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伊藤若冲の足跡を訪ねて大阪・京都へ

西福寺の本堂とパンフレット

11月3日 伊藤若冲の足跡を訪ねて大阪・京都のはしご旅 

《はじめに》 

本日は紀行文風に話を進めます。 

ある日のART BLOGのことでした。(リンク) 

こちらでよく記事を出されている morinousagisanさんから、興味深い情報をいただきました。曰く、 

「毎年11月3日一日だけ特別に公開される大阪豊中の「西福寺」さんでも若冲の代表作を拝見できる」 

「天明の大火の後若冲が終の棲家としてその門前に住まった石峰寺へお出かけになっては」 

・・・ほほぅ。 

このコメントいただいたその日にgoogleカレンダーに予定を書き込み、今日を楽しみにしていました。 



西福寺の山門(こちらは出口です)

《第1章 襖絵訪ねて豊中へ》 

10時開門ですが、8時30分には現地の西福寺駐車場(西門)に到着していました。ちなみに、google mapで西福寺の終点を示す山門は実は出口なので要注意です。私も人のことは全く言えませんが、すでに10名ほど並んでいました。9時30分ごろ、にわか雨がありましたが、行列の念が効いたのか20分ほどで雨は上がり、無事に第一陣で入場することができました。 

本堂に入り、正面にはご本尊、その左右に【仙人掌群鶏図】が3面ずつ配されていました。また、ご本尊に向かって右側に【野晒図】、左側に【山水図】が掛けられ、左壁に【蓮池図】が置かれていました。若冲に囲まれたなんて贅沢な空間なのでしょう。作画の背景などを書きだすと長くなってしまいますので、4作品の感想を上げさせていただきます。 

 

なお、作品につけたリンクについては、仙人掌群鶏図と修理前の蓮池図は「ウィキペディア」から、野晒図と修理前の山水図は「文化遺産オンライン」から、山水図と蓮池図の修理後は「TSUMUGU JAPAN ART & CULTURE」からそれぞれ張らせていただきました。(いずれもリンクフリーなサイト) 

 

仙人掌群鶏図・・・<作品画像>やはり若冲の雄鶏の迫力は桁が違う。羽が生き生きしているので動きが見えるようで、画像で見た以上に黒が深かったです。左側は蓮池図とかぶり、少し暗く見づらかったですが、親鳥の迫力と対比するかのようなデフォルメしたヒヨコが可愛いかった。作品名にあるサボテンは左右の端に描かれていましたが、これは本物を見て描いたというわけではなさそうな気がします。しかし、どうやってサボテンの情報なんて、手に入れたのでしょうね。一説では西福寺の檀家総代みたいな立場の吉野五運から見せてもらったとも言われていますが、蓮や鶏の写実性からはかけ離れていますよね。なんとなくイメージにガジュマルが混ざっているような感じがしました。 

野晒図・・・<作品画像>絵の部分は紙面の三分の一ほど。残り三分の二の余白が様々なストーリーを語っているようで何も無いものとは思いませんでした。髑髏の絵もよくつかわれている素材だけど、墨でまばらに描かれた草がまさに野晒感が満載で、冷たい風が吹いている気配を感じました。 賛文については、パンフレットに書き下し文と現代語訳が表記されていました。素人目には賛文なしでもよさそうな気もしましたが、書画一致の理念から、賛文はあって当然どころか無いと絵が完成しないようですね。・・・ん?では、同じ掛軸の山水図に賛文がないのは何故だろう?

山水図・・・<修復前><修復後>修復から戻って初公開ですね。水墨画の遠景は減筆したかのように少ない要素で海の広さを感じました。遠景に見える島または半島が霞んだ感じで、春の海の印象を持ちました。下の木の葉のような舟のおかげで、断崖絶壁までの遠近感が凄く出ていました。何か、門が見えますけど、変わった形しているなあと思いました。(第2章への伏線) あと、修復の前後では、断崖の下に広がる平地に見える折れ跡が一番差がわかるかなと思います。

蓮池図・・・<修復前><修復後>右に若々しい蓮の花、左に枯れた様子の対比がわかりやすい。ここもまた、余白が静かな水面を語っているようでした。昨年修理が終わったおかげが薄墨なのにコントラストが高く見えました。もともと、仙人掌群鶏図が描かれた襖の裏側に描かれていたものを掛軸にコンバートしたものだから、傷み方も襖と掛軸を組合せた複雑なものだったのでしょう。京博の関係者方には感謝しきれませんね。 



山水図のアレ?

《第2章 五百羅漢訪ねて伏見へ≫ 

朝から若冲を堪能した私は、その足で京都府伏見に向かいました。あの、人の洪水を鑑賞する伏見稲荷からほんの少し南に下ったところに伊藤若冲ゆかりの寺である石峰寺があります。1788年の天明の大火で焼け出されてしまった若冲がここ石峰寺の古庵に居を移したもので、米一斗と絵を交換する生活を送っていたそうです。件の五百羅漢は若冲が下絵を描いて、石工が彫ったものです。五百羅漢は撮影・スケッチ禁止でした。くぅ〜、スケッチもダメかあ(泣)。さて、気を取り直して山門をくぐろうとしたとき、はたと気づきました。あれ?「この門」、ひょっとして「山水図のアレ」か?(第1章の伏線回収)そうか、黄檗宗独特の門だったのか。 



五百羅漢のエリア地図

本堂横から、獣道のような通路を通り、再び、門をくぐる。さらに山道に入ったところで右に曲がると、そこはお釈迦様の天上天下唯我独尊を表した像と菩薩様が出迎えてくれた、「誕生仏」のエリアでした。そこから、細い山道を進むごとに「出山の釈迦」→「十六羅漢」→「托鉢修行」→「涅槃場」→「賽の河原」と立札があり、ブッダの生涯をたどる縁起絵巻のようでした。もっと正直な感想としては、山城の籠城戦に突っ込んでいく気分になりました。何せ、小高いところから五百体以上の石仏がこっちを見ているんですよ、竹林という薄暗い環境でこれはちょっと怖いと感じました。さらに涅槃場の前で周囲を見回すと360度羅漢さんに囲まれ注目を浴びているようでした。しかも、ここでまた雨が振り始めるは、たくさんのどんぐりが転がっていることから、クマが出ないか心配になるは、結構ナーバスになっていた気がします。それはさておき、出山の釈迦エリアは、先日京都国立博物館で鑑賞した梁楷の絵を彷彿とするようでした。さらに、涅槃場と谷道を挟んだ山の上に優しい顔をした女性らしき像が1体ありました。これは摩耶夫人かな?若冲さんのデザインと石工さんとのタッグは素晴らしいものでした。 素晴らしすぎて、怖いというか畏敬の気持ちが強かったと思います。



プロフィール

ぷーなが
令和7年9月からレポートを書き始めた、技術、美術史、人物などちゃんと勉強していないド素人です。今は鑑賞の機会を増やし、見る目を鍛えたいと思います。
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