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クールな展示空間は古びることのないデザインと鼓舞する言葉に溢れていた

『石岡瑛子 I(アイ)デザイン』兵庫県立美術館へ巡回してきました。石岡瑛子とは旧知の安藤忠雄設計の天井の高いホワイトキューブでの展示は瑛子のデザインが映えて格別です。2020年11月から翌年2月まで東京都現代美術館で開催された、かなり攻めたタイトルの『石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか』では、80年代以降の衣装デザインの仕事が多く紹介されて大きな反響を呼び、覚えておいでの方も多いでしょう。この展覧会で私の様にアートディレクター、デザイナー石岡瑛子(1938-2012)を認識した方もおいでかもしれません。本展は、それ以前の石岡瑛子、東京を拠点にしていた1960年代から80年代までの仕事を中心にした、ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)と京都dddギャラリー(ddd)で開催された『SURVIVE - EIKO ISHIOKA /石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか』を新たに構成したデザイン中心の展覧会で、400点以上の作品が展示されています。

作品リストは17頁もあり詳しくは⇒

一部の作品を除いて写真撮影も可となっています。(撮影不可の作品もあります。撮影時の注意厳守!)

展覧会は、5幕構成です。

本展の見どころ

1. 時代を超えて鮮烈に響き続ける石岡瑛子の言葉

ggg、dddの展覧会で瑛子の言葉を展示で紹介したところ、メモを取る若い人が多くいたそうです。石岡瑛子の強い信念に裏付けられた言葉は、決して甘っちょろいものではなく、優しく慰めたりはしないが、人を励まし鼓舞するでしょう。作品の横にある言葉は、作品について直接語ったものではありませんが、作品のマインドを表しています。


パルコ:パルコシップ 新聞広告校正刷り クライアント: パルコ 1978年 CD, AD, GD:石岡瑛子 / GD:成瀬始子 P:操上和美 / C:田村義信 / MU:チコ・デラ HS:田村哲也 / MO:ドミニク・サンダ

2. 校正紙から垣間見える透徹した意志。

瑛子直筆のスケッチや校正紙も展示します。制作のプロセスと徹底したクオリティを求める瑛子の妥協のない情熱が今も紙面から伝わってきます。

3. 初公開となる教科書のデザインなど、ブックデザインも紹介します。

4. 会場内に流れる晩年のインタビュー音声は、石岡瑛子がここにいるかのようです。

※インタビューの全編はYouTubeでも視聴することが出来ます。

亡くなる前年2011年河尻亨一氏からインタビューを受けた《The Last Interview "SURVIVE"》を河尻氏は石岡瑛子の「遺言」と話されています。かつてインタビューしたレンピッカやリーフェンシュタールに自分を重ねていたかもしれません。

5. 神戸会場限定の映像資料や特別出品も展示します。


1幕 知性と品性、感性を磨く-資生堂デビューと新しい女性像の創造-

昭和13年(1938)東京で生まれた石岡瑛子は、所謂「戦中派」で疎開も経験しています。父石岡とみ緒はグラフィックデザイナーで、そのような環境のもとで育ちました。1961年東京藝術大学美術学部を卒業後、デザイナー憧れの資生堂宣伝部に入社します。「お茶汲みなどはやりたくない」「男性社員と同じだけのお給料をいただきたい」と重役面接での発言は伝説のように伝えられてきましたが、この発言は、様々な困難はあるにしろ企業人として仕事していく上で時代や女性ということを言い訳にしない瑛子のスタンスではなかったでしょうか。

戦後の困難期をようやく脱して、1960 年代初頭は、社会におけるデザインの重要性に大きく注目が集まった変革期でした。1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万国博覧会と日本はいろいろな矛盾も内包しながらも、高度成長期と言われる右肩上がり、イケイケドンドンの列車に乗ったような勢いがある時代でした。

1964年《資生堂ホネケーキ:ホネケーキ以外はキレイに切れません》商品にナイフを入れる斬新なアイデアで、素材の上質感を実証的に表現しました。

1966年《資生堂ビューティケイク:太陽に愛されよう》AD:中村誠 / GD:石岡瑛子 / P:横須賀功光 /C:犬山達四郎 / MO:前田美波里 (撮影不可)

