/yoshida.html