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吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマンの活動の軌跡の大回顧展です

アートアジェンダの本展へのクリップは23あり、多くの方が興味を示しています。デザインに興味のある方が多いのだろうか。恥ずかしながら私は全く知らない二人で作品も初めて見たと思ったのでした。(実は見たことがあったのですが)何かのついででないとデザイン関連までは見に行くこともありません。どんな分野もどんな作品も見ておくと後から「あっ!どっかで見たことがある」と奥の方から抽斗を開けて思い出すことがあるから面白い。

大阪中之島美術館の収集方針には「大阪と関わりのある近代・現代デザインの作品と資料」「近代・現代デザインの代表的作品と資料」が含まれ、それらを展示してきました。サントリーミュージアム[天保山]が2010年末に休館し大阪中之島美術館はサントリーポスターコレクション18076点の寄託を受けました。その中にミューラー=ブロックマンの作品が8点含まれていました。大阪中之島美術館 開館記念展「Hello! Super Collection 超コレクション展 ―99のものがたり―」においてミューラー=ブロックマン作品が3点展示されました。(この展覧会に出かけているのでブロックマンの作品を目にしていたはずなのですが、図録を見返しても全く記憶にない)大阪中之島美術館は、2022年度に、ミューラー=ブロックマンのグラフィックデザイン作品を58点と吉川静子のグラフィックデザイン作品を8点蒐集し二人で60点以上を所蔵したことで「吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン財団」に本展を提案して開催に至りました。

タイトルにある「Space In-Between」は、二人の造形上の特徴である「空白」「余白」と二人の「間」を表しています。二人の作家の独立性に焦点をあて、個々の作家として紹介する二人展です。そこから自ずと浮かび上がってくる二人の関連性にも着目することになります。

本展HPの見どころより

1. スイスを代表する国際的なタイポグラファーでありグラフィックデザイナーのヨゼフ・ミューラー=ブロックマン(1914–1996)と、そのパートナーであり芸術家の吉川静子(1934– 2019)の没後初、世界初の大規模な二人展

2. デザインとアートの豊かな融合、スイスと日本の唯一無二の交流の実例となる展示内容

3. スイスから約130点の吉川静子作品が来日。日本初お披露目

4. ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン作の約60点のグラフィック作品を展示

「グリッドシステム」の原点、『ノイエ・グラ-フィク』(”Neue Grafik”)誌も展示

 

デザイン分野のことについて全くの知識のない私には、初めて知る分からない用語も少なくはありませんでした。それらの用語は、図録の中にもあり、これらの用語は本展でキーワードとなっています。故に私には内容的にしっかり理解するには容易な展覧会ではありませんでした。

(※分からない用語でリンクを貼れるものは貼りました。また下記ブログ内で「」とあるものは、本展HPや展示場内の解説や図録からの引用です)

二人を個々の作家として取り上げるため、展示室も作家で分かれており、「Space In-Between:吉川静子」「Space In-Between:ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン」の2部構成で、第1章はほぼ時系列で10のセクションに分かれています。

本展HPの「構成」にある各章及びセクション解説に詳しいのでそちらをご参照ください。⇒

お二人については本展HPにも説明されています⇒

私自身が二人のことをあまりに知らな過ぎるので、図録を参照して吉川静子(1934-2019)がヨゼフ・ミューラー=ブロックマンと結婚するまでの背景を少し追ってみます。

このところ観てきた木下佳通代(1939-1994)、石岡瑛子(1938-2012)と同じ疎開の経験がある世代です。吉川のルーツは、柳川藩立花家の藩士を勤めた大澤家です。柳川の立花家と言えば、かの「御花」です。

