特別展 没後50年 矢代幸雄と大和文華館 ―芸術を愛する喜び―
大和文華館|奈良県
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原三溪の思いを引き継ぐ 矢代幸雄にみる大和文華館コレクションの形成
この春関西は日本美術が熱い!の第4弾ともいえるのが本展覧会です。
連休明け、無料招待デーにあわせて伺ってきました。
お庭の四季折々の花々も楽しみな大和文華館は大好きな美術館の1つです。奈良市学園前の閑静な住宅街にあり、展示室の真ん中に竹の植生があり、それを囲むようにして展示スペースなっています。近畿日本鉄道(近鉄)の創立50周年を記念して、文化事業として美術館構想のもと昭和35年(1960)に財団法人大和文華館が開館しました。設立にあたり、近鉄の五代目社長であった種田虎雄から白羽の矢が立ったのが矢代幸雄で、彼を全面的に信頼して、コレクションの蒐集も一任しました。本展は、初代館長も務めた矢代幸雄の没後50年の記念特別展で、同館所蔵の重要作品が展示されます。
近代数寄者が大好物の私は、益田鈍翁と並ぶ大コレクターだった原富太郎(三渓)の展覧会が2019年夏に横浜美術館で開催された「横浜美術館開館30周年記念 生誕150年・没後80年記念 原三溪の美術 伝説の大コレクション」へ日帰りで観に行きました。そこに展示されている主だった展示作品の多くが大和文華館の所蔵でした。
英語が堪能だった矢代は、来日したインドの詩人タゴールが原三溪宅(今の三渓園)に滞在した折に通訳となり、その後長く原三溪とも交流を持ち、安田靫彦など当時の新進気鋭の画家にも惜しみなくコレクションを見せる三渓そばで、三渓邸に集まる若きアーティストたちの議論の中にも身を置いていたのでした。矢代自身も、大下藤次郎主宰の日本水彩画研究所に通い、大学時代には第7回文展に入選するほどに絵を描くのも好きで上手でした。この特技は美学を専攻する上にもサラッとスケッチして書き留めたり、収蔵品を詳細に記録したりにも役立ったと思います。1921年から1925年にイギリス、イタリアへ留学し、フィレンツェ居住のアメリカ人美術史家バーナード・ベレンソンに師事して、サンドロ・ボッティチェッリを研究して、“Sandro Botticelli ”(ロンドン:1925)として研究成果をまとめ英文で出版しました。こちらは「第2章 欧州留学とボッティチェリ研究-東洋美術への視点とともに」で展示されています。 留学中には、松方幸次郎のロンドン、パリでの絵画購入に同行し、「松方コレクション」の形成にも関わっていました。松方は若造の矢代のアドバイスには耳を貸さなかったようにふるまい、売りに出されていたゴッホの「アルルの寝室」、ルノワールの「アルジェリア風のパリの女たち」を松方にぜひとも購入するように勧めたが断られました。しかし、松方はその後2点とも矢代に黙って購入していたというエピソードは有名です。矢代のボッティチェリ研究について、カラバッジョ研究で有名な宮下規久朗先生のコラムが壁面に紹介されています。現在のイタリア絵画研究の視点から見た矢代の「プリマヴェーラ(春」の見方についても興味深いお話もありますので、是非是非お読み下さい。
矢代幸雄旧蔵小さな中国古代の作品が、矢代没後に寄贈されていました。これらを手元において多忙な日々の心の安らぎとしていたのかもしれません。大和文華館設立にあたって蒐集した品々には、原三溪旧蔵品が多く、三渓の主要な所蔵品を自分が引き継ぐ思いもあったのでしょう。MIHO MUSEUM蔵 重要文化財《焔魔天像》、原三溪旧蔵の仏画と言えば、大阪市美の「日本国宝展」で展示されている《孔雀明王像》[~5/18]ですが、矢代はかのパキットした色彩より、こちらの旧蔵品の方がお好みだったようです。確かに色合いが優しいかもしれません。私初めて拝見しました。