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出会いと、旅と、人生と。ある画家の肖像 日本近代洋画の巨匠 金山平三と同時代の画家たち

出会いと、旅と、人生と。ある画家の肖像 日本近代洋画の巨匠 金山平三と同時代の画家たち

兵庫県立美術館|兵庫県

開催期間:

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「ある画家」なのか、「巨匠」なのか、洋画家 金山平三をご存じでしたでしょうか。

兵庫県立美術館へ何度か通って、常設も見ている方なら、2階の常設展「小磯良平」のお部屋の隣に「金山平三記念室」があります。私個人的には、「兵庫県ゆかりの画家」で、いつも「風景画」、それも水辺と雪景色の作品が多く、たまに印象派風の点描で描いた明るい風景画をその奥にある展示室への行き返りにさぁーと眺めてきたくらいなのです。何故県美に特別の展示室があるのかまで考えが及んでいませんでした。
日本で2番目の公立美術館である現美術館の前身、兵庫県立近代美術館設立のきっかけとなったのが、金山平三亡き後夫人から兵庫県への作品の寄贈にあったのでした。そう、それはまるで「佐伯祐三展」を現在開催中の大阪中之島美術館の設立のきっかけが、山本發次郎のご遺族からの佐伯祐三作品の寄贈から始まったように。

本展の見どころ
① これまで開催してきたような回顧展ではない。時系列による展覧会でない。
  「センパイ、トモダチ」「壁画への道」「画家の身体―動きを追いかけて」「生命への眼差し」「列車を乗り継いで-風景画家の旅」5章構成で、画家を様々な側面からアプローチする。
② 金山平三の技法が面白い!描く部分、作品によって技法を使い分けている。
素人の私たちが見分ける「把握する」のは難しいかもしれないけれど、花の「静物画」などでは分かり易いかもしれません。
③ 金山家から寄贈された豊富なアーカイブも展示されており、それらと作品を併せて観る事が出来る。絵葉書や写真などは、当時の風俗や時代が伝わってきて関連資料以上、思わず前のめりで見入ってしまいそう。(甲斐庄楠音展もそうでした!)

明治16年(1883)に神戸の元町で金山平三は生まれました。なんと現在京都で生誕140年と称して大回顧展が開催中の橋本関雪とは、生まれた所も近くて同い年です。2歳で実母と死別して、10代で早くも上京し、生涯の大半を東京で暮らしましたが、毎年神戸の実家へは戻ってきていたようです。東京美術学校に入り、勉強家で優秀な学生で、卒業時は成績トップで、卒業式には総代として答辞を読んだそうです。金山の交友関係として本展で作品と共に紹介されているのが、金山と一緒に朝鮮や満州を旅した新井完(1885-1964)、金山の先輩格に当たる満谷国四郎(1874-1936)、金山とよく旅をした柚木久太(1885-1970)です。

初期の金山の作品として《漁夫》1908年が展示されています。この頃光源による明暗の効果を活かした作品が少し流行っていたようです。1906年の満谷国四郎《戦の話》の「ドラマチックな絵づくりにも示唆を受けたかもしれない」とありました。この満谷の《戦の話》を見て、「えっ!まるでカラヴァッジョの《マタイの召命》だっ!」と思ったのは私だけでしょうか。この後も満谷国四郎の作品で足が止まり、今後要チェックの画家となりました。

金山は、1912年(明治45)1月から1915年(大正4)10月までフランスを中心としてヨーロッパに滞在し、各地を旅行しています。滞欧中にどこかの画学校で学んだような記述は図録などにもありません。師の黒田清輝を彷彿とさせる作品が多く、藤田や佐伯らが言い放った「美術学校での勉強はフランスに来て何の役にも立たない」の様な事はなく、金山は粛々と学んで描いており「黒田清輝の秘蔵っ子」と言われたのも合点がいきます。この頃にフランスに滞在していた日本人の様子を姪のこま子との事があって日本を脱出してフランスに滞在していた島崎藤村が『エトランゼ 仏蘭西旅行者の群』に綴っており、この本には藤田嗣治(1886-1968)も登場します。藤田と金山は、同じ時代を生きていたのでした。ベルギーへ留学していた児島虎次郎(1881-1929)や太田喜二郎(1883-1951)とも交流があったようで、帰国後児島が描いた《金山平三像》が展示されています。(目黒区美術館で児島と太田の展覧会が開催されています)
金山は、孤高の画家どころか、多くの友人や先輩と交友関係を持ち、お互いに影響を受けながら制作していたことが伝わってきました。

帰国して金山の画壇デビュー作ともいえる《夏の内海》は、第10回文展で特選二席となりました。画面奥へぐーっと目が誘われるような、後半生の風景画にも通じるところもあるのではないでしょうか。1918年(大正7)新井完と朝鮮、満州へ、1924年(大正13)満谷国四郎と(後に児島虎次郎も同行)中国へ出かけ、その合間には国内を写生旅行しています。金山と満谷にとっては、壁画制作の取材旅行でもありましたが、この時代の画家は、総じて朝鮮半島や中国へ出かけており、西洋でも日本でもない風景、風俗は彼らにとって魅力的な画題だったのでしょう。この間に金山は東京女子師範学校を経て東北帝国大学で数学を学んで日本初の女性理学士である京都出身の牧田らくと結婚し、1919年(大正8)には弱冠35歳にして帝展審査員となっています。妻らくは、処処の事情もあったかもしれませんが、早くに師範学校教授の職を辞して、旅先から手紙をよこす夫を駅へ迎えに出向き、生涯夫を支えました。妻らくあっての「金山平三」ではなかったでしょうか。