父・榮は、三井物産社員で外国航路にも乗る大型船の通信技師でした。そして祖父大澤三入(みしお)は、明治時代にアメリカに渡りアメリカの大学・大学院で学んだ人です。このような系譜にあったものが吉川の中に根付いていたのかもしれません。父の仕事の都合で福岡の大牟田、神戸の住吉と港のある海辺の町で過ごしました。戦時中は柳川へ母と疎開し、そこで思春期を過ごしました。両親は不仲であったらしく、母の苦労を間近で感じ、自立した女性を痛感していたことでしょう。優秀で、津田塾女子大学英文科を経て、東京教育大学(現筑波大学)で建築・工業デザイン・構成デザインを学びます。この時点で吉川は既に建築やデザインに興味があり、ここに経済的、職業的自立を見出そうとしていました。1960年東京で開催された世界デザイン会議で事務局の通訳を務め、ヨゼフ・ミューラー=ブロックマンと初めて出会います。翌年大阪・浪花短期大学でのミューラー=ブロックマンの公開講座でも通訳を務めました。大学時代に結婚していた夫のドイツ留学に帯同する形で、ウルム造形大学 ヴィジュアルコミュニケーション科へ吉川も留学します。彼女の語学力やデザイナーとしての素質を見抜いていたからこそ恩師・高橋正人は留学を後押したはずです。吉川はウルムで初めての日本人女子学生でした。ウルム造形大学で、ヨゼフ・ミューラー=ブロックマンの講義を受け、1963年帰国する夫と別れて単身チューリッヒへ行き、ブロックマンのスタジオでグラフィックデザイナーとして勤務することになりました。1967年ヨゼフ・ミューラー=ブロックマンと結婚し、フリーのグラフィックデザイナーとなりました。(1964年に不慮の事故でミューラー=ブロックマンの先妻は亡くなっていました)「ブロックマンとの結婚で自分の中の日本的感性に気づき、それがヨーロッパにおいてのグラフィックデザイナーとしては妨げとなることに気づいた」と図録にはありました。そこでアーティストへと本格的に転向していきます。


左から:吉川静子《r39 四つの同面積色面のトランスフォーメーション no.1》《r40 四つの同面積色面のトランスフォーメーション no.2》《r41 四つの同面積色面のトランスフォーメーション no.3》1976年 全ての作品が吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン財団蔵

Space In-Between:吉川静子

1.初期の作品:建築空間のアート

吉川静子は、ある建築のためのサイトスペフィック・アート を制作したことをきっかけとして絵画へと舵をきることになりました。当初の作品を展示しています。


上から:吉川静子「『トランスフォーメーション』シリーズのためのモデル」1973年頃、「レリーフのためのスケッチ」1974-76年 全ての作品が吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン財団蔵

コンクリート・アート の流れを組む立体彫刻作品群からアーティストとして歩み始めました。


左から:吉川静子《m43 fs/2x4 Drehspiegelung》1978–82年《色影 r45》1976–79年《m258 白の中央 no. 5 バイオレットからブルー》1986年《m149 白の中央 緑から黄色へ》1985年、《m177 fs/3×3  白の中央 1》1984年《m328 ライフ・オブ・ブルー 白の中央 7》1985年 全ての作品が吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン財団蔵

2.「色彩レリーフ」

凹凸の薄いわずかな側面のみに色を塗った「色影」というシリーズです。「瞬間性や空気感をテーマにし始めたシリーズであり、色は光や影、隣り合う色によっても見え方が変わる相対的なものであるという理論に基づいています。」

 

3. 「網の構造と空白の中心」淡いパステルカラーと補色となる色を使って平面に構造を取り入れ、微かな色彩の移り変わりが動いている様な感覚と震えている様な感覚を作り出しました。

4.「ウパニシャッドへのオマージュ」1989年以降格子構造からより広範で流動的な編み目構造へ変化していきました。「ウパニシャド」は古代ヒンズー教の書物に由来します。


左から:吉川静子《m525 宇宙の織りもの―呼吸する地 16》1999–2000年《m528 宇宙の織りもの―呼吸する地 19》1999–2000年《m493  宇宙の織りもの―呼吸する地 13》1997年 全ての作品が静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン財団蔵

