逸翁美術館の、推される作品集めました

11月15日 逸翁美術館で開催されている「あの作品に会いたい! ~推しの作品、紹介します~」に行ってきました。
撮影NG
記念講演「美意識の下克上 -桃山文化」を聴講
ショップではポストカードセットAを購入
阪急池田駅から徒歩約10分、ラスト3分ほどはなかなかの坂道を登り、逸翁美術館に到着しました。美術館の名前「逸翁」とは、阪急東宝グループの創始者で、宝塚歌劇団のイベントでは必ず名前が出てくる小林一三氏の雅号で、田中角栄氏以前に「今太閤」と呼ばれていた出来人です。茶人であり、美術蒐集家でもあった小林氏は古筆、古経、絵巻、中近世の絵画(特に蕪村・呉春・円山四条派の作)、日本・中国・朝鮮・オリエント・西洋を含む陶磁器、日本・中国の漆芸品と幅広く集めていたようです。今回は、その中で「おなじみ」「引く手あまた」な作品をまとめた初心者にはありがたい展示会でした。
ここから、作品の紹介にあたり、画像の表示が可能なものについては、リンクが貼ってあります。
なお、リンク元については、リンクフリーの表記が確認できたサイトのみを利用しています。
(リンク元:逸翁美術館・東京文化財研究所・文化遺産オンライン)
《 1 本やメディアで見る推し作品 》
基本的に、私たちが美術品を鑑賞する手段としては、展覧会以外となると、書籍やネットも含めたメディアになります。ある意味、安全に間近で見るならば、こちらの方が有利でもあり、その美術品の存在を知るきっかけとして、重要な手段になります。このエリアではそんな本やメディアで「見たことある!」な作品が集められていました。
まず、入り口からいきなりお出迎えしてくれたのが、 狩野光信筆【豊臣秀吉画像(重要文化財)】です。リンクの絵を見ていただくと、バストアップ部分だけ四角で囲まれています。これは「紙形」と呼ぶ別紙を貼り、その部分だけに彩色を施した、下書きの一歩前の画稿にあたります。この四角の中の紙形を何枚も描きなおし、一番しっくりくるものを選ぶという仕組みです。芸能界で例えると、ロバート秋山さんの梅宮辰夫さんの顔ネタみたいな感じです。 余談ですが、これを基に描かれた本稿は高台寺や宇和島の伊達文化保存会に収められています。下絵なのに何故重要文化財?この画稿が重要文化財に認定された大きな理由の一つが、下の方にある書き込みです。ここには、首を右に傾けると「これがよくに申よしきいにて候」と書かれており、この下絵が一番似ていますよとお墨付きを与えたものでした。ここで言う「きい」は「貴意」であり、誰かが光信にお墨付きを与えたのでしょう。さて、さすがに秀吉自ら似ているとは言わないでしょうから(言わないよね?)、伝えたのは、ねねさんですかね、石田三成ですかね、浅野長政ですかね?誰の意見かでストーリーが展開しそうで面白いです。
同じケースの流れに、森狙仙(そせん)の【雪中燈籠猿図】が展示されていました。以前、京博の「宋元仏画」展では、牧谿や長谷川等伯はテナガザルをモチーフとしていましたが、こちらは普通に?ニホンザルでちょっとホッとしました。気づいたら結構時間が経過するくらい見入ってしまうくらい気に入ってしまいました。柔らかい表現で描かれたためか、灯篭の中に仲良く入っている母子猿が微笑ましく、後ろにいる父らしき猿が優しい目で眺めているのもまた良かった(箕面の猿はあんなに凶暴なのに(泣))。森狙仙の他の作品を調べてみましたが、猿が多いこと多いこと。最初は猿を生け捕りにして観察していたそうですが、本来の姿が掛けていないと指摘されたことから山の中で数年観察した強者でした。若冲の鶏といい、狙仙といい江戸時代の絵師って素材への突っ込み方が強すぎる気がします。
巻物を収めるケースには、与謝蕪村【奥の細道画巻(重要文化財)】の一部が展示されていました。 リンクにも貼っていますが、逸翁美術館では、デジ絵巻という企画が組まれており、奥の細道画巻の第1巻、第2巻が丸ごと見ることができます。ただし、見られるなら、スマホよりもPCの方が扱いやすいと思います。与謝蕪村は松尾芭蕉が大好きだったみたいで、芭蕉の足跡をたどり東北まで旅してしまうガチ勢だったようです。今でいえば、聖地巡礼に相当するでしょうか。第2巻巻末には、弟子である呉春の極書(きわめがき:今でいう真正の鑑定書)が表記されていますが、呉春は後に四条派を確立した大家で、師の画業と作風を熟知していたため、蕪村の作品の真贋を最も的確に判断できる人物だったのでしょう。さて、現物の画巻ですが、蕪村は絵も字も癖が強い!まず、絵は宋元仏画でもでてきた減筆法がいかんなく発揮され、少ない筆数でキャラクターがとても分かりやすく表現されていました。先ほどの狙仙の精緻な絵とは真反対で、比較するのがとても面白い。また以前、泉屋博古館、鹿子木孟郎展のレポートにも書きましたが、馬のデザインは本当に難しいというイメージがありました。ところが、蕪村は本当に少ない筆数で見事に馬を描き上げていました。字についても、近くに展示されている小野道風や藤原公任が書いたとされる書と比べて濃淡の淡が極端に少なく、勘亭流か?と思わせるくらいでした。とはいえ、はっきり書かれているため、崩し字の勉強にはもってこいと思われます。第一巻冒頭から第二巻巻末まで元気よく書き上げました感があふれており、私も楽しく読めました。
