確かな画力で魅了する日本画家・橋本関雪の大回顧展を京都で開催
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- by morinousagisan
桜が過ぎた春の嵐山、新年度が始まった平日は、流石に日本人観光客は少なく、ほとんどが外国人観光客でした。
2019年秋にオープンした福田美術館、京都でも1、2を争うほどの大観光地 嵐山、それも渡月橋の側に美術館がオープンしたと知ったとき、「あれほどの一等地にスペースあったかしら?」と思ったのでした。開催される展覧会では、これまで個人蔵として展覧会で目にした作品や、次々と「初公開」が現れ、そのコレクション形成には大変な目利きのアドバイザーが居たのでしょう。
本展は、大正、昭和期を京都画壇で活躍した画家、橋本関雪(1883-1945)の生誕140周年を記念して京都の東と西、銀閣寺側の橋本関雪の自邸でもあった白沙村荘 橋本関雪記念館と嵐山の福田美術館・嵯峨嵐山文華館の三館共催展です。
白沙村荘 橋本関雪記念館の副館長で橋本関雪の曾孫にあたる橋本眞次さんは、これまでも「橋本関雪展」として多くの展覧会を開催してきたが、生誕100年を過ぎてからは、10年ごとに節目として大きな展覧会が開催されており、遺族としては10年ごとに法要を行っているようでもあると話されていました。
10年前2013年秋に生誕130周年記念として、生誕の地ということもあり兵庫県立美術館で、地元ゆかりの画家として展覧会が開かれ、作品リストによれば70件の作品及び資料が展示されました。
関雪がアトリエ兼住居を構えて過ごした地である京都では、デパート等で展覧会はありましたが、京都の美術館で大回顧展として展覧会が開催されたことはなかったそうです。
本展の総展示件数は150件あまり、白沙村荘 橋本関雪記念館では、足立美術館所蔵の関雪作品や関雪の代表作の1つである東京藝術大学大学美術館所蔵《玄猿》など前後期に分けて43点、福田美術館で64点、嵯峨嵐山文華館では43点の作品が展示されます。福田美術館に展示される64点の内20点が初公開です。(まだまだ福田美術館持ってはりますが実感です)
橋本関雪は明治16年(1883)神戸市中央区で生まれました。父・橋本海関は、元は旧明石藩の藩儒で、母フジも書や経書に通じた人で、幼き頃より漢学の素養が身につく環境下で育ちました。12歳の頃より日本画を学び始め、15歳で上京するも翌年には神戸に帰ってきます。20歳で京都に出て、竹内栖鳳の画塾「竹杖会」に入り、円山四条派の写実と装飾性を学びました。
★《後醍醐帝》は、福田美術館開館記念展で初披露された作品です。足利尊氏と対立して、南朝を建てるべく大和の吉野へ逃れようと後醍醐天皇が御所を出る緊迫した場面を描いています。左隻の女性に身をやつして石段を下りようとしているのが後醍醐帝です。第6回文展の褒状受賞作品です。
第3回文展で褒状受賞した 二曲一双屏風《失意》1909年 京都国立近代美術館蔵 や
第4回文展で褒状受賞作、六曲一双屏風《琵琶行》1910年 白沙村荘 橋本関雪記念館蔵
この時代の作品には、哀しみ、憂え、苦悩などが感じられます。竹内栖鳳の画塾に入塾した頃から既に技量は高く、文展でも褒状を受賞するもまだまだ人気の画家とは言えず生活が窮乏し、それが作品にも表れています。
関雪は尋常小学校に入学した7歳の頃より、父から漢詩・書画などの教えを受けて育ちました。また中国へは何十回も訪れています。中国の古典籍に材を取った作品を得意とし、多く描いたのも当然のこと。広い中国大陸内では船での移動が多かったそうで、旅の中で出会った水辺の風景も作品に生かされています。
山水画では、文人画に傾倒し鮮やかな色彩を使った南画風の作品を描き、新南画の境地に至りました。
装飾的、かつ写実的な京都画壇の円山四条派の流れと南画風の描き方が関雪の大きな特徴と言えそうです。
