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俳句と俳画 H&H 芭蕉と蕪村、二人のカリスマ@嵯峨嵐山文華館

メインヴィジュアルにある”H&H”どこかで見たことがあるような、若い人にも目に留まるようにと考えられたそうで、かのアパレルメーカーさんには許可を取って制作されています。こちらは「俳句と俳画」をテーマにした展覧会です。

バラエティー番組で俳句を取り上げるようになってちょっとした俳句ブームらしいです。きっかけは何であれ五七五に思いを込めて詠んでみれば楽しです。


中村芳中 画、江森月居 句《松尾芭蕉像》紙本墨書・墨画淡彩 18-19世紀 福田美術館

第1章 芭蕉の俳句

芳中が描いた俳聖芭蕉、ゆるくて良いですね。本章では松尾芭蕉(1644-1694)にまつわる作品を展示しています。半世紀ほど行方不明になっていて2022年に再発見され福田美術館のコレクションとなった芭蕉直筆の《野ざらし紀行図巻》を展示します。


松尾芭蕉 句、沢露川 極書《「ふる池や」発句短冊・極書》紙本墨書 17世紀 福田美術館

『ふる池や』で始まるお馴染みの俳句で、1686年春芭蕉庵で作りました。芭蕉直筆による短冊で、芭蕉に学んだ名古屋の俳人 沢露川が芭蕉の真筆と鑑定した「極書」も貼ってあります。この句は、池に蛙がぽちゃんと飛び込む蛙の動きに注目して動きと音も詠んだことが画期的だったそうです。


展示風景:松尾芭蕉《野ざらし紀行図巻》部分 紙本墨書・墨画淡彩 巻子装 17世紀 福田美術館

『野ざらし紀行』は芭蕉による初めての紀行文です。

「野ざらしの心に風のしむ身哉」で始まり、41歳の秋に「野ざらし」になるかなるやもと悲愴で並々ならぬ思いを胸に出発した芭蕉さんです。冒頭の一句が紀行文の標題となっています。前の年に亡くなった母のお墓参りも兼ねての伊賀上野までの里帰りの旅でした。

序文は、江戸前期の俳人・山口素堂が芭蕉没後に寄せたものです。

本図巻は、芭蕉直筆によるもので、図巻に描かれた21の挿絵も芭蕉本人の筆によるものです。芭蕉直筆の『野ざらし紀行』は、現時点で天理本(天理大学附属図書館蔵)と本作としか確認されていません。芭蕉自身が旅の様子を絵にして表したものは本作が唯一です。美しい文字に添えられた淡彩による挿絵は、味わい深く趣があり、その場その場での芭蕉の思いも伝わってきます。


展示風景:松尾芭蕉《野ざらし紀行図巻》部分 紙本墨書・墨画淡彩 巻子装 17世紀 福田美術館

大変な覚悟をして気負って出立した芭蕉さんですが、8か月の旅をしていくうちに肩の力も抜け旅を楽しむようになっていきます。この旅は、定型から脱し、芭蕉芸術を確立していく過程だったそうです。

江戸に戻り「夏衣いまだ虱とりつくさず」長い旅を終えて呆然としている様な。

パネルによる句の解説もあり、こちらも丁寧な展示となっています。一緒に東海道を下る気分でお楽しみください。

芭蕉に俳諧を習いながら、芭蕉に絵を教えていた森川許六筆《百花譜》が初公開となっています。32種類の花を描き、その花についての許六の考えを認めています。展示も花のパネル解説付きです。許六の現代語訳は現在のコンプライアンス的にちょっとということで添えられなかったそうです。

