「一点の卑俗なし」松園の理想が課した美人画の縛り

10月18日 福田美術館で開催されている「上村松園と美人画の軌跡」展に行ってきました。
リンクページ(上村松園と美人画の軌跡 | 福田美術館 | 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ)
(開催期間:10/11 ~ 1/18)
撮影一部NG、上村松園作品はOK
展示作品は【 】で示します。
《はじめに》
上村松園の絵は、おそらく何度か見ているはずです。しかし、日本画が苦手だという食わず嫌いから、集中して鑑賞することはありませんでした。この2か月、美術鑑賞に改めて本格的に取り組んだところ、日本画にも向き合おうという意欲が湧いてきました。そのような心境の中で、福田美術館で開催されている上村松園の展覧会に伺うことになったのです。とはいえ、直接のきっかけは、先行のブログを見たからですが。
なお、現地でのアドバイスとしては、ご自身のスマートフォンで利用できる無料の音声ガイドがありますので、イヤホンの持参をお勧めします。
(余談:今回のポストカードは【四季婦女】にしました)
《予習と方針》
上村松園の絵に対する考え方を学ぶため、彼女の随筆である「青眉抄」を編纂した「棲霞軒雑記」を拝読しました。(「青眉抄」の原本は国立国会図書館デジタルコレクションに収蔵されています。)その中の記述で、
・ 「女性は美しければよい、という気持ちで描いたことは一度もない。」
・ 「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵こそ私の念願」
・ 「その絵を見ていると、邪念を起こらない、またよこしまな心を持っている人でも、その絵に感化されて邪念が清められる・・・といった絵こそ私の願うところ」
という3点がポイントになるかなと理解しました。この考え方に基づいて、5点の作品について感想を述べたいと思います。さらに、松園以外にも18人の日本画作家の作品が展示されていましたので、それらとの対比も試みたいと思います。

《作品の感想》
【1 浴後美人図】
さすがに遠慮がありましたので、下の方はトリミングしました。風呂上がりの女性は素肌や色気があらわになりますが、「卑俗なもの」になっていないですし、「邪念が清められる」絵ではないでしょうか。ものすごく大胆な試みだと思いますが、ある意味、松園の理想を最も生活に近い場面で実現した作品のように思いました。
比較する作品としては、第2展示室に伊東深水の【夕化粧】(撮影NG)がありました。上半身をあらわにし、白粉を塗っていく姿を描いたものでした。深水が柔らかな線と艶めかしい色彩で外的な魅力や色香を強調していたのに対し、松園のような抑制された表現や内面の強さとの違いはやはり明確でした。

【2 人生の花:左】
うつむきつつ微笑むその顔には、新しい人生への不安と期待、緊張感が入り混じった複雑な感情が見えました。単眼鏡で見ると、わずかに顔がこわばっているようにも見えました。この視線の先には何が見えているのだろう、鏡でしょうか?それとも見せたい人でしょうか?また、花嫁衣裳といえば「白無垢」のイメージが強かったのですが、当時の明治時代の新しい風俗である黒引き振袖を取り入れているところは、流行のアンテナをかなり張っていたように思いました。ちなみに、細見美術館で櫛・簪・笄(こうがい)をしっかり見てきたので、髪飾りはとてもイメージしやすかったです。この絵は、『ただ、美しいだけではなく、清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵』であると思います。
同じような黒色の着物を描いた作品には、大林千萬樹の【美人図】(右)が比較対象になります。同じようにおとなしめな雰囲気を出しつつも、千萬樹の手ぬぐいを咥える仕草は、より直接的な色っぽさを出していますね。

【3 静御前】
静御前は源義経の愛妾であり、歴史上悲劇のヒロインとして認識していました。この絵は、静御前が、囚われの身でありながら、鶴岡八幡宮で源頼朝の前で義経を慕う歌舞を披露した時のものです。ただ美しいだけではなく、その内面に秘められた精神性がよく伝わってきます。なにせ、目が非常に強気です!下手をすれば挑発までしているようにも見えました。また、今でいえば男装の麗人にあたりますので、女性の絵のような「柔らかな姿勢」が抑えられ、男性の絵のような「見栄を切るようなキメ姿勢」を強めにしているように見えました。
さらに、絵の右上に広がった空間(余白)を作ることで、姿がより際立ち、彼女の孤高さを強調できていると感じました。一言でいえば、「かっこいい」ですよね。わかりやすい比較対象としては、伊東深水の【海風】(撮影NG)があり、見たイメージはそのまんま、さっぽろ羊ヶ丘展望台のクラーク博士の姿でした。かっこよさは確かに表現されていましたが、100%意思が外に出ている絵でしたので、違いはわかりやすかったです。

【4 雨を聴く:左】
空間(余白)を存分に使った静寂な空間の中で、雨音に耳を傾ける瞬間を切り取っています。やはり、日本画の空間(余白)の使い方は、想像力を掻き立ててくれるようです。雨音を聴く情景から私は、小林麻美さんの「雨音はショパンの調べ」を思い起こしましたが、この絵からは恋の気配は皆無でした。それほど、「無」のイメージでした。女性一人の孤高さと、姿勢の美しさには品格を感じられますし、雨の日でも崩れない日本髪の美しさは、女性の丁寧な性分が見えるようです。まさに、「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵」といえますね。
空間を見せるという点で、比較になるのは岡本神草の【追羽根】(右)でしょうか。いつでもお座敷に出られそうな姿の遊女が無邪気に羽子板で遊ぶ様子を描いたものです。意外と目が真剣になっているところが面白いですが、やはり、内面を表す松園の絵とは違いがわかりますね。

【5 初雪】
初雪という季節が進んだ雰囲気を描いています。足元を見ると、雪がいきなり積もっています。影だけで表す積雪は洋画とは異なって静寂さを表現できますね。女性の顔は、どこかうれしそうに見えますね。ヴァージンスノーに足跡を残すときって、私もこんな顔をするかもしれません。本当に気持ちが伝わってきます。はらはら降る雪が立体的に見えました。
比較するとしたら、鏑木清方の【牡丹雪】(撮影NG)ですね。余白にひとひらだけ舞う牡丹雪、秋の着物を着た女性が牡丹雪を見ながら手をこすり合わせる様子を描いています。感情が顔に、手に、足にわかりやすく表れていました。
《まとめ》
後期も見たくなってしまいましたが、今後も毎週末予定が詰まっているので難しいかもしれません。今回は、多少予習をしたおかげで、テーマをもって作品に臨むことができました。「松園はこういう絵だ」という先入観を持っていたので、多少矯正できたかなと思います。少しでも、日本画に対する理解が深まっていたら嬉しいです。
