4.0
私たちはどう撮るのか。
7/27(木)に滑り込み。
夜間開館でいつもより1時間プラスの21時まで。
神奈川県から仕事終わりでも何とか間に合う時間で、大変ありがたい。
1章 戦後の子供たち
2章 人間万歳
3章 ふるさと武蔵野
行くのに少し腰が重かった。
田沼さんが1章、2章を撮った時代は、カメラで撮るという行為、というか、ジャーナリズムというか、そういうものの価値がもっとシンプルで、元気だった時代という気がする。
カメラにとって、何となく「昔は良かった」的な感覚を持ってしまったら嫌だなぁ~と思った。
実際に見たら、素晴らしかった。
1章の戦災孤児たちの顔が頭からはなれない。
2章もほんと、人間が人間らしい、というと変だけど、どの顔にも生きている感じがある。一日中腰を折って、ゴミの山の中から少しでもお金になるものを探してる、なんて写真もあるけど、何故かがっつり生きている感じがするのが不思議だった。
同じ状況の写真はよくあるけど、今撮ったものを見てもこういう感覚にはならないんだよなぁ・・・。
ここまでは田沼さんが撮りたいものははっきりしていて、見事に撮れているんだろうと思う。
問題の3章。風景写真は・・・やはり苦い。撮りたいものも気持ちも作品の中に伺えるが、掴めている感じはなく、その苦さが写真に出ているのを感じた。
総じて、何もかも複雑になってきているのはやっぱり間違いないんだなぁ、と思った。
「カメラで撮影するということ」そのものが、より身近になり多様化して、どこもかしこも写真で溢れているというのに、「おお!」っとなるようなおもしろいと思う写真は、実際はあんまり記憶にない。
むしろティルマンスの、何となく撮ったっぽい風呂場の写真とか、そういう類の方が記憶に残ってるという・・・。
写真自体は見応えあってよかったんですが、自分は「なんで写真撮りたいんだろう?」とぼわ~んと頭が雲に覆われた状態で帰りました。