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陶磁にまつわる歴史の発見に満ちた展覧会
下村学芸員さん曰く「美しさ、清らかさ、質朴な力強さを併せ持つ」朝鮮陶磁の美、そして日本の茶の湯とのコンタクトで起きた歴史の謎解きまでが、じっくり楽しめる展覧会でした。
青磁好きな私ですので、高麗青磁はもちろんすきです。重文の「翡色」《青磁蓮華唐草文浄瓶》はほれぼれしますね。色も全体のフォルムも片切彫りの精緻な蓮華唐草文も、何時までも観ていたい感じの作品です。
朝鮮は日本より200年早く、白磁の生産にも成功。儒教の影響で「真っ白さ」が好まれたこともあり、白さや均整のとれたフォルム、「粉青」のような技工的なものが朝鮮陶磁のメインストリームでした。すごく魅力的ではないにせよ、温かみも面白さもあってよいですよね。型押しの部分に白土を埋めて文様を表す印花、文様を細い線で彫る線刻、文様の余白を削り出す掻落、粗い刷毛目の跡が文様のように残る刷毛目、白泥の中に浸しがけをする粉引、そして鉄絵具で文様をほどこした鉄絵等、様々な技法其々の魅力に溢れていると思います。それがこうした「粉青」の一部、メインでない陶器が日本にも伝わり、16世紀に一大ムーブメントを巻き起こした「茶の湯」で、井戸茶碗などの朝鮮陶磁が「高麗茶碗」として突如脚光を浴び、中国陶磁よりも良いと評価されるようになり、天正年間(1580年頃)には、高麗茶碗が「茶の湯」の主流となりました。ただ輸出されるだけでなく、これこれこういうモノをと日本からの注文で、多く高麗茶碗が作られるようになり、朝鮮の陶磁器の流れが少し変えられてしまったのですね。
第二展示室「謎解き奥高麗茶碗」に進むと、凄かったです。これだけの奥高麗が並ぶのを、これからも観る機会はないのではと思います。「奥高麗茶碗」は日本の唐津(佐賀県)で焼かれた茶碗だったことが分かったと、ありました。謎が解けたと言えるかどうかは??ですが、年代や焼かれた場所やら、ブームの所以が分かり、陶磁にまつわる歴史の発見に満ちた展覧会です。ミニ図録で詳しくおさらいする必要はあります。
会期末だったため、平日午前でも、なかなかの盛況ぶりでした。感想が大変遅くなってしまいましたが、本日が最終日だそうで、未だの方は是非いらしてみてください。