焔魔天像が手にする先に焔魔天像のミニチュアの様なものが付いた棒?錫?は何なのでしょう。女性的な姿に不思議、神秘、が漂います。アーティゾン美術館蔵 尾形光琳筆 二曲一双の重要文化財《孔雀立葵図屏風》こちらも原三溪旧蔵で、元は衝立だったそうで、それを屏風に仕立て直したものです。衝立としては大きくて矢代はコレクションにするのを迷ったそうで、二曲の屏風に仕立て直す発想が自分にはなかったと思ったそうです。実はMOAの尾形光琳筆 国宝《紅白梅図屏風》も矢代は目をつけていたようですが、気が付けば他の所蔵になっていたらしい。私が見た後期展示からは、光悦作《舟橋蒔絵硯箱》の発想にも通ずる 重要文化財《沃懸地青貝金貝蒔絵群鹿文笛筒》能楽で使用される笛「能管」を収納する筒です。この細い円筒形に素材の違う鹿が20匹以上も貼り付けるその技巧と意匠が見事です。尾形光琳筆 重要文化財《扇面貼交手筥》箱モノは全体で一つの宇宙ですから。「電力王」とも言われた松永耳庵の旧蔵品もままあり、あのころの数寄者たちのコレクションは、大名家の売立てを分け分けしている様な状態で、さらに彼らのコレクションが戦後市場に出る事になったのでしょう。前期展示でしたが、伝毛益筆《蜀葵遊猫図・萱草遊狗図》の猫狗もファンです。西洋美術研究者であった矢代幸雄が、原三溪との出会いから東洋美術への造形を深めていきました。
1935-1936年にロンドンで開催された「中国芸術国際展覧会」に日本からも作品が出品されました。矢代は外国委員を嘱託され、ロンドンで中国美術について講演も行いました。この時出品された作品の1つが 根津美術館蔵《饕餮文方盉(とうてつもんほうか)》です。本展にも代表的な三作品として、最初の展示の3点の1つとして展示されています。永青文庫蔵や静嘉堂文庫美術館蔵も多く展示されています。ちょっといかつい永青文庫蔵 重要文化財《銀人立像》が魅力的。細川護立の蒐集など当時の特別なコレクションからも矢代は東洋美術を学んでいたと思われます。「『美の殿堂』として、矢代幸雄が理想とする美術館設立のために矢代によって蒐集された東洋美術作品は矢代が培ってきた東洋美術への造形が反映されています。」とあり、そうなのです。大和文華館の展示品には気品があり、展示環境と相まって心静かに鑑賞できるのです。大和文華館のマスコット、野々村仁清作《色絵おしどり香合》も通期展示中です。《青磁雕花蓮花文瓶》は、古美術店「壺中居」の創業者のお一人、不孤斎からの寄贈でした。朝鮮陶磁器で有名な浅川伯教からの寄贈もあったりして、その交友関係にも人は人を呼ぶと思いました。
ご興味のある方には、矢代幸雄著『芸術のパトロン』や『美術商が語る思い出の数寄者』が面白かったです。
「日本、美のるつぼ-異文化交流の軌跡」@京博の最後の展示は、ボストン美術館蔵『吉備大臣入唐絵巻 巻第四』です。日本に留まっていたら確実に国宝となっていた絵巻です。若狭国酒井家伝来で昭和7年(1932)にボストン美術館が購入し、翌年同館で展覧されました。矢代はこの時アメリカで絵巻の講義をしていました。ちょうど戦争へと向かう時期でアメリカにおいて対日感情もドンドン険悪となっていくのを感じていました。こんな絵巻など観に来る人はいないのではないかとさえ思っていたそうですが、(美の力を知っていたはずの矢代でさえ)大勢の人が観覧し、称賛の声も上がっていたことに感動したそうです。機転を利かせて伸び伸びと唐の地で活躍する真備をユーモアたっぷりに描いた絵巻は誰が観ても楽しい!優れた美術は、コスモポリタン、易々と国境も民族の壁も超え、それは唐に渡った吉備真備の姿にも重ねられ、「美」や「文化」の普遍的な力を現在の私たちにも、私たちにこそ強く訴えかけると「美のるつぼ」展では結ばれています。
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- BY morinousagisan