3.0
神話化する不条理
阪神淡路大震災から30年。美術が災害をどのように語ることができるのか。わたしたちが、それをどのように受け止めることができるのか。難解さを孕んだ現代美術特有の表現が、単なる災害の記録や回顧としてではなく、ナラティブの問題として提示されているようだった。
束芋ややなぎみわによる作品はとくに、それぞれ「不思議の国のアリス」や「古事記」を連想させるモチーフが印象的だった。ここでは不条理な世界観を物語として構築すること、つまり「語る」ということが、どうしようもない現実と向き合うひとつの方法として提示されているように感じた。私が想起したこれらの文学は荒唐無稽ながら物語として成立し、豊かなイメージの源泉となっている。不条理な、あるいは不可解な出来事や現象は抽象化され、寓意化され、奇妙な単純さと壮大さを兼ね備えて神話化されるが、それゆえいくつもの記憶や現実が投影されうるのではないだろうか(展示で紹介されているように、束芋による震災のエピソードには作家の家族のそれとズレが生じている)。
災害の体験はさまざまな記録と記憶によって構築されている。本展はある意味では、そうしたものを単純化して見せる。田村友一郎によるインスタレーション作品で、コンクリートに描かれた平面的な「イラストの盆栽」が砕け散っているのはまさに、だ。しかしそこから駆動するナラティブは単純化されてはならない。これは語る側の問題であるだけでなく、それを受け取る側の問題でもある。災害のみならず、混迷を極めている世界情勢の中で、こうした問題はますます切実となっている。
展示を鑑賞している間はほとんど何も考えられなかったが、時を置いて思い返すと、向き合うべき問いが徐々に湧出しはじめる、そんな展覧会だった。