念願の飛雲閣へ行ってきました。
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- by morinousagisan

2月は京都へは出かけないつもりだったのですが、今月で終了する展示があり急遽出かけることにしました。他によるところはないかなぁと捜しておりますと第60回となる「「京の冬の旅」非公開文化財特別公開に「西本願寺 飛雲閣」があることを見つけて、これは出かけなくてはと出かけてきました。大昔に見たことはあったのですが、その時は「飛雲閣」のことをよく知らず、また興味もなかったようで、行ったことしか覚えていない。「ぶらぶら美術館・博物館」で山田五郎さんやおぎやはきさんが訪れて飛雲閣の中にまで見学されていた回を観た記憶があります。

今回は、外観だけを池を隔てて見学、撮影はご自由にということでした。ガイドさんに飛雲閣についての説明もしていただきました。秀吉の聚楽第を移築したということは有名ですが、三層柿葺(こけらぶき)の楼閣建築です。非対称で、屋根の形も変化に富み、3層構造は東つまり左へ左へと中心が移っていきます。といいますのも、上段の間、つまり秀吉が座る上に部屋を作ることを避けるとこのような形になったという訳です。もともとはこの楼閣へ入るための橋はなく、池を船で渡って1階の舟入から階段を上がって部屋に入ったそうです。近年描き直されたらしい二層の杉戸の三十六歌仙、御簾も描かれたものです。三層は戸が閉まっていましたが、聚楽第にあった頃は京の街が一望できるほどに高く、「摘星楼(てきせいろう)」と呼ばれ星が摘めそうなほど近くに見えたのでしょう。柱が細く障子の多いことから、空に浮かぶ雲のようだということから「飛雲閣」と名づけられたといわれています。細い柱は石の上に立ててあるだけなのでしょう。左手にある赤い壁の建物は茶室です。飛雲閣の右手に渡り廊下で繋がっている柿葺寄棟造りの床の高い建物は「黄鶴台」で、下の階は蒸し風呂だそうです。京都鉄道博物館に近く時々電車の音が聞こえてきました。京都駅にも近く、京都タワーを背景に入れた飛雲閣も撮影しました。

「僧侶がご案内する特別参拝」もあるそうなのでご興味のある方どうぞ!
コロナ禍前までは、「非公開文化財特別公開」にもせっせと出かけておりましたが、インバウンドですっかり状況も変わってしまい、京都の寺社へはほとんど出かけなくなりました。今回出かけた金曜日は、中心地から少し離れていたこともあってか比較的空いていました。
「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 西本願寺 飛雲閣(外観)詳しくは⇒◆
数珠屋さんや仏具屋さんや法衣屋さんが並ぶ通りを抜けて地下鉄五条まで歩き、今回のお目当て京都市京セラ美術館へ向かいました。

京セラ美の日本庭園の横、「桜水館」は長く改装工事中で、その建物内部も興味がありましたし、本展のタイトル「中立点|In-Between―第19回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館展示帰国展」に惹かれ、3月1日まで開催ということでこれが今回のきっかけでした。

開催概要と主旨 ⇒◆
私の一番苦手とする分野の展示でした。展示サイトからの引用『第19回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展の日本館展示(於イタリア、2025年5月10日〜11月23日に開催)は、生成AIとの未来を、人間と非人間、環境との「あいだ」に開かれた対話の場として提示するものでした。・・・本帰国展は、1933年の美術館創立と同時に美術館の敷地内に建てられた旧事務所棟(現「桜水館」)における改装工事中途の空間を利用して、キュレーションチームとふたつの作家チームの、三つの主体が交差したヴェネチアでの展覧会を、それぞれの主体が独立して、別の形に置き換え、京都にて展示するものです。』丁寧なハンドアウトが用意されており、それを参考に1階と2階を鑑賞します。映像作品が多く、しっかり鑑賞したい方は時間の余裕をもってお出かけください。映像作品をじっくり見たとして私がこの企画展を少しでも理解できたかは「?」です。サラ・モリスの時も思いましたが、これからは建築もアートも他諸々AIとAIが創り出す領域を考えないわけにはいかない。うーん、、、無料ですし、この様な機会はないと思われます。他の方のレポートお待ちしています。