《祭り》は新しく見つかった作品だそうです。良い絵です。ヨーロッパの田舎のお祭り風景を装飾的に、壁画風に描いているようです。『金山平三画集』や写真アルバムにもない作品ですが、サインがあり、デッサン帖に同じポーズの人物が見つかったことなどから金山の作品として今回展示される事になりました。《雪と人》と共に委嘱を受ける壁画制作へと繋がっていきます。

聖徳記念絵画館は、明治神宮外苑にある美術館です。その内部を飾る壁画制作が当時の日本を代表する画家76人に委嘱され、金山にも白羽の矢が立ちました。金山は1924年(大正13)に神戸市長から制作を正式に委嘱されました。明治天皇が神戸行幸の折に日清役平壌勝利の報を得たという理由から神戸市の献納画は《日清役平壌戦》、金山は「動的情景の表現」を希望しており、突撃寸前の緊張感張りつめる瞬間を描ききりました。構図は自由ですが、史実に基づいて描くようにとや、絵具も奉賛会選定のものなど種々の制約がありました。壁画を描くにあたり、ヨーロッパの王宮で見た壁画や歴史画も頭をよぎったに違いありません。作品が完成して絵画館へ収めたのは、1933年(昭和8)12月、なーんと委嘱から9年も経っていました。金山は画面全体の色調を中間色の灰色を基調と考えています。全体の調和を考え、地面の緑色の草の色に苦労し、黒を絵具に混ぜたため、変色を心配して作品を数年間画室に置いていたので納入に時間がかかりました。絵画館へ壁画すべてが納入されるまでには更に時間がかかっています。金山前半生の集大成作品となりました。

身近な娯楽である芝居が好きな画家は多い。衣装や役者の決めポーズや動きなども画家として面白かったのでしょう。大病を患って後の療養生活で手すさびとして描き始めたとされている芝居絵ですが、自分で役に扮したり、踊る自分の写真を撮ったり、レコードを集めたりとかなりののめり込みだったようです。風景画の中の点景的な人物表現や人物の動きの表現など制作の中にも役立ったようですが、なによりもご本人根っから好きで楽しんでいたように思えます。

花瓶から溢れんばかりの花の絵が並ぶ展示室へ来た時には目を見張りました。金山は「売るための絵は描かなかった」そうで、生活が厳しい時もあったようです。美しく気品高い花の絵は人気で、どうしてもとの求めに応じて描いたのが花の絵だったそうです。奥様は花の絵に救われたことでしょう。静物画を描けば、当時の画家が誰しもかかるセザンヌ、《とまと》垂れ下がる白い布とか、まさにセザンヌそのものです。金山の静物画では、奥行きがなく、テーブルの「角」をほとんど描かず、背後の壁とテーブルの境界が年を追うにつれ目立たなくなっていくのだそうです。

1935年(昭和10)の帝展改組とその後の混乱で中央から距離をおいて制作を続けました。1944年最後の「帝室技芸員」に任命されたのは、日本画家なら鏑木清方、上村松園、前田青邨、小林古径など、洋画家なら、梅原龍三郎、安井曽太郎など、彫刻家なら朝倉文夫、平櫛田中と錚々たるメンバーです。この年に金山平三も任命されています。1957年(昭和32)には日本芸術院会員にも任命されており、ここまでくると肩書からしても「巨匠」と呼べそうです。

風景画を描くために、金山は新幹線もまだない時代に全国各地を列車を乗り継いで出かけ、時には滞在先へ妻を呼び寄せたり、連れだって出かけたりしています。雪景色の作品も多く、今の様なダウンもない時代に外でのスケッチも寒かっただろうと思うのです。何がそれほど金山を駆り立てたのでしょう。林ようこ館長が金山の風景画を前に「今見ても全く古びてない!」とお話になっていました。なるほど、それだからか、違和感なくすっと入ってくるのかもしれない。

本展のタイトルが長い!「担当学芸員3人の思いを繋げると長くなりました」とのことでした。金山平三ついて、ほぼ何も知らなかった私、「全然知らんけど、常設でいつも見る金山平三って『巨匠』なの?」を捜しにきたのです。タイトルには「ある画家の肖像」ともあるのは、鑑賞者側に「ブランドで展覧会をみていませんか?」「大家」や「国宝、重要文化財」海外のビッグネームの美術館展などに釣られるのではなく、「作品そのものを観て頂きたい!」という思いもこのタイトルには含まれているそうで、自分が観に行こうとした動機にかなり胸が痛い!
先に進むごとに作家の新しい面が見え、知り、「へーっ!」に溢れて、最終的にいつも常設で観ていた風景画に帰着し、よく知らなかった画家を知ることが出来ました。

災害や戦災で作品が消失したり、あるいは散逸してしまった画家も少なくない、作品がまとめて所蔵されているということはとても大事な事なんだと思いました。佐伯祐三作品のコレクターだった山本發次郎は「展覧会が開催されなければ画家は忘れ去られてしまう。」と言っていたそうで、そんな点においても、「またかぁ・・・」と思われても、「生誕(没後)〇〇年」と称した展覧会は開催されるべきなのかもしれないと今回の展覧会で感じた次第です。本展図録、特に西田学芸員執筆のⅠ~Ⅲは、「金山平三の伝記」を読むようで、とても読みやすく面白く拝読。図録を買わずとも、県美の美術情報センターで、ご一読をお薦めです。
図録から引用すれば、金山平三は、「最初期から晩年に至るまでその画風を大きく変化させることなく、少なくともその変化はきわめて緩やかに発生した・・・」とあり、生涯を通じて野望の様なものは見えず、目の前の作品に真摯に向き合った画家だったと思いました。

☆彡超お得情報!
7月11日(火)~7月17日(月・祝)はひょうごプレミアム芸術デーのため、入場無料

是非是非あなたもよく知らない画家の作品を観に行ってみましょう(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!

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