「越境する美術」は双方向、新しい造形をうみだします。
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- by morinousagisan
広い敷地の中に建つこの竹の美術館が大好きです。
(展覧会開催中は照明の関係で展示室の真ん中にある竹の中庭は閉じられていることが多いですが)
関西にある私立の美術館は、近代数寄者のコレクションを展示する美術館が多いが、
こちらの設立の趣旨はちょっと違っています。
しかしながら、横浜の原三溪の旧蔵品を多く引き継いでいます。
静かな展示室でなーんか品が良いと感じる作品が丁寧なキャプションを添えて展示されています。
展示数もちょうどいい、ゆっくり拝見しては、ちょっと休む感じです。
年に数回ある「無料鑑招待デー」に伺ってきました。
展示室入ってすぐにある3つの独立ケースがどんな展覧会であるのかの導入となります。
今回のメインは何と言いましても、サントリー美所蔵『泰西王侯騎馬図屏風』とサントリー美所蔵『南蛮屏風』。
イエズス会宣教師の指導を受けたキリスタン絵師によって、西洋風の絵画が描かれた時期はほんの50年ほどで、「初期洋風画」と呼ばれるそうです。
『泰西王侯騎馬図屏風』はもう1双あり、神戸市立博物館が所蔵しており、「南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎」@神戸市立博物館で二双並べて見たような記憶があります。神戸のものは、池長孟が購入して神戸市立博物館の前身「南蛮美術館」が所蔵していたものです。
桃山時代のお殿様たちは、異国の王侯のこの大きな屏風をどのような気持ちで眺めていたのかと遠い眼になってしまいます。
私が伺った時は伝狩野山楽『南蛮屏風』が展示中でした。細かな描き込みが楽しくて描かれた一人一人を単眼鏡で追ってしまいます。
マストから落っこちたのか辛うじてロープにひっかり命拾いした男、連れてこられた奴隷でしょうか?情けない表情です。
展示替後は江戸時代初期狩野派による『南蛮屏風』が展示されます。2双の南蛮屏風、左隻は南蛮人たちがテラスで対面に座って何やらしているようなのですが、最近これが「九柱戯」という西洋球戯の情景だという新解釈が出たそうで、とても興味深い。しかし左隻の背景ですが、伝山楽筆は中国風ですし、狩野派の方は日本風です。禁教令が出されると、狩野派の有力絵師は南蛮屏風制作からは手を引きますが、人気の屏風だったらしくその後も多く制作されて今も多く現存します。同一主題の屏風がたくさん現存しているのは洛中洛外図屏風と南蛮屏風だけとのことでへぇー知らなかったなぁ。
これらの屏風については、美術館で配布されている泉万理先生の《特別出陳作品解説》からの受け売りです。
大和文華館コレクションを代表する1つともいえる国宝『松浦屏風』(婦女遊楽図屏風) 初めて観た時は、その大きさにびっくりしました。描かれている遊女や禿が原寸大なので、見上げるばかりで後ずさって全体像を観る。遊女たちと一緒に描かれているのは南蛮からの舶来品、すぐろくやカルタやタバコ、キセル、ガラスなど。
右隻の一人の女性がロザリオを首飾にしていますが、描かれたのは禁教令後で十字架は消された跡があるそうです。で、描かれた女性たちを端から見ていくと、「あれっ?」目元、口元がみんな一緒?似ています。着物や髪形などはこんなに手が込んでいるのに・・・と今回思った次第です。
蛙池を眺めて休憩して後半戦
江戸時代後期の洋風画、秋田蘭画と司馬江漢ですよね。
陰影をつけた司馬江漢が描く洋風画、今見るとなんともちょっと・・・なのですが、鈴木春信に浮世絵を学んだ江漢は紆余曲折してたとりついた先が江戸末期の洋風画です。
当時の人たちは銅版画から一生懸命独学しました。
明末清にかけて中国が混乱期に入り、西欧の国々は中国からの磁器の輸入が出来なくなりました。
ヨーロッパの人々は白い磁器を求めて、日本の有田焼に目が向けられ、伊万里からヨーロッパに向けて、西欧の需要に合わせたデザインや形状の有田焼が輸出されました。やがてマイセンやデルフトでは有田焼に似せて陶磁器が作られるようになります。描かれた意匠が瀟洒でです。
美術は境界を越えて、その地で「異国趣味」の新たな造形を生み出します。
【開催概要】特別企画展 泰西王侯騎馬図屏風と松浦屏風―越境する美術―
会期:2022年4月8日(金)~ 5月15日(日) ※一部展示替あり。
休館日:毎週月曜日休館
開館時間:午前10時~午後5時(入館は午後4時まで)
入館料:一般 630円 高校・大学生 420円 小学・中学生 無料