ここまで来たのなら3回も展示替えがある「日本画アヴァンギャルド」も当然観てきました。「これが日本画!?戦後京都で生まれた日本画の反骨的創造運動を総覧して紹介!」東山キューブで開催される本展に京セラ美の意気込みが伝わります。
京都の日本画なら四条円山派の流れをくむ写生重視の花鳥風月を描いた作品を思い浮かべるのですが、竹内栖鳳やそれに続く土田麦僊らの国画創作協会の面々も常に新しい日本画表現を追い求めていたようには思われます。常に一つも二つも先の表現を追い求めており、戦後の日本だけでない世界のアートの潮流の影響を受けて立つような形となっていなかったでしょうか。地域を京都に、年代を1948-1970年と限定して、この時期に結成された3つの美術団体―創造美術、パンリアル美術協会、ケラ美術協会に焦点を当てたものです。
「日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970」@京都市京セラ美術館 東山キューブ 展覧会サイト⇒◆
展覧会サイトには、本展の見どころや3つの美術団体についても解説があります。展覧会会場においても、章ごとの解説、用語等のパネル解説、関連資料、写真、かなり多くの作品についてキャプション横に解説もあり、それら全部を読みながら進むとかなりの時間を要します。
写真撮影可、無料音声ガイドありです。音声ガイドは展覧会サイトでも聴くことが出来ます。
「ジュニアガイド」もあり、受付でお願いして1冊頂きました。
「創造美術」1948年に自由な画壇を志し、「我等は世界性に立脚する日本絵画の創造を期す」と宣言して東京と京都の日本画家によって結成され、現在は「創画会」として存続しています。お馴染みの上村松篁、秋野不矩、昨年京セラ美で展覧会を観た奥村厚一、広田多津らの作品を紹介する。彼らの戦前と戦後の作品が並べて展示されていることにもご注目。三回の展示替えがあるこの展覧会が今後どのように展開されるかはわかりませんが、今回では女性の画家がこの団体の秋野不矩と広田多津だけだったことに私的にはかなりショックを受けました。3月に神戸へ巡回する「アンチ・アクション」を思い浮かばざるを得なかったです。第1章の終わりごろから、西本願寺さんで戸外でかなりの時間を費やしたこともあってか、よく知らない画家とその作品と解説の中を進んでいく途中に不覚にもだんだん眠くなってしまいました。
様々な素材を使った表現を試みる、これまで見たことのないものを創造するなど具体やアンフォルメルみたくなってきているようでした。60年代から70年代にかけて阪神間の動きと同時進行していたのでしょう。

「パンリアル美術協会」京都市⽴絵画(美術)専⾨学校⽇本画科の卒業⽣が中⼼となって1949年に発⾜した前衛団体です。(2020年に解散)「パンリアル宣言」にも若者の熱気が痛い感じで伝わってきました。
メインヴィジュアルに選ばれた大野俶嵩の《緋 No.24》は、真っ赤に塗られた画面にドンゴロスを貼り付けた作品で、色も形状もインパクトがあり、「絵画とは何か」と問題提起した作品です。

下村良之介は美術館でよくお目にかかるので私でも知っている画家で、その作風も馴染みがある。「鳥」からインスピレーションを得て作品になっていくような。
「ケラ美術協会」京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)日本画科出身の若手画家らによって結成された前衛団体です。(1964年解散)会の名称は美術評論家木村重信先生によって、ギリシャ語のケラ(細胞)という語から「細胞が分裂し、拡大するように、この運動があらゆる人々たちに賛同されることを望み」命名されました。会の宣言書の冒頭「20世紀後半は宇宙時代だ。地球上の争いのごときは、宇宙からみれば夫婦げんかにすぎない・・・」なんと勇ましい宣言書でしょう。興味深く思ったのは、京都北白川琵琶町に協会による美術家村を設立したことです。若い芸術家たちが開墾、大水で被害にあいながらも開村してこの美術村で制作を行うも、日々の生活に追われて当然のことながら長くは続きませんでした。
最終章にたどり着き、徳岡神泉、堂本印象、三輪晁勢、杉山寧とあってなんだかホッとする思いでした。丸木位里もありました。杉山寧《條》は、クレーのようでした。

静かな音のない時間を映す神泉、本作《流れ》の前に立って「あっ!ロスコ?」と思ったのは私だけでしょうか。

本作は、戦時下の皇紀二千六百年奉祝公募展に入選した作品で、作品解説には「日本画の伝統画題を踏襲しながら、奇抜な松の形態には従来と異なる、抽象ともいえる造形感覚が見て取れる」とありました。昭和15年(1940)の発表以来京都での展示は2回目となります。
戦後復興の中右肩上がりの世相の中、所謂「団塊世代?」時代背景が影響していないはずがありません。時勢の勢い、うねりのようなものも感じました。21世紀も四半世紀を過ぎて、この当時の日本の美術界を振り返り皆さんはどのような感想を持たれたでしょうか。若い人たちが熱心に鑑賞されていました。
※撮影可でしたが、アートブログに投稿に画像を掲載しても大丈夫か、一応へお問合せしました。
展覧会サイトから引用『・・・京都画壇の批評精神と創造性に着目し、現代へと連なる日本画のもうひとつの系譜を紐解きます。本展ではこの戦後京都で生まれた日本画の反骨的創造運動を「日本画アヴァンギャルド」※として総称し紹介します』