1$=¥360の時代に広告として日本初のハワイロケを敢行した作品。ダイナミックな三角形の構図(ポーズ)は、化粧商品のポスターとして前代未聞だったそうです。無名だった前田美波里を「太陽の下でへこたれない生命力、意志的な顔と健康な肉体」をもった女性としてモデルに起用しました。ロングショットの写真をギリギリまで引き伸ばしたため、ロケ地ハワイらしい風景は全く写っていません。


展示風景:赤テントの中はパルコのCMが映し出されています。 1979年《パルコ:西洋は東洋を着こなせるか》、1980年《パルコ:ALL THAT PARCO ! (ALL THAT JYŌJI !)》全盛期のジュリーをモデルとした1979年《パルコ:男たちについて語りあう日がやってきた》《パルコ:時代の心臓を鳴らすのは誰だ》・・・

2幕 あの頃、街は劇場だった-1970’s 渋谷とパルコ、広告の時代-

1970年フリーランスとなり「石岡瑛子デザイン室」を設立する。時代は、日本でもヒッピーやアングラなどの若者文化も注目され、ベトナム反戦、ウーマンリブ、学生運動などの社会運動が広がっていました。ちょうどその時期にPARCOが、ファッションビルをオープンし、街そのものを劇場と捉え文化イベントや出版事業など多角的に展開します。


展示風景 PARCOのポスター《パルコ:鶯は誰にも媚びずホーホケキョ》

瑛子は、パルコの仕事には立ち上げの初期から関わっていましたが、73年の渋谷パルコのオープン以降は、アートディレクターとして従来の百貨店のような商品を紹介するのではなく、パルコのブランドイメージを作り上げ、次々と革新的なポスターで世に問うていきます。

ポスターのキャッチコピーも強烈です。

1975年《パルコ:裸を見るな。裸になれ。》AD, GD:石岡瑛子 / GD:成瀬始子/P:横須賀功光 / C:長沢岳夫/MU, ST:マキシーン / MO: オーロール・クレマン

「服を売る企業が裸を語る」石岡は語っています。「自分の心を裸にしようともせず、人の心を裸にさせたがる日本女性の、陰にこもった心理を私なりに批評している」

1976年《パルコ:鶯は誰にも媚びずホーホケキョ》CD, AD, GD:石岡瑛子 / GD:成瀬始子、乾京子/P:横須賀功光 / C:長沢岳夫/D (Costume):三宅一生 / ST:中村里香子/MU:川邊サチコ / HS:伊藤五郎/MO:トゥキー・スミス(ドリス・スミス)


展示風景 パルコのポスター《パルコ:わが心のスーパースター》《パルコ:あゝ原点。》

1977年《パルコ:あゝ原点。》CD, AD, GD:石岡瑛子 / GD:成瀬始子、乾京子/P:藤原新也 / C:長沢岳夫

瑛子は、インドやアフリカへ出かけて民族衣装を注視することで日本のファッションの原点を捉え直そうとしていました。インドの撮影では男たちの合意がなければ女性たちを撮影することが出来ずロケは難航していました。ある日砂漠の向こうからあらゆる世代の女性たちの一群が一斉にやって来る光景が目の前に現われて、みんなが息をのんだ、その瞬間の気持ちがキャッチコピーとなりました。その場のクルーの気持ちが直に伝わってくる写真です。

この時期瑛子は、後発の出版社であった角川書店とも仕事をしていました。「読書のインドア派のイメージからアウトドア派のイメージへの転換」を考えて、行動を伴った新しい読書のイメージを視覚化し、若い男性をモデルとして多く起用しました。『野性時代』は雑誌のヴィジュアル面を統括するアートディレクターを担当し、この時代を代表するクリエーターが参加しました。

 味の素AGFインスタントコーヒー「マキシム」や山本海苔のパッケージデザインや東急百貨店のショッピングバックなどもデザインしています。

 第二次石油ショックを経て新たな段階へと向かおうとする日本、1980年瑛子は全ての仕事をやめて、ニューヨークへ旅立ちます。


1965年《シンポジウム:現代の発見》AD, GD, C, I:石岡瑛子 / C, Assistance:高田修地

3幕 着地は熱情であらねばいけない ―裸のアートワークに映る私―

石岡瑛子の広告以外の仕事について

1965年《シンポジウム:現代の発見》若手デザイナーの登竜門であった日宣美(日本宣伝美術会)でグランプリを女性として初めて受賞しました。架空のシンポジウムのポスターを9枚組で提示したものです。制作には、まず実際に立体模型を作って撮影し、素材としての写真を組み合わせて平面構成を考え、エアブラシで描くという手の込んだもので、この頃から二次元と三次元の境目がなく自由に行き来するような手法です。

