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スケールが違う、近代数寄者
前後期で前後期で全て展示替え。いつものように蹴上から南禅寺前を通って伺います。東山の新緑がキラキラと美しい、が、外国の方々には新緑とかに興味はないのか、夏休み前だからもあって外国人観光客が比較的少なくバスも地下鉄も快適でした。「能楽」となると更に人は少なく、ほぼ独り占め状態でした。立礼席の話し声がずーっと聞こえて。お客様とお話なさっているのか、茶を点てる当番の女性たちの声なのか・・・
「能楽の美」松園さんが能に画題を見出して新たな境地を切り開いたこともあり、今回は能面も1面1面解説も読んでじっくり拝見しました。左手壁面に男面、右手壁面が女面です。能は、江戸時代には「武家の式楽」、武士社会の教養でしたが、明治の世になると演能の機会も減り大名家のコレクションが処分されるようになりました。そこで能を嗜む実業家たちがその支援者ともなりました。即翁や得庵さんののめり込み様は尋常ではなくと私は思うのですが、自分で舞う為でもあったのです。明治期の数寄者たちにとっては、武士社会の教養という事にも憧れもあったのかもしれません。得庵さんは、面は水戸徳川家、装束は加賀前田家の売立てで多くを引き継いでいます。
アートアジェンダさんの本展紹介記事にある「紅白段金市松御所車蔦紋唐織」、自分の演能のために、元の写しを新調した装束も展示され、これを全く同じように新たに織、刺繍してこしらえるってどれほどの価格だったのだろうかとも・・・下々の者は思ってしまうのでした。
得庵さんの残っている蔵帳は25冊、右筆が記録したものもあるかもしれませんが、得庵が直に作品のスケッチを書き込むこともありました。こーーーんな大きな財閥の超多忙な得庵のどこにそんな時間があったのでしょうか。
地下展示には、得庵が「羽衣」を舞った「納戸地段四季草花紋縫箔」、雪の重みで垂れる枝の「茶飛縞交段織雪枝垂柳紋唐織」、一面に龍と蜻蛉の紋様「紺地丸龍蜻蛉地紋厚板」、摺箔輝く《白地金銀牡丹唐草紋摺箔》、能装束を飾る大衣桁も豪華です。今どきの人には衣桁」のある暮らしが思い浮かばないかも。
後期の茶席飾は、掛物《豊臣秀吉筆 能番組》、花入《黄銅立鼓》でしたぁ
野村美術館を後にしていつものように疏水横を通って、碧雲荘前へ、だーれも居ない京都がありました。


