早春に臨済宗妙心寺派大本山、妙心寺に受け継がれた禅の系譜をたどる 特別展「妙心寺 禅の継承」@大阪市立美術館
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- by morinousagisan

本展は、令和8年(2026)に妙心寺第二世 授翁宗弼禅師(じゅおうそうひつぜんじ)こと 興祖微妙大師(こうそみみょうだいし 1296~1380)の650年遠諱(おんき)を迎えることを記念して開催される特別展です。
妙心寺は、花園法皇(1297-1348)の発願により、建武4年(1337) 関山慧玄(かんざんえげん、無相大師、1277-1360)を開山として花園法皇の離宮を禅寺として創まった寺院です。幕府の統制下にあった所謂「五山・十刹」(五山派)ではなく、朝廷や地方大名の帰依を受けた「山隣派」の寺院として発展し、大徳寺とともに独自の修業を重んじた「林下」です。現在、大本山妙心寺は約10万坪の敷地があり、塔頭の多さも日本一で、臨済宗妙心寺派には日本全国に約3400カ所の寺院があります。
音声ガイドのナビゲーターは歌舞伎俳優の中村隼人さん、解説ナレーターは声優の坂本真綾さんが、いいお声でご案内くださいます。詳しくは⇒◆
本展は前後期で展示替えもありますので、作品リスト⇒◆ をご確認の上お出かけください。
大阪市立美術館は、リニューアル後、照明も含め展示がさらに良くなり、作品ごとのキャプション横の解説が丁寧で分かりやすい。大阪市立美術館広報大使「羽人」による解説も私はお気に入りです。

開山忌の大方丈を荘厳する設えを展示
妙心寺開山・関山慧玄の忌日の法要である「開山忌」が毎年12月12日に妙心寺で営まれています。普段は狩野探幽筆「山水図襖」の間となっている大方丈南側三室ですが、江戸時代の開山忌にはがらりと趣を変え、狩野山楽や海北友松による大型の屏風「妙心寺屏風」が建て廻される金碧の豪華絢爛な荘厳空間となっていたことが判明しました。最初の展示室では、狩野山楽と海北友松の「妙心寺屏風」を展示しています。
左壁面展示の狩野山楽筆 重要文化財《龍虎図屏風》と海北友松筆 重要文化財《花卉図屏風》は、撮影可でした。
開山忌の大方丈の設えを図解パネルでも解説されています。桃山時代の巨匠である海北友松と京狩野の狩野山楽による、所謂「妙心寺屏風」は、画面のサイズが176センチを超え、標準の本間屏風と比べて25センチも大きな画面に描かれています。屏風全体の大きさは縦が2m近くあり、横は一双を並べると7mを超えます。大方丈の長押から床面までの高さが195センチあり、「妙心寺屏風」はこの高さに揃えて仕立てられており、つまり開山忌に「妙心寺屏風」を大方丈南側東・北・西面の長押の下に屏風をジグザグに折り曲げることなくフラットな状態で押さえてたてられていたので、「妙心寺屏風」は、特大サイズとなったことが判明しました。
重要文化財《龍虎図屏風》狩野山楽筆 6曲1双 紙本金地著色 桃山時代(17世紀)京都・妙心寺 通期 第1会場
右隻の風と雨を巻き起こしながら天から舞い降りる龍とその龍を振り返り迎え撃つ左隻の虎が対峙して、虎の咆哮が展示室に響き渡っているような錯覚にとらわれるほどに迫力満点でした。