《ECO'S LIFE STORY》石岡瑛子が制作した絵本です。「エコのライフ・ストーリー」のタイトル通り、美大時代のものらしいですが、思い描いた通り世界で羽ばたく石岡瑛子として自己実現の道を歩んでいきます。

1968年《POWER NOW》A:石岡瑛子 / P:横須賀功光 / C:小池一子

日本画廊で開催された「反戦と解放」と題する展覧会への出品作で、ニューヨーク近代美術館に永久保存されています。

大阪万博の公式ポスターのデザイナーにも抜擢されています。

1974年《NEW MUSIC MEDIA》AD, GD, I:石岡瑛子 / GD:成瀬始子

本展のメインヴィジュアルとなっているポスターです。”お尻”をイメージするこのポスターが現代音楽祭のためのポスターだったとは。


倉俣史朗『倉俣史朗の仕事』1976年 鹿島出版会 AD, GD:石岡瑛子 / GD:乾京子

4幕 本も雑誌もキャンバスである ―肉体としてのブックデザイン―

石岡瑛子が携わったブックデザインの仕事について。本の表紙やカバーだけでなく、本の肉体にあたる、紙質やサイズ、文字組などの本体から企画や内容にまで関わりました。

今年になって何度も見てきた倉俣史朗の本があったので画像を掲載しました。こんな素敵な本があったなら思わず手に取って頁をめくってしまいそうです。

小中学校の教科書にも携わっており初公開です。凝った装幀の1975年昭和出版からの辻井喬『詩・毒・遍歴 辻井喬随想集』、標題は篠田桃紅の書です。著者辻井喬は、堤清二のペンネームで、PARCOの頃より旧知の仲であったことから、ブックデザインも特に拘って作る事が出来たのかもしれません。

ブックデザインの集大成は、自身の作品集『石岡瑛子風姿花伝 EIKO by EIKO』です。1983年日米同時出版され、著名なアーティストや経営者たちの目に留まり、米国でデビューする布石となりました。

 


《迷宮の画家 タマラ・ド・レンピッカ 肖像神話》パルコ 1980年 AD, GD:石岡瑛子 / GD:乾京子/C:杉本英介 / A:タマラ・ド・レンピッカ

2人の女性との出会いは、取材者としての石岡瑛子が見えてきます。

波乱万丈の人生を送った画家タマラ・ド・レンピッカの作品集『肖像神話』を作るために、メキシコまでタマラに会いに行き、直接インタビューしています。後パルコでレンピッカ展が開催されます。

2010年に「美しき挑発 レンピッカ展 本能に生きた伝説の画家」が、Bunkamuraザ・ミュージアム とここ兵庫県立美術館で開催されました。兵庫県立美術館で開催中の2010年6月27日にNHK日曜美術館「レンピッカ 時代を挑発した女」で放送された「石岡瑛子 タマラ・ド・レンピッカを語る」の映像を再編集したものを神戸会場だけで視聴することができ、とても興味深い内容です。

もう一人は、石岡瑛子をすっかり虜にしたレニ・リーフェンシュタールです。女性誌でインタビュー記事を連載し、展覧会をも総合プロデユースします。奇抜なアイデアの展示構成プランなどはとても面白い。米田知子が『Vogue』2002年12月号取材撮影した100歳記念パーティーの5日後、レニ・リーフェンシュタールの自宅で撮影した石岡瑛子とレニ・リーフェンシュタールが一緒に写る写真が見つかり、神戸会場だけで展示されています。


1988年《M. バタフライ》劇団四季 第一製薬ヒューマンシ アター AD, GD:石岡瑛子 1985年《ミシマ ― ア・ライフ・イン・フォーチャプターズ》ワーナー・ブラザース・エンターテイメント AD, GD:石岡瑛子 1997年《忠臣蔵》毎日新聞社 AD, GD:石岡瑛子 / GD:東海林小百合

