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「弥生美術館」は、「竹久夢二美術館」と隣接している。1984年に創設された「弥生美術館」が西側に、1990年に創設された「竹久夢二美術館」は、東側にあり、それぞれの建物の内部から2つの美術館の行き来ができる作りになっている。
弥生美術館の創設は、昭和4年に9歳の少年が、当時一世を風靡していた挿絵画家・高畠華宵(たかばたけかしょう)が描いた一枚の絵「さらば故郷!」と出会い、深い感銘を受けたことがきっかけとなった。創設者は、弁護士の鹿野琢見(かのたくみ)。1919年(大正8年)に宮城県粟原郡に生まれた鹿野は、東北帝国大学法文学部を卒業すると、1952年(昭和27年)には弁護士となり、1969年(昭和44年)には、第二東京弁護士会の副会長を務めた。
幼少時代に、少年・少女雑誌に掲載された高畠華宵の挿絵から受けた感銘は、鹿野琢見の人生において、ずっと色褪せることがなかった。36年後の1965年(昭和40年)の春、高畠華宵が明石愛老園で過ごしていることを知った鹿野は、幼い日の感動を手紙に綴って華宵に手紙を出した。それを機に交流が始まり、二人の親交が深まっていく。その後「華宵の会」が発足されて、上野松坂屋での展覧会なども行われ、再び脚光を浴びた華宵だったが、翌年78歳でこの世を去った。鹿野は、生前の華宵を自宅に招き世話をするに至り、最後を看取った。
遺族より華宵の著作権を譲り受けた鹿野琢見によって、華宵の死から18年後の1984年(昭和59年)、華宵のコレクションを公開すべく念願の弥生美術館が創設された。
また、同時代に活躍した挿絵画家の蕗谷 虹児(ふきや こうじ)、加藤まさを、中原淳一らと知己を得、さらには夢二の次男 竹久不二彦氏との出会いがあり、大正ロマンの源流といえる夢二に心魅かれるようになり、蒐集と研究に邁進し、弥生美術館開館の6年後、1990年(平成2年)には、竹久夢二美術館を創設した。初代館長は竹久不二彦(竹久夢二・次男)が務めた。
美術館の建つ文京区本郷は、竹久夢二最愛の女性、笠井彦乃と逢瀬を重ねた場所であり、今なお昔の風情を留めた静けさと木々の緑に包まれている。
弥生美術館の1~2階の展示室では、明治末から戦後にかけて活躍した挿絵画家をはじめ、挿絵・雑誌・漫画・付録などの出版美術をテーマに企画展を開催、3階展示室は高畠華宵の常設展示室で、3~4ヶ月ごとにテーマをかえながら、常時約50点の華宵作品が公開されている。
主な収蔵作品
<肉筆画> 高畠華宵・加藤まさを・蕗谷虹児・一木弴・岩田専太郎・須藤しげる・木村荘八・小村雪岱・岡本帰一・松本かつぢ・嶺田弘・深谷美保子・田中良・中原淳一・山口将吉郎・伊藤彦造・樺島勝一・初山滋・武井武雄・黒崎義介・河野通勢・鏑木清方・北野恒富・杉浦非水
<雑誌資料> 少女の友・少女・少女クラブ・主婦之友・新青年・少年倶楽部・キング・婦人世界・コドモノクニ・面白倶楽部・新少女・講談倶楽部・ひまわり
などがある。
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