重要文化財《花卉図屏風》海北友松筆 6曲1双 紙本金地著色 桃山時代(17世紀)京都・妙心寺 通期 第1会場
画龍の名手として名を馳せた遅咲きの海北友松が、晩年に八条宮智仁親王をはじめ公家との関わりが深まり会得した感性で描いた雅で優美な金碧屏風にうっとりでした。この《花卉図屏風》は、友松の78歳後半から79歳に描かれたと考えられているそうです。牡丹の花弁1枚1枚、蕊1本1本も見逃したくないほどに行きつ戻りつして眺めていたい屏風でした。(写真を撮る方がおいでなのでそうも出来なかったのですが・・・)※海北友松については、葉室麟著『墨龍賦』もお薦めです。
右隻に「寒山拾得図」、左隻は酢を舐めて酸っぱーいと眉をひそめる「三酸図」を描いた 重要文化財《寒山拾得・三酸図屏風》海北友松筆は、後期展示です。
第1会場第2室には、開山忌に大方丈を荘厳した寺宝が紹介されています。
京都市指定文化財 《豊干・寒山拾得図衝立》長谷川等伯筆 1対 紙本墨画 桃山時代(17世紀)京都・妙心寺 通期 第1会場
開山忌に、大方丈南側三室の南側、入り口にあたるところに立てられた衝立です。
国宝《宗峰妙超墨蹟「関山」道号》1幅 紙本墨書 鎌倉時代 嘉暦4年(1329)京都・妙心寺 前期展示 第1会場
関山慧玄が師から授けられた道号の墨蹟は至宝中の至宝です。
妙心寺の歴史を知る
花園法皇の発願でできた禅寺「妙心寺」は、法皇の参禅の師である大徳寺開山の大燈国師(だいとうこくし、宗峰妙超 しゅうほうみょうちょう 1282-1337)の推挙により関山慧玄が開山となりました。本展の主人公ともいうべき微妙大師は後醍醐天皇の親政下の忠臣の一人である萬里小路藤房(までのこうじふじふさ)の後半生と伝わっています。関山慧玄の唯一の後継者として65歳で妙心寺第二世となって妙心寺の基盤を築きました。
授翁宗弼墨蹟 「少水魚有楽」1幅 紙本墨書 南北朝時代(14世紀)京都・天授院 通期 第1会場
妙心寺開山の関山慧玄と同様に二世の授翁宗弼の足跡も、明らかではなく、遺墨やゆかりの品も決して多くありません。そのような状況下で「是日已過」と共に伝わる授翁宗弼墨蹟です。「少水魚有楽」は、650年遠諱のテーマにもなっています。
室町時代には、守護大名大内義弘が起こした「応永の乱」(1399年)の余波を被り廃絶寸前となりました。永享4年(1432)には中興しますが、応仁の乱では灰燼に帰してしまいました。戦国時代には武将が帰依して多くの塔頭が造営されました。狩野派や長谷川派、海北派など桃山時代を代表する絵画が多く伝えられています。3歳で夭折した秀吉の子・棄丸の葬儀は妙心寺で営まれました。江戸時代に棄丸の菩提寺のあった智積院から妙心寺へ移された重要文化財《豊臣棄丸坐像》や重要文化財 豊臣棄丸所用の《小型武具》1揃(展示替えあり)など棄丸の小さな遺品は涙を誘います。
妙心寺だけでなく日本臨済宗中興の祖白隠慧鶴(1685-1768)は、江戸時代に登場した「500人に一人」と称せられた禅僧で、新しい時代に即した教育方法を体系化した改革者で、多くの書画や墨蹟を遺しました。ちょっと緩めの書画で民衆に仏の教えを伝えようとした僊厓義梵の詩画軸も紹介しています。

妙心寺山内に伝わる多様な寺宝の数々
重要文化財《瀟湘八景図屏風》伝相阿弥筆 6曲1双 紙本墨画 室町時代(16世紀)京都・妙心寺 通期 第2会場
お馴染みの瀟湘八景を六曲一双に描き込んだ屏風で、足利将軍家の同朋衆の一人である相阿弥筆と伝わりますが、その周辺で活躍した絵師とも考えられ「伝」となっています。漂う空気感と広い空間に点描される小さな人物像に目が惹かれました。
狩野派の二代目、狩野元信の作品も展示されています。元信は、「和漢の両分野において秀で、制作のレパートリーも屏風などの大画面から絵巻などの小画面に至るまで幅広く、元信率いる工房は多様な注文に応えて、多くのパトロンから支持された」と図録に説明されています。粉本主義の狩野派ならではでないでしょうか。
重要文化財《枯木猿猴図》長谷川等伯筆は、後期展示です。
重要文化財《銅鐘 IHS紋入》1口 銅製鋳造 桃山時代 天正5年(1577)京都・春光院 通期 第2会場
京都に南蛮寺が建てられた年「1577」を陽刻したイエズス会の紋章が入った銅鐘です。日本の梵鐘工房において作られたヨーロッパデザインの鐘と考えられるそうです。秀吉の伴天連追放令で南蛮寺は棄却されて、幕末に春光院もたらされました。日本のキリスト教史を考える上でも重要な鐘です。
大陸や朝鮮半島からもたらされた工芸品も展示されています。
《菊唐草文螺鈿玳瑁合子》1合 木製漆塗螺鈿・鼈甲 朝鮮・高麗時代(12~13世紀)京都・桂春院 通期 第2会場
高麗時代の螺鈿漆器で完成形として現存するのは世界的にも20数点しかなく、本作はその1作です。この合子の形は、日本では「州浜形」や「松葉形」と呼ばれ珍重されました。
大阪の妙心寺派の文化財調査結果
大阪府内には現在約50カ所の妙心寺派寺院があり、本展開催にあたり、11カ寺の文化財調査が実施され、その調査結果を踏まえて大阪の妙心寺派寺院に伝わる文化財を紹介しています。普段は非公開のために拝見することができない大阪の文化財をこの機会にぜひ見ておきたい。
本展は、大阪では初めて開催される「妙心寺展」です。大阪市立美術館と妙心寺のご縁は、約90年前の大阪市立美術館の開館時に遡ります。所蔵品がない状態で開館となった大阪市立美術館は、近隣の寺社や個人コレクターに寄託や出陳の依頼をしていました。妙心寺からは4件の国宝を含む24件の寄託を受けました。それ以来の長いご縁だそうです。

