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没後100年、中村屋と彝氏の歴史です
中村彝というと、MOMATの《エロシェンコ氏の像》を観て、いい絵だけどこれ重要文化財なの、と思ったものです。でもそれをずっと印象深く記憶しているのだから、大した画力の証なのです。中村屋サロンの開館10周年記念展、中村彝をもっと知りたいとの思いで訪ねてみました。彝作品は約30点、茨城県近代美術館など他館所蔵品を多く集めていて、数は少ないですが彝氏の画歴を知るのに必要十分です。
まず展示の冒頭で、MOMATの彝作品と競作となった鶴田吾郎《盲目のエロシェンコ》があり。彝作は正面、鶴田作は横から、の違いはありますが、色調やタッチも似ていてこれはツイン作品として面白い。
人物画、風景画、静物画、等を通して、レンブラントや印象派、セザンヌや特にルノワールへの傾倒の足跡がよくわかります。20世紀初頭の洋画家の多くが西欧の大作家を学び試したように。展示の最後にある《裸体》は約1m四方の大作ですが、明らかにルノワールですけど、彝氏の表現になっています。
でも真骨頂は、比較的小品の自画像を含む肖像画ですね。取り入れた西洋大家の作風の違いはあれ、いずれも入魂の作品、人物の内面描写は力強く秀逸。
心に沁みたのは相馬俊子の人物画。本展のタイトル「中村屋の中村彝」の中心テーマでしょう。
10代から結核を患う中で彝氏が荻原守衛の後に身を寄せた中村屋アトリエ、そのオーナーである中村屋創業者相馬愛蔵・黒光夫妻の長女俊子への憧憬・恋慕、そして挫折。その後の彝・俊子の生涯。。。
そんなストーリーを本展の導入部でインプットしたのちに観ると、《少女(習作)》《少女裸像》《少女》の一連の俊子画に描かれる生命感や気丈で芯のある表情が、作家の強烈な愛蔵の念や、あと一歩届かぬ距離感を表出しているようで、何故だか哀しさを感じます。
ひと回りも歳の差がある15歳の女学生の裸像を私情投影して活き活きと描き、画展に出展した挙句に、女学校からは撤去を求められ、相馬家との関係にも亀裂が入ったそうです。そりゃそうでしょうね。
しかしながら、これら俊子像を含む相馬家の子息・息女のポートレート群は素晴らしいです。中村屋と彝氏の歴史そのもの。
今年は没後100年。もっと各地で大規模回顧展があっても良い様に思いました。それだけに本展は貴重です。