原在中や長沢芦雪の模写も展示され、江戸時代の作品を学び、後にヨーロッパを訪れて生の 西洋絵画に接して学ぶところもあったでしょう。着物のしたにある人物の骨格もキチンと把握して描かれています。本展では、デッサンや大下絵などは展示されていませんが、素描や下絵にみられる試行錯誤はどのようなものであったのでしょう。群像表現における人物の配置が絶妙で画面構成にもその力量が表れています。
2階展示室には、六曲一双屏風の《猟》と《木蘭》が並びます。静と動。
《猟》は、第9回文展で2等となった関雪30代の代表作です。馬の躍動感が画面から迫ります。描かれてきた「韃靼人狩猟図屏風」なども参考にしたでしょうか。この屏風は一般の屏風とは反対の左から右への流れとなっており、当時としては斬新な描き方として受け止められました。
《木蘭》中国・北魏の『木蘭詩』に題材をとったもので、第12回文展に無鑑査で出品し特選となり、以後関雪は永久無鑑査の"推薦"となりました。この美しい男装の麗人に会いたくて10年前兵庫県美へ出かけました。物語の一場面ですが、周囲に描かれた木々の枝は写実的に描かれています。
この頃自邸の白沙村荘が完成しています。白沙村荘さんのHPによりますと、その広さなんと10000平方メートル!庭園も建造物も関雪の設計によるもので、哲学の道に桜を植えたのも関雪夫妻です。
40を過ぎて「竹杖会」を抜け、関雪はさらに独自の画の世界を広げていくことになります。
1933年第14回帝展に《玄猿》東京藝術大学大学美術館蔵
を発表して、政府買い上げとなります。関雪はこの作品で名声を博し制作依頼が増え、生涯に多くの猿の画を描きました。狸やイタチ、狐も絵の対象となりました。その前年1932年春に関雪を支えた妻ヨネが急逝します。関雪の描く動物たちは、奥深い表情をして不思議な雰囲気を纏っているのは、妻ヨネの死とも関係あるのかもしれません。解説ではそれを「風趣」と表現されています。1934年には「帝国技芸員」に任命されます。
金屏風です。関雪は同時代の日本画家と比しても金屏風を多く描いているそうです。金の上に礬砂をひいて描く金屏風は、撥水し思うに任せて筆が運べない難しさがあるそうです。更に高価な”金”に今の言葉なら「びびってしまう」所ですが、この屏風には蘇東坡の『前赤壁賦』全文も記しています。そうなのです。山下裕二先生の言葉を借りれば「筆ネイティブ」の時代とは言え、橋本関雪は書も抜群に上手い!まさに「詩書画一致」の人です。
★《香妃戎装》関雪自ら衆議院へ寄贈し、そのまま現在も衆議院議長室に飾られている作品で、普段は一般の眼に触れることはなく、京都で初公開作品です。
★《俊翼》戦時を意識した「橋本関雪聖戦記念画展」への出品作。翼を広げて海上を飛翔する鷹は、戦闘機を思い起こさせる。最近福田美術館へ入った作品で。82年ぶりの公開となります。
この★2点の作品もお見逃しなく!
福田美術館では、作品に丁寧なキャプションもついていますが、無料の音声ガイドをスマホで聴く事が出来ます。また、展示作品のほとんどがガイドラインを守っての撮影OKです。「蔵」をイメージした展示室内は確かに薄暗いですが、第1、2展示室は作品までの距離が30㎝、第3展示室にはガラスケースがなく、ぐっぐっと間近で作品を観る事が出来ます。
京都の西と東、嵐山と銀閣寺・哲学の道側にある美術館の共通点は、素敵なカフェやレストランがあり、テラスからの眺めが素晴らしいことです。
左大文字を正面に見る白沙村荘 橋本関雪記念館には、関雪の画室「存古楼」もあり、光や風も考えられた画室、ここで関雪さんの作品が生まれたのかと感動します。
【開催概要】生誕140周年 橋本関雪 KANSETSU -入神の技・非凡の画-
- 会期 2023年4月19日(水)~2023年7月3日(月)
- 開催場所
前期:4月19日(水)~5月29日(月)
後期:5月31日(水)~7月3日(月)
休 館 日:2023年5月30日(火) ※月曜日も開館
② 東山会場 白沙村荘 橋本関雪記念館
前期:4月19日(水)~5月30日(火)
後期:6月1日(木)~7月3日(月)
休 館 日:2023年5月31日(水) ※月曜日も開館、嵐山会場とは休館日が異なっているので要注意!
※観覧料や共通券、相互割引など詳細については、リンクを貼っておりますのでそれぞれのHPでご確認ください。