※参考にしました〔伊藤羊のページ>「芭蕉DB」


与謝蕪村《松尾芭蕉像》紙本墨書・墨画淡彩1782年頃 福田美術館

第2章 蕪村の俳画

俳句に絵を添えたものを俳画とよびます。大阪で生まれた与謝蕪村(1716-1783)は、二十歳の頃江戸に出て俳諧を学びます。その後北関東や東北地方を放浪し、42歳頃から京都に定住しました。若冲と同い年の蕪村さん、その頃の京は個性的な絵師が群雄割拠の時代でした。蕪村の時代は、俳画とは呼ばず、手紙の中では「俳諧ものの草画」と呼ばれています。

芭蕉没後芭蕉人気が高まり、芭蕉継承運動の中心的役割を担ったのが蕪村でした。

蕪村が描いた芭蕉像は、句会の際に床の間に掛けられました。


了川《奥の細道図巻模写》紙本墨書・着色 巻子装 1833年 福田美術館

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。・・・」で始まる『おくのほそ道』は、元禄2年(1689)3月27日、芭蕉は門人曾良を伴い江戸を発ち、奥羽・北陸を巡り、大垣に着いて、9月に伊勢神宮へ向かうまでの紀行文です。芭蕉没後の1702年に出版されて広く知られるところとなりました。蕪村は芭蕉の『おくのほそ道』の全文とそれに寄せた挿絵を描いた巻物をいくつか制作しました。京都の桔梗屋の主人で宅嘯山に俳諧を学んだ季遊こと佐々木有則が蕪村に制作を依頼した《奥の細道図巻》の写しが了川筆の本作です。蕪村特有の文字や人物描写を忠実に写しています。


左から:与謝蕪村「さみだれや」「こちらむきに」自画賛 紙本墨書・墨画 18世紀 福田美術館

与謝蕪村は、俳画というジャンルを創成したと言えるでしょう。蕪村の俳画は、俳句を詠んで画を見ると新たなイメージ、色や音が浮かび上がってくるところが素晴らしい。


与謝蕪村「いかだしの」自画賛 紙本墨書・墨画 18世紀 福田美術館

本展が開催されている嵐山、芭蕉はこの地に花見に来て突然風雨にあった情景を詠んでいます。

「三本樹にあった井筒楼で酔って描いた」と落款にあり、酔ってその場にあった着物の裏地らしき小さな模様のある裂地に認めた珍しい作品です。

蕪村の弟子として俳諧や南画を学んだ呉春の作品も展示されています。


左から;池田遙邨 《山頭火シリーズ けふはここに来て枯葉いちめん》《山頭火シリーズ すすきのひかりさえぎるものなし》1988年 福田美術館

第3章 池田遙邨 山頭火シリーズ

竹内栖鳳に師事して日本画に転向した池田遙邨 (1895-1988)は、晩年に漂泊の俳人・種田山頭火の句を絵画で表現して「山頭火シリーズ」と呼ばれています。現在28点が確認されています。

晩年になってもこんなに楽しい作品が描けるのが素敵!《すすきのひかりさえぎるものなし》には、ちょこんと狐が顔を出しているのも愛おしい。見つけてあげてくださいね。

 二つの展覧会を観て、江戸の人々の文化的な豊かさを感じました。

【開催概要】

  • タイトル:HAIKUとHAIGAー芭蕉と蕪村、2人のカリスマ
  • 会期:2024年10月12日(土)~2025年1月19日(日) ※12月3日(火)に展示箇所の一部変更
  • 会場:嵯峨嵐山文華館(京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町11)
  • 開館時間:10:00~17:00 (最終入場時間 16:30)
  • 休館日:12月3日(火)、12月30日(月)~1月1日(水)
  • 観覧料:一般・大学生 1,000円(900円)/高校生 600円(500円)/小・中学生 400円(350円)/※障がい者と介添人1名まで各600円(500円)/※幼児無料 ※( )内は20名以上の団体料金 詳しくは⇒

プロフィール

morinousagisan
阪神間在住。京都奈良辺りまで平日に出かけています。美術はまるで素人ですが、美術館へ出かけるのが大好きです。出かけた展覧会を出来るだけレポートしたいと思っております。
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