《M. バタフライ》で、舞台美術と衣装、小道具のデザインを担当し、ブロードウェイでの初めての仕事で、舞台美術とコスチュームでトニー賞にノミネートされた。

美術監督として携わった映画「MISHIMA」は、カンヌ国際映画祭芸術貢献賞を受賞。

《忠臣蔵》三枝成彰の日本から欧米に通用するオペラを発信するという試みで、瑛子は衣装と美術を担当した。


1986年《マイルス・デイヴィス「TUTU」》ワーナー・ブラザース・レコー ド(US盤)、ワーナー・パイオニア(日本盤)AD, GD:石岡瑛子 / P:アーヴィング・ペン/A:マイルス・デイヴィス/PRD:トミー・リピューマ、マーカス・ミラー、ジョージ・デューク

1986年《マイルス・デイヴィス「TUTU」》レコード会社を移籍して新境地を開拓しようとしていたトランペット奏者のマイルス・デイヴィスからアルバムのアートワークの依頼が届く。打ち合わせでの席で彼の顔に刻まれた深い皴に「ファラオのマスク」が思い浮かびました。そのイメージを具現化できるのは写真家アーヴィング・ペンだと閃きましたが、二人のアーティストは全く正反対で、緊張感がはりつめる撮影となったそうです。最高の写真家、モデル、デザイナーから「帝王のマスク」のジャケットが生まれました。1987年石岡瑛子はグラミー賞のベスト・アルバム・パッケージ部門を受賞、マイルス・デイヴィスは最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・パフォーマンス・ソロ部門を受賞、アーヴィング・ペンの作品は、ニューヨーク近代美術館に永久保存されています。石岡瑛子の国際的評価も高まり、ニューヨークへ拠点を移して、米国のエンタテイメント産業に本格的に進出していきます。

フランシス・フォード・コッポラ監督「地獄の黙示録」で日本版ポスターを瑛子がデザインし、それを見たコッポラが瑛子に注目し、製作総指揮をした「MISHIMA」でセットデザインを担い、映画「ドラキュラ」で、石岡瑛子は衣装デザインで第65回アカデミー賞(1993年)を受賞しました。

石岡瑛子の仕事は、ほぼ全て「クライアントワーク」であると解説されています。決して一人で突っ走っていたわけではない。依頼主の要望、予算や表現上の制約など様々な困難を妥協せず乗り越えていく道を見つけ出し、瑛子の人間性と才能に惹かれて集まった人たちと協働で作品を作り上げてきたと言えるでしょう。クライアントワークだからこそ、どんな依頼が来ても対応できる「自分(I)」であるために、常にアンテナを全方位に張り、日々自分力を高めるため努力は惜しまず、エネルギーの塊のような女性でした。

ご自身がマントラと呼ぶ「Timeless, Originality, Revolutionary」を根幹にして創り出されたものは、年月が経ても古びることのなく、本展は石岡瑛子の回顧展ではありません。

※参考:

・『石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか』@東京都現代美術館「展覧会ガイド」を参照しました。

・本展監修のTeam EIKOのお一人 河尻亨一著『TIMELESS石岡瑛子とその時代』は図書館で予約中です。

【開催概要】詳しくは⇒◆ 

・展覧会名:石岡瑛子 I (アイ)デザイン

・会 期:開催中~12月1日(日)

・休 館 日  : 月曜日、10月15日(火)、11月5日(火)(10月14日(月・祝)、11月4日(月・振休)は開館)

・開館時間:10:00~18:00 (最終入場時間 17:30)

・会 場 :兵庫県立美術館 企画展示室

・観 覧 料 :一般 1,600円/大学生 1,000円/高校生以下 無料/70歳以上800円 高校生以下は無料です!是非是非観てほしい!

障害者手帳等をお持ちの方(一般) 400円/障害者手帳等をお持ちの方(大学生) 250円

・TEL:078-262-1011

・URL:https://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_2409/

〔関連イベント〕も豊富に開催されます。美術館カレンダー(イベント)をご参照ください。

〔連携企画〕心斎橋PARCO『石岡瑛子ポスターアーカイブス 1970-1983』を開催

〔コレクション展Ⅱ〕女性作家特集です。また重要文化財に指定された本多錦吉郎《羽衣天衣》も特別展示されています。


プロフィール

morinousagisan
阪神間在住。京都奈良辺りまで平日に出かけています。美術はまるで素人ですが、美術館へ出かけるのが大好きです。出かけた展覧会を出来るだけレポートしたいと思っております。
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