3.0
「モード」という雰囲気
なぜ「マリー・ローランサンとモード」?
そのように感じてしまったのは、おそらくローランサンが肖像に描いたモードを目にすることができると思い込んでいたからだ。どちらかといえば、本展における「モード」との接点は、彼女がモードを描いたというような視点ではなく、モードと関わる人々と交流し、当時の時流を汲んだ仕事をしていたという、彼女の活動態度のことだと捉えるべきだった。もちろん、抽象的画風のローランサンの作品は、それゆえに人物の装いが重要な要素になるわけだから、描かれたファッションに思いをはせる楽しみはある。とはいえ、ローランサンによる舞台衣装のデザイン画が抽象的過ぎて制作が難しかったというエピソードが紹介されているように、衣装の魅力がマリー・ローランサンからよく伝わってくるという感じでもない。
その点、いくつかのファッションの展示(衣服やファッションイラストなど)がその時代性を伝えてくれ、興味を引くものになっている。しかしここで存在感を放つシャネルが、ローランサンの存在感を薄めてしまう。それこそ、馬の合わない同い年の二人を象徴する現象が展示室で起こってしまったのかもしれないが、マリー・ローランサンを主軸にしたモード展の意味が曖昧であるようにも感じられたのは、こうした展示の印象のせいかもしれない。
本展のエピローグで、ローランサンからインスパイアされたカール・ラガーフェルドによるファッション展示があるが、黒い壁面にふんわりと浮かび上がるピンクの現代的ドレスとローランサンの肖像作品を見て、もしかすると、このぼんやりした色彩やタッチこそ、「モード」という浮薄な雰囲気を体現しているのではないか、とようやく自分なりの接点を見出せた。