「存在とは何か」を考え表現し続けた美術家 木下佳通代 没後30年にして国内の美術館では初めての個展開催
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- by morinousagisan
大阪中之島美術館5Fで「没後30年 木下佳通代」が開催中です。
「存在」を哲学や認知など難解なアプローチで、ヴィジブルでないものを表現し続けた美術家です。木下佳通代(1939-1994)の初期作品から絶筆まで時代を追いながら網羅する展覧会となっています。
神戸に生まれ、関西を拠点にして活躍した美術家であり、若くして亡くなり、きちんと検証されてこなかった美術家の一人です。関西ゆかりの重要な芸術家を掘り起こし、周知する展覧会で、没後30年にして国内の美術館では初めて開かれる個展です。10月には埼玉県立近代美術館へ巡回します。
私にとっては、易々と入り込める展覧会ではなく、撮影した画像を紹介しながら、章やキャプションの解説を頼りに木下の美術家人生を再度辿ってみたいと思います。
第1章 1960-1971
神戸の長田で生まれ、1958年に京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)西洋画科へ入学し、黒田重太郎や須田国太郎に師事します。大学時代からグループ展に参加します。
大学卒業の翌年1963年に河口龍夫と結婚し、メンバーとはならなかったが、河口や奥田善巳らが神戸で1965年に結成したグループ〈位〉と行動を共にします。グループ〈位〉は、「存在についての問題」をテーマとしており、すくなからず影響を受けていました。
彼女の美術家としての活動が始まる1960年代初めは、ちょうど「具体」(具体美術協会)が盛んになる時期と呼応しています。70年の大阪万博へと関西も日本も矛盾も内包しながら右肩上がりの時代で、「具体」においても多くの女性美術家が活躍していました。
再婚した奥田善巳との1972年シロタ画廊での二人展で発表した「滲触」シリーズ、重ねられた色面がグリッド線上で「浸食」し合うような表現が、絵画的な空間の在りかを示していると解説される。
第2章 1972-1981
1972年から対象を客観的に捉える事の出来る写真作品の制作を始めます。類似した複数の写真を並べて構成する組写真で、視線の動きやモノを認識する過程、イメージと時間の関係を鑑賞者に意識させ、物の存在と視覚の関係性を提示したと説明されています。この説明を頭に置いて展示されている組写真や写真コラージュ、組写真の一部分ずつに色を付けていくなどの作品を見てみると木下の意図が分かってくるような気がします。
シルクスクリーンやフォトコラージュを制作し、1976年からは写真とフェルトペンのドローイングによるシリーズの制作を始め、「視覚」と「認識」について探究していきます。このシリーズは線から面へと発展し、画面上に色が現われ始めます。
作品シリーズのためのドローイングや作品プランのマケットの下図と作成、インスタレーションや展示プラン、感光紙に色を塗って折りたたんだり開いたりの試作品など展示までの資料が多く展示されています。木下は取り掛かると没頭するタイプだったようにも思え、かなり根詰める作業ではなかっただろうかと。章解説には「制作には長い時間を要するうえ、禁欲的でシステマチックなこのシリーズに抑圧を感じるようになった」所謂ある種「辛気臭い」制作の連続だっただろうとついつい思ってしまいます。
木下は、作家の活動をどう後世に残していくかを早くから考えて、1970年代以降作品や展示内容の詳細を記録し、何冊ものファイルを残し、その一部も展示されています。本展は、その「作家ファイル」から作品タイトルの変更、初出の展覧会、展示方法などの情報を得て展示されています。
美術家・植松奎二の紹介で1981年ハイデルベルク・クンストフェライン(ドイツ)で個展を開催し、ヨーロッパでも高い評価を受けました。
しかしながらこの閉鎖的な手法から自らを開放すべく木下は次のステップへと踏み出します。
第3章 1982-1994
1980年から1981年にかけて線と色の関係性をパステルで捉えようと模索していましたが、「存在そのもの」を画面上に作り出す油彩による新たな表現を見つけ出しました。
《’82-CA1》は、画面に塗り込まれた絵具を布で拭き取るという手法でカンヴァスのもつ平面と絵具による色面とを等価に扱う表現に初めてたどり着いた記念碑的作品と説明されています。
勢いづいたかのように、絵画の作風は年々変化していきました。
本ブログでメインヴィジュアルとなっている《’86-CA323》は、AD&Aからの依頼で同志社大学ラーネッド記念図書館のために制作された幅5mを超す自身最大の作品です。この作品と向かい合って展示されているの 奥田善巳作《CO-310》と対をなし、天地の色を指す《天地玄黄》の別名を持っています。対の2作品を修復して本展に展示されています。
「塗り」は後退し、緊張感の漂う「線」の表現がピークを迎え、ストロークそのものを見せるアプローチへ昇華していきました。
「描きたい、描きたい、時間が欲しい」
1990年木下は乳がんの告知を受けます。手術を拒み、治療法を求めて国内はもとより、ロサンゼルスにも渡り、現地でも制作を続けました。
絶筆となった作品は、絵画に回帰した1982年の第1作目《’82-CA1》から数えてちょうど800点目で《'94-Pa800》となっていたか。《'82-CA1》以降の作品タイトルは、制作年-支持体-通番で表記されていました。
55歳で亡くなった木下ですが、30年ほどの間に1200点以上の作品を制作ました。
地道な調査と豊富な資料により開催された本展は、美術家 木下佳通代の軌跡を丁寧に辿る展覧会であり、最終章は力強いストロークの色面溢れる展示空間となっています。是非多くの方に観てほしい展覧会で、知ってほしい美術家です。
坂本龍一も好きだった“Ars longa, vita brevis.”「「人生は短く、限られているけれど、優れた芸術は作者の死後も残り、人々に影響を与え続ける」
【開催概要】没後30年 木下佳通代
- 会期:2024年5月25日(土)~2024年8月18日(日)
- 会場 大阪中之島美術館 5階展示室
- 開場時間 10:00~17:00 (最終入場時間 16:30)
- 休館日 月曜日 ※ただし7月15日(月・祝)、8月12日(月・休)は開館
- 観覧料 一般 1,600円(1400円)/高大生 1,000円(800円)/中学生以下 無料 ※( )内は20名以上の団体料金
- 展覧会サイト:https://nakka-art.jp/exhibition-post/kinoshita-kazuyo-2024/