5.「宇宙の織りもの」 

1991年吉川は、「宇宙の織りもの」シリーズを十文字型で表現して、平面のカンヴァスによる表現に取り組み、様々なカンヴァスで展開していきます。

6.「ふたつのエネルギー」正方形のカンヴァスに回帰して、外へ向かうエネルギーと中心へ向かうエネルギーという概念を探究しました。


7.「ローマにて」の展示風景

7.「ローマにて」

ブロックマンが亡くなった1996年は、喪失感、寂寥感に陥り、自宅のあるチューリッヒを離れてローマで過ごしました。「ローマで見た太陽の、燃えるような生命力に感動し再び生きる力をもらった吉川は、これをテーマに制作に取り組みます。」これまでの作品とは全く違った印象を受けました。ミューラー=ブロックマンと共に過ごした時間と同じ長さの時間が吉川には残され、大きな悲しみから抜け出して、新たな出発、再生となり、日本を振り返るきっかけともなりました。


左から:吉川静子《m649 マイ・シルクロード 14》1998–2003年《m676 マイ・シルクロード 42》2004年《m704 マイ・シルクロード 70》2004–2006年 全ての作品が 吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン財団

8.「マイ・シルクロード」

ローマからスイスへ戻ってから、吉川はシルクロードをテーマにしたシリーズを制作します。吉川が若かりし頃ウルム造形大学に留学するために渡った海の道で、吉川が日本へ戻る旅も表現しているそうです。「移動する感覚と時空を旅する体験を捉えています。」ミューラー=ブロックマンと一緒に万里の長城やシルクロードを旅行中に倒れて帰らぬ人となったことにもこのシリーズに思いが込められていたのではないでしょうか。私には絣の着物の模様の様にも映りました。

9.晩年の作品:鼓動

十文字型のモチーフから離れ、内的なエネルギーを帯びた円や正方形のドットがカンヴァス一面にリズミカルにまき散らされていす。自然界のエネルギーをテーマに制作してきた吉川は、晩年には内なる生命力に目を向けて制作を続けました。


左から:吉川静子《古典能楽 シアター 11》1974年、《いけばな》1980年代《根付 リートベルク美術館》1987年 全ての作品が大阪中之島美術館蔵

10.グラフィックデザイン

吉川静子のフリーのグラフィックデザイナー時代の作品です。グラフィックデザインを通じて吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマンは公私ともにパートナーとなりました。能公演のためのポスターは1975年スイス年間最優秀ポスター賞を受賞しました。1987年に制作したリートベルク美術館で開催された根付の展覧会のポスターは、吉川が最後に制作したポスターの1つです。


ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン作品展示風景

Space In-Between:ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン

スイスのチューリッヒ湖畔にある歴史ある町ラッパースヴィールに生まれましたヨゼフ・ミューラー=ブロックマン(1914-1996)は、スイスを代表するグラフィックデザイナーで、著述家、教育者としても知られています。図録によれば「彼のバックグランドも家庭環境もそのキャリアがここまで羽ばたいたことのヒントにはならない」とあります。

[初期作品 ラッパースヴィールのために]

チューリッヒ工科大学で学びデザイナーとして活躍し始めると、画面上にイラストレーションと文字を構成したポスターを制作するようになりました。

第二次世界大戦には6年間も従軍していました。

[ヴィジュアル・コミュニケーションとフォトコラージュ]

ミューラー=ブロックマンは、いち早く写真をポスターに取り入れたデザイナーでもありました。フォトコラージュによってモチーフの比率を変え、インパクトを与える表現を用いました。


左上から:ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン《チューリッヒ管弦楽団 ムジカ・ヴィヴァ・コンサート 1969》1969年《チューリッヒ管弦楽団 ムジカ・ヴィヴァ・コンサート 1970》1970年、《チューリッヒ管弦楽団 ムジカ・ヴィヴァ・コンサート 1971》1971年《チューリッヒ管弦楽団 ムジカ・ヴィヴァ・コンサート 1972》1972年 全ての作品が大阪中之島美術館蔵

[音楽とデザイン]

