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開館1周年記念特別展 佐伯祐三 —自画像としての風景

開館1周年記念特別展 佐伯祐三 —自画像としての風景

大阪中之島美術館|大阪府

開催期間:

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見応えあり!充実の展覧会でした。

美術学校時代の自画像から絶筆とされる作品まで約140点、圧倒されました。
佐伯祐三作品の寄贈は大阪中之島美設立のきっかけとなった、開催すべくして開催された展覧会です。
佐伯が過ごした「街」で章分けされ、佐伯の関心の先が作品に表れている。サブタイトルの通りでした。

※アートアジェンダさんで紹介のある展覧会で、既に東京展は終了しているにもかかわらず、ブログに投稿しておりましたが、「鑑賞レポート」へ移し替えました。せっかく(・∀・)イイネ!!をしてくださった方々申し訳ありません。
アートアジェンダさんでご紹介があるもので、ブログとして投稿するものは「記者内覧会」に参加した展覧会についてです。

このレポートでお伝えしたかったのは、佐伯と言うよりも、コレクター山本發次郎と大阪中之島美の佐伯祐三コレクションについてです。(レポートとして冗長だなぁと)

展覧会初日に菅谷館長の講演会に参加しました。大阪中之島美の佐伯祐三コレクションについてのお話でした。
大阪中之島美の佐伯祐三作品の内訳は、総数65件、所蔵59件、寄託6件です。
本展覧会作品総数142の内、半数近くが大阪中之島美所蔵です。その内訳は、油彩61件、ドローイング3件、水彩1件です。資料類(はがき、写真、ライフマスクなど)は、誰が持っていたのかが大事で、つまり 来歴がはっきりしていることが重要です。大阪出身、地元の作家と言うだけではない充実ぶりのコレクションです。そこにはこの大阪中之島美設立のきっかけとなった「山本發次郎コレクション」の寄贈にあります。

現在所蔵の65点中の45点が「山本發次郎コレクション」です。
その内訳は、
 ① 山本發次郎のご子息、山本清雄氏からの寄贈(作品リストにも記載あり)と他のお子さんが所蔵されていた作品を購入。
 ②佐伯の実家である大阪中津にある光徳寺関係(親戚、檀家など)からの寄贈、寄託
 ③佐伯祐三の恩人、友人(北野中学)、画商からの購入3点
と、佐伯の人間関係から集まってきた作品群です。

展覧会を観に行った4/28は佐伯のお誕生日で、事前予告なしの館長と担当学芸員さんによるミニギャラリートークがありました。
13時は先輩女史が多くて密なので脱落しましたが、15時からの館長のお話は離れていても良く聞こえて、良いお話でした。
風景画の間に静物画と人物画が展示されており、その場で素早く描いた「蟹」に味わいがありした。
褐色の田畑が広がる下落合の風景に電柱が垂直に何本も立ち、大阪の湊で描いた滞船にも何本もの帆柱と帆綱が描かれていました。
佐伯は同じテーマ、風景を繰り返し描いていており、その時期の佐伯の興味の先がよく分かります。

夭折の画家と言っても、青木繁の様に破滅的な人ではなく、ええしのボンで北野高校出身の秀才で、イケメンで友人も多い。デッサンも得意で美術学校でも優秀でルノアール風にも、セザンヌ風にも器用に描けた故に、ブラマンクに浴びせられた「この、アカデミック!」は佐伯が初めて味わった挫折とも言われています。同じころ萬鉄五郎の様な画家も居た訳ですし、このエピソードがあまりにもフューチャーされすぎて独り歩きしてこなかっただろうかと懐疑的にも私は感じていましたが、ブラマンクとの出会いは画風を一変さることになりました。

佐伯の身体を心配して家族にパリから連れ戻された佐伯ですが、ブラマンクもゴッホもセザンヌもユトリロからも脱却して自分の描くものが見え出した頃に、それをパリにおいたまま日本に帰国。フランスで描き残したものはまだまだあったはずで、再びパリに戻ってきた佐伯に許された時間はあまりにも少なかった。

命を削って描いていた自覚は本人にはあったのでしょうか。描くべき、描きたいものが次々にあって「速描き」で筆を動かしながらも、まだまだ手が思いに追い付いてこないもどかしさがあったかかもしれません。
館長のお話にもあった、2回目のパリ滞在中の佐伯は1週間ごとに画風が変化して興味の先が変遷していることが、目の前の作品に見て取れます。
自分の画風を追い求めて、パリの街を、パリの街の壁や広告塔を描き、広告の文字や壁に描かれた文字やカフェの椅子の脚は細くピンぴんと跳ねたように描かれていく。
ところが、若い晩年のパリ郊外を描いたモランでは、黒くて太い力強い輪郭線となって引かれています。
戸外で描いた作品の空は曇り空、寒い戸外でも描かずにはいられなかった佐伯がそこに居ました。

独自の審美眼で美術品を蒐集したと紹介される山本發次郎さんは、佐伯の線がお好きだったようで、その直感から佐伯作品の収集が始まりました。芦屋の邸宅に残された美術品は戦災で焼けてしまったのですが、天皇の宸翰に紛れて一緒に疎開した佐伯作品は救われました。
展覧会に一緒に出かけた家族が「えらい立派な額がついていたね」との感想に、そこに気づきましたか!

佐伯の死後にすぐに作品がパリから送り返されて、額も作って展覧会が開催されます。まだ若かった佐伯の作品は売れず、額代も賄えない程でした。そこで芦屋の山本發次郎にお声がかかり、山本さんは気にいってすべての作品を購入し、額代も賄えることになりました。山本發次郎さんは、「展覧会が開催されないと画家は忘れ去られていく」と画集を作成し、東京でも展覧会を開催しました。展覧会の最後に画集や展覧会のポスターも展示されています。

大阪中之島美所蔵の佐伯祐三作品は
 1. 上述しましたが、大阪中之美術館整備の契機となった
 2. 日本最大、つまりは世界最大の佐伯祐三コレクションである
 3. 来歴のわかる基準作である
 4. 2回目のパリ滞在期の作品が充実している
佐伯の画風を追うことできるコレクションですが、作品に偏りもあります。
それは、山本發次郎さんが戦時下で何を残すか?と考えた時に、佐伯が命を削るように描いた作品を山本さんは大切にしたいと思ったからではないかとのお話で、最後の1年のものが多い。
パリ滞在は5年足らず、それでもパリの街の風景を描いた作品を見ると佐伯祐三と分かる。
決して長くない生涯に他の誰でもない独自の画風を若くして確立した佐伯祐三とそれを残そうとしたコレクター山本發次郎に深く感動しました。

大阪中之島美、訪れるたびに先の展覧会のチラシが増えている。開館までの40年を取り戻すかのように意欲的な展覧会が次々と予定されています。

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