特別展示Ⅰ 天球院の襖絵 再現展示
「妙心寺屏風」と共に、本展の大きな見どころが天球院の襖絵の再現展示です。
妙心寺の塔頭の1つである天球院は、姫路城主池田輝政(1568-1636)の妹天球院(1568-1638)が自身の永代追善供養のため、寛永8年(1631)に建立されました。方丈の障壁画は、建物と共に創建当時のままに残っています。金地濃彩の豪華絢爛な障壁画群の一部、方丈南側の三室の重要文化財《朝顔図襖》《竹林猛虎図襖》《梅花遊禽図襖》が再現展示され、桃山時代を引き継ぐ江戸初期の豪奢で濃い京狩野の障壁画に囲まれた空間では座して眺めたかったです。150面ほどもある障壁画には、落款がなく、筆者を示す史料もなく、寺伝によれば狩野山楽を筆者としています。細部描法の技法や幾何学的な形態の特徴などから、山楽の弟子で婿養子となった狩野山雪(1590-1651)も制作に携わったのではないかと考えられています。
重要文化財《朝顔図襖》狩野山楽・山雪筆18面のうち8面 紙本金地著色 江戸時代 寛永8年(1631)京都・天球院 通期 第3会場
籬は中央から左右へ段々と下へ続き、そこへ上から朝顔がうねるように蔓を伸ばしています。右手に蔓を伸ばす白い花は鉄線なのでしょうか。鈴木其一はこの襖絵をみたのではないだろうかとメトロポリタン美術館蔵 鈴木其一筆《朝顔図屏風》を思い出しました。垂直と水平を構成する籬と籬に絡む曲線の朝顔。地面から垂直に生える紅白の菊と白い百合と赤い撫子。白い菊は胡粉を盛り立体的に表現されています。

重要文化財《竹林猛虎図襖》狩野山楽・山雪筆 20面のうち16面 紙本金地著色 江戸時代 寛永8年(1631)京都・天球院 通期 第3会場
にょきにょきと縦に伸びる竹と筍とごつごつとした岩の縦横の面にはリズムを感じました。振り返りながら咆哮する虎と子どもの虎を遊ばせる家族の虎。花模様のスタンプを押したような毛皮のヒョウは、虎の雌です。じゃれる子どもの虎の表情はちょっと変です。左端の正面向く虎の表情にも愛嬌があります。山雪は辻惟雄先生の「奇想の絵師」ではその系譜にあり、虎もなーんだか山楽の虎とは違っているような気がします。差し色のような赤は、万年青の実でしょうか、赤い花は躑躅でしょうか。
重要文化財《梅花遊禽図襖》狩野山楽・山雪筆 18面のうち8面 紙本金地著色 江戸時代 寛永8年(1631)京都・天球院 通期 第3会場
鳥を追って右から左へ視線が移動していきます。見事な枝振りの梅と幹に巻きつく紅白の蔦が美しい。この襖をもっとデフォルメしたのがメトロポリタン美術館蔵《老梅図襖》でしょう。

特別展示Ⅱ 微妙大師ゆかりの妙感寺
半丈六の千手観音坐像は予想以上に大きくものすごい迫力でした。
実はお隣にある二重の厨子に納められた千手観音坐像がメインです。「秘仏」とありますが撮影可でした。

微妙大師が後醍醐天皇念持仏を奉るために持仏堂を建立したのが妙感寺の始まりで、この千手観音坐像についての史料は多く残っていますが、本尊である半丈六の千手観音坐像についての史料は見つかっていないそうです。微妙大師は妙心寺第二世になって以降遷化するまで約20年間この地に通い、微妙大師の墓所である開山塔も妙感寺にあります。後醍醐天皇に仕えた微妙大師の前半生もこの地にあるように思いました。

1階中央ホールにある【雲竜図AR】体験パネルにあるQRを読み込んで、パネルの雲竜図(妙心寺法堂にある狩野探幽筆の雲竜図)にスマホを向ければ、龍が現れて美術館の天井へ昇っていきます。是非体験してみてくださいね。

【開催概要】興祖微妙大師六百五十年遠諱記念特別展「妙心寺 禅の継承」
- 会場:大阪市立美術館 https://www.osaka-art-museum.jp/
- 会期:2026年2月7日(土)~4月5日(日)※展示替えあり
前期 2月7日(土)~3月8日(日)、後期 3月10日(火)~4月5日(日)
- 開館時間:9:30~17:00 ※入館は閉館の30分前まで
- 休館日:月曜日(ただし、2月23日は開館)、2月24日(火)
- 観覧料:一般2,000円、高大⽣1,300円、小中生500円
- 展覧会公式サイト:https://art.nikkei.com/myoshin-ji/
- お問い合わせ:06‐4301‐7285 大阪市総合コールセンター なにわコール(受付時間 午前8時~午後9時、年中無休)