ミューラー=ブロックマンの最初の妻フェレーナ・ブロックマンは、ヴァイオリニストで彼女が不慮の事故で亡くなるまで21年連れ添いました。彼女と結婚してミューラー=ブロックマンの名字を使うようになりました。妻を通じて音楽に関わるようになり生涯にわたってコンサートのポスターを多数制作しました。「チューリッヒ管弦楽団のポスターは、音楽の感覚を視覚化する芸術的な試みである」

 

[グリッドシステム]

紙面における文字組と構成の方法論について理論書『グリッドシステム』(1981年初版)としてまとめ、命名しました。「20世紀後半のデザインの『型』、『様式』、そして『道具』として国際的に伝播して戦後の一時代を築いた。・・・第二次世界大戦後のモダン・デザインを象徴するもの」で、理論として今日まで大きな影響を与えています。

《黄金分割による7つの部分を持つ柱》(1974/1981年)はミューラー=ブロックマンによる数少ない彫刻作品で、1981年大阪芸術大学塚本英世記念館・芸術情報センタ-1階のアートホール竣工式でお披露目されたものです。1975年の大阪音楽センター・モーツアルトサロンで「ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン ヨシカワ・シズコ作品展」が開催されるなど大阪とも二人はゆかりがありました。ミューラー=ブロックマンは、篤実な人柄と小柄で親しみやすく端正な風貌の人格者だったそうです。


頼りない感想ですが、空白と余白のある吉川の作品は、理知的で、幾何学的で、建築、構築的、ある種の理論上の関連性が根底に流れながらも、テーマに沿って変奏していきました。クラシック音楽が好きだった吉川らしくリズムが流れているようでした。

ミューラー=ブロックマンの先妻との息子も亡くなっており、子どものいなかった二人の仕事を残したいとの吉川の思いから2016年に「吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン財団」が設立されました。本展キュレーションには、大阪中之島美術館主任学芸員 平井直子さんにラース・ミュラー(Lars Müller Publishers主宰/吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン財団理事長)、ガブリエル・シャード(美術史・建築史家/チューリッヒ工科大学講師/吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン財団理事)も参加しています。 2017年吉川静子は、「フォルムと色の調和と完全性という自らの芸術目標を達成したとして、絵画制作から引退しました。」2018年東京・AXISギャラリーで個展「私の島は何処」を開催し、作品集『吉川静子』を刊行しました。2019年自宅兼アトリエのあったチューリッヒで亡くなりました。

ガブリエル・シャードさんは、図録の結びに「異なる文化の間に架け橋を築くために尽力する一方で、吉川は常に単一の存在同士が向き合う出発点であり繋がりとして、関係性の間[space in-between] を受け入れ続けた。そして同時に、それが自立した形で関係性を作りだし、より創造的な要素として機能するように促したのである。」

展示作品は全て写真撮影可です。

私が全く知らなかった事ばかりで、次に吉川静子やヨゼフ・ミューラー=ブロックマンの作品と再会できた時は、「あっ!あの時大阪中之島美術館で見たあれだっ!」と思い出すことができるでしょう。


【参考】

  • 吉川静子について ⇒
  • アートスケープ>アートアワード>デザイン教育 ⇒
  • 筑波大学芸術専門学群構成領域 ⇒

【開催概要】Space In-Between:吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン

  • 会期:2024年12月21日(土)~2025年3月2日(日)
  • 会場:大阪中之島美術館 5階展示室
  • 開場時間:10:00~17:00 (最終入場時間 16:30)
  • 休館日:月曜日、1/14(火)、2/25(火)*1/13(月・祝)、2/24(月・休)は開館
  • 観覧料:一般 1,700円(1,500円)、高大生 1,100円(900円)

※()内は20名以上の団体料金です 詳しくは、展覧会サイトをご覧ください。

[相互割引]本展観覧券(半券可)の提示で、4階で開催されている「歌川国芳展 ―奇才絵師の魔力」の当日券を200円引きで2階チケットカウンターで購入できます。



プロフィール

morinousagisan
阪神間在住。京都奈良辺りまで平日に出かけています。美術はまるで素人ですが、美術館へ出かけるのが大好きです。出かけた展覧会を出来るだけレポートしたいと思っております。
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