《 2 他館に推される、イチ推し作品 》
博物館、美術館はさまざまな企画展や特別展を開催しますが、当然テーマや会場のレイアウト上展示できない作品が多くあります。そんな時のために、学芸員さんを通じて作品の貸し借りが頻繁に行われています。また下手な例えだが、プロサッカー選手が出場機会を求めてレンタル移籍するような感じです。
次のエリアには他館から求められて、展覧会に出張した作品が集められていました。
奥の細道画巻の奥に一際大きな六曲の屏風【三十三間堂通矢図屏風 (重要文化財)】が展示されていました。今でも冬の風物詩である通し矢は桃山時代でも庶民に人気だったようです。皆、気ままに見学しており、野点を行っている人もいれば、相撲をとっている子どももいれば、出前まであり、まさに現代の地域イベントと何ら変わらない風景が広がっていました。さらに、お堂の右上には南大門(1600年築)が描かれていることから、西から見た絵とわかります。また、その付近では枝垂れ桜の花見の宴会をやっていることから、現代の通し矢より少し後の時期のイベントなのでしょう。
ただおかしなところが一点あり、当時も南から北に向けて矢を放っていたのに、絵では北から南に向けて放っています。こちらの学芸員さんが言うには、「通常ならば射手の背中しか見えないからワザと反対にしたのではないか?」とのことでした。華やかさ、カッコ良さを際立たせるなら確かにアリです。
今展では蕪村作品はさらに【闇夜漁舟図】と【花見句画賛】も隣同士で展示されていました。
闇夜漁舟図は夜の川漁に出かけた二人の様子を描いたものです。闇夜でのかがり火を墨の塗り残しで表現する手法が天才的でした。さらに、気付きにくかったですが、家から漏れ出す光も放射状になるように墨を塗り残すのは、単に減筆するのではなく、しっかり計算したうえで描かれていることが理解できます。
それに比べて、花見句画賛の緩さといったら、隣同士の落差が笑ってしまうくらい極端でした。この人物のモデルは、近松門左衛門の浄瑠璃「傾城反魂香」に登場する、絵師の浮世又平なのですが、実際の物語とは真逆のだらしない酔っ払い姿で描いた蕪村の解釈は面白いと思いました。この作品は蕪村が大成させた「俳画」であり、ここに書かれた俳句は「又平に逢ふや御室の花さかり」で浮かれた雰囲気が句にも絵にもあらわされていました。
通し矢屏風の隣には【秋草蒔絵螺鈿聖餅箱】(参考 東博収蔵版)が展示されていました。これは蓋の上にイエス・キリストを表す「IHS」(Iesus Hominum Salvator)の文字が螺鈿で作られ、その周りを鋸歯文で飾られたパンを入れる容器です。南蛮の宣教師が聖餐式に用いる聖餅箱として制作依頼されたもので、大きさは、茶筒の直径を1.5倍した程度でした。欧米の依頼で製作された螺鈿細工は九州国立博物館で鑑賞したフリーメイソン螺鈿箱のイメージが強く、こんな地元に近いところにも似たようなコンセプトの作品があるとは思いませんでした。
エリア最後付近に、鏑木清方の【八幡鐘図】が展示されていました。八幡鐘は富岡八幡宮の鐘楼のことで、明け方に鳴らされる鐘が遊女と客との別れの時でした。福田美術館の上村松園展でのレポートにも書きましたが、この作品も松園のものとは違い、艶っぽさが全面に出た美人画です。少し開けた襟元から覗く襦袢にうなじ。柔らかい表情の中の少し淋しげな視線。たおやかな腰つき。こんな様子を見た客は後ろ髪引かれたことでしょう。清方は八幡鐘図を何枚も描いており、実際ネットで画像を検索すると異なるモチーフの絵が何点もヒットします。どれだけこの鐘の音に翻弄された女性がいたのでしょうか。(以下蛇足:同時にどれだけの後ろ髪引かれた男性が、家族への言い訳を考えていたのだろう。また、それらを見せられるご近所さん、いろいろヤキモキするでしょうね)
一通り鑑賞してから、記念講演会を聴講。その後に講演会の内容を基にもう一回鑑賞しました。
この鑑賞パターンが最も頭の中を整理でき、自分の中の満足度が高いです。
今回の展覧会で特に気に入った作品を紹介させていただきましたが、まだまだ眺めていたい作品が多くありました。ブログを書くおかげで記憶に